鷹女、苑子、毬子
吉村毬子句集『手毬唄』を読む
三宅やよい
妹もゐる花降る刻の毬投げよ 吉村毬子
しづかに毬白き夏野に留まりけり 同
毬つけば男しづかに倒れけり 同
毬の中で土の嗚咽を聴いてゐた 同
枯蓮の赭に染まりゆく手毬 同
水鳥の和音に還る手毬唄 同
赤子から幼児へ幼児から少女へ、母から投げ返される毬、投げられた毬を追いかけ投げ返す毬、毬つき歌を歌いながら地面につく毬、空に放り投げる毬。毬はたえず言葉のように人と人との間を空と地の間を行き交う。毬は母から娘へ、娘から娘が産む娘へと。句集の栞文で安井浩司が書いているように、吉村毬子は三橋鷹女から中村苑子へ受け継がれた系譜に自分をはっきり位置づけているように思える。
それは「三橋鷹女私論」の中で中村苑子が鷹女の俳句について次のように書いているのと同様の経験を中村苑子の俳句との出会いで味わったからだろう。
言葉の不思議な作用がそれまで何を見ていても何もみえなかった盲いにひとしい私の眼を開かせ、文字を読んではいても大事な事を何一つ読みとってはいなかった私の心を地平線から昇ってくる夜明けの日輪のように赤くおおらかなものにしてくれたのだと知った。俳句、俳句、思えば小さいながらに人の運命を決定する恐ろしい形式である。俳句でささやかな慰みをもらえればいいという人には考えられない重さかもしれない。のっけからこのような深みで俳句を作る師に出会う幸・不幸を私は考える。吉村毬子は「あとがき」に書く。
「三橋鷹女私論」〔*1〕
この身の肉が裂け、血が遡り地に乾くまで私は彼方の俳句を目指して書き綴らなければならないのである。
例えば鷹女、鷹女の最高峰は『羊歯地獄』と言われるが、私はそこに収録された鷹女の作品の言葉の生々しさ、痛々しさが苦手である。
饐えた臓腑のあかい帆を張り 凩海峡 鷹女
墜ちてゆく 炎ゆる夕日を股挟み 鷹女
このような句は鷹女以外だれも書けない。これらの句に表現されている真剣さが何に由来するのか、俳句に刻印された言葉をたどることは辛い。出来ればこのような世界から目をそらし読む負担のない口当たりのよい俳句へ身を寄せたいと思う。
しかし中村苑子が述懐している「言葉に眼を開かせる」俳句は、ありきたりな表現を捨て言葉を突き詰める行為が必要となってくる。刻印されるイメージを作り出すことはいったんは自分を取り巻く現実を知覚したうえで言葉で異質な世界を再構成する作業であり、安易に読み手に伝わる表現を捨て、全敗覚悟のあてのない戦いを持続させていくことでもある。
毬子は苑子と出会った時点で俳句のようなものに仕立てあげる手法から距離を置いたと思われる。すぐれた師を持つこと。そしてたやすく俳句を書く手法から距離を置くことは自分の作品を書き上げるのに長い時がかかることに他ならない。
その行程を経て鷹女の模倣でも苑子のエピゴーネンでもない自分の立ち位置で吉村毬子独自の俳句を打ち立てたことがこの句集の題名にもはっきり表れている。
鷹女は『羊歯地獄』から、苑子の句集は手元に『吟遊』しかないので、その一冊から抽出して三人の句を並べ、それぞれの特色を見てみたい。
春水のそこひは見えず櫛沈め 鷹女
落ちざまに野に立つ櫛や揚げ雲雀 苑子
鳥影や朱夏の地に落つ水櫛や 毬子
櫛と言えば、苑子の「黄泉に来てまだ髪梳くは寂しけれ」を思うが、黒く長い女の髪は自愛の象徴でもある。その髪を愛おしむ必須アイテムの「櫛」を鷹女は底の見えない春水に自らの手で沈めてしまう。苑子の櫛は落ちざまに野に立ち、毬子の水に濡らした櫛は地に落ちたまま夏の日差しにさらされ、鳥の影が櫛をよぎってゆく。櫛を能動的に沈める鷹女、取り落とした櫛が地面に立つのを見つめている苑子、落ちた後の水櫛そのものに変化しつつ、その風景を俯瞰する毬子の句。
薄氷へわが影ゆきて溺死せり 鷹女
わが影はすでに溺死の秋の川 苑子
