自由律俳句を読む 62 松宮寒骨〔2〕
馬場古戸暢
前回に引き続き、松宮寒骨句を鑑賞する。
あらためて戦争憎し無名戦士の墓に咲く合歓 松宮寒骨
この世代の方々は、あらゆる戦争を経験してきている。ここでの戦争がどれであったのかわからないが、この無名戦士の墓はいつもきれいに掃除されているように思う。
球根むずむず芽出したがつている朝 同
子供のころの球根観察の授業で、耐えられずに球根をむしって芽を取り出した同級生がいた。きっとむずがゆかったのだろう。
貧しさは言はず春蘭咲いた一鉢 同
蘭ときくと高級なイメージを持っているが、春蘭はそうでもないのだろうか。そう思ってググってみると、そうでもないらしい。いつかみつけてみたい。
こどもひとり来てペンギン鳥にあざけらる 同
一読、「ペンギン鳥」とは何か悩んでしまった。ここでは、「こどもひとり来て/ペンギン/鳥にあざけらる」と読むべきか。人間の子供とペンギンと空を飛べる鳥と、三者の様子を詠んだものだろう。
老農炉端にすわる太い指が十本 同
太くて浅黒い指には、なんともいえない安心感を感じる。働き者の手だからだろうか。
1 comments:
春蘭の句ですが、園芸品種として改良されたものでなければ自然の野山にふつうに生えていますね。生えやすい条件等を知っていれば探すのはそれほど困難ではないです。
つまりお金をかけないで入手することが原理的には可能なわけで、挙句では貧乏であっても春蘭を飾り愛でるような心のゆとりはあるということでしょう。控え目で清楚な春蘭だからこそ効いていると思います。
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