片翼は空に浸して薄氷へ 毬子
薄氷と影の関係を見ても鷹女は自分の影を引きずって溺死させている。鷹女は死の不安を自分自身を殺めることで鎮めようとしているかのようだ。苑子は溺死させる前に「既に溺死」と影が実体より先に死んでいる。いわば幽体離脱のように死んでいる自分が死んでしまった自分の影を眺めている。毬子の句「わが影」と自我の表出はないが、空へななめに翼を傾げながら薄氷へ赴く毬子の化身は鳥なのか。
風花の窓開きなば狂ふべし 鷹女
踏まれどほしの磯巾着の死に狂ひ 苑子
日輪を翳すふらここ狂はねば 毬子
窓を全開して吹き込む風花。鷹女は風花とともに狂う激しさであるが、苑子は踏まれながら悶絶する磯巾着を詠み、毬子は日輪が翳るまで前後に激しく揺れるふらここを詠む。狂うのは前後に激しく揺れるふらここか、「狂わねば」を決意と見ればそのふらここの揺れのように揺さぶりたい自分であるのか。
鷹女は老いと死を感じ始めた50代、自分の存在と不在を言葉で確かめながら俳句に刻印した。苑子の俳句は死のこちら側とあちら側の境界線があいまいで、生きている自分を中空から眺めているようだ。この両者と言葉の選択、響きにおいて共通項を持ちながら毬子の俳句は詠む対象への微妙な距離が感じられる。それは対象を見つめている自分を見つめる自分がいて、その自分も含めて風景になるような不思議な距離感である。鷹女とも苑子とも違う位相に毬子の俳句は位置付けられる。では、鷹女と苑子の言葉の選択、響きにおける共通項はどこから引き出されてくるのか。
吉村毬子の俳句は鷹女、苑子のみならず先行の俳人の句を常に意識しながら作られている。例えば、
切株の青い死赤い死嬥歌とや 毬子
この句は、林田紀音夫の
黄の青の赤の雨傘誰から死ぬ
啞蝉は夜の海へと膨らみぬ 毬子
この句は、高柳重信の
この夢如何に青き啞蝉と日本海
しづかに毬白き夏野に留まりけり 毬子
頭の中で白い夏野になっている 高屋窓秋
これは小池正博がブログ「川柳時評」で書いているように窓秋へのマージュであり、挨拶ではないのか。
耳朶や水照りの天井皆ゐる 毬子
この句で天井にいる「皆」とは新興俳句から綿々と続き鷹女、苑子を始め俳句に独自の「詩」を打ち立てようとした人々ではないのか。その「詩」とは高柳重信が「写生への疑問」で書いている次のようの姿勢であったろう。
僕らの閉じ込められている世界の外に、もう一つ別な世界があるのである。僕らを縛りつけている日常性の次元のほかに、想像力の次元があるのである。それこそが詩であり、そして俳句なのである。~中略~詩の上で想像することは、空想とか夢ではなくて、やはり現実の力なのである。だから詩の正当な形式はイマジネーションによって現実をいったん魂の呼吸に適するように変形して表現することなのである。「写生への疑問」〔*2〕まさに鷹女の苑子の俳句を生み出した系譜の俳句を継承しつつ、自分の「魂の呼吸」に適するよう毬子自身の現実と時間に適する言葉で生み出した句が『手毬唄』を構成している。
時空の中間に位置して人と人の間を行ったり来たりする「毬」は人と人との間で投げ交わされる言葉と何と似ていることか、人間ではないものにも憑依しつつ毬子の毬は自在に運動する。それでいてある一点に留まる毬ははっきりと自己主張する。
しづかに毬白き夏野に留まりけり 毬子
毬の中で土の嗚咽を聴いてゐた 毬子
最後に『手毬唄』の中で最も私が気になる句。
赤ん坊が降つてきさうな首夏の階段 毬子
この句についてはまた別の機会に鑑賞したいと思う。
〔*1〕『三橋鷹女全集 1』
〔*2〕「写生への疑問」:『高柳重信全集』
※掲出句は三橋鷹女『羊歯地獄』および中村苑子『吟遊』より。
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