【週俳8月の俳句を読む】
不思議な気付き
長嶺千晶
背表紙だけ見ている恋とあめんぼと 宮崎斗士
まだ一歩、実際には踏み出せない恋が良く表現されていて若々しさを感じた。あめんぼの力みぶりも一句をひきたてている。その昔、形而上だとか形而下とか恋にもいろいろ理屈をつけてみた時代を思い出した。そんな新鮮さがある
汗かいて泣いてアンパンマンが好き 遠藤千鶴羽
子育てを経験しなかった私にも子供のエネルギーの半端ではない凄まじさが感じられる一句である。即物的な表現が言外の子供への想像をかきたてる一方、母の身になれば子育てはやはり生涯にわたる大事業だと思われた。
貝となる祈りの掌中にジュゴン寄る 豊里友行
「辺野古」の題から想像が広がる一句である。日本でも数少ない海の楽園が基地によって壊されていくことへの憂いが冒頭のこの一句の「祈り」の言葉に託されている。主張がある連作だが、詩的なモチーフによって俳句よりも現代詩に近い言葉の斡旋を思う。そこに俳句の新たな可能性もあるのかもしれない。
材木に月のひかりの工務店 佐藤文香
「淋しくなく描く」50句より。今の季節にふさわしい一句をと選んだが、他にも惹かれる句が多かった。この句は、実感があり、月のひかりの季語が生きていると思う。50句の中には、季語が無い方が、もっと自由に詠めるのでは、或は季語の情趣とのギャップを狙ったところが返って季語を余計なものにしてしまっているのではと思われた句もあったが、全体的にあっけらかんとした現代風景が個性的で、題の「淋しくなく描く」にふさわしいと思った。
向日葵を見ている顔が小さくなる 竹内宗一郎
この「椅子が足りぬ」10句は全体として不思議な気付きがある。この句にしてもこんなことを思った人は今までいなかったのではないかと思う。こういう感性の鋭さ、微妙な機微は俳句には向くのだろう。10句の中でも作り上げ過ぎずに、独り言のようなさりげない俳句に特に惹かれた。
炎帝の幽靈門へまたひとり 司ぼたん
中野の哲学堂での連作で、暑い中での吟行の成果を思う。哲学的に命名された建物や場所の概念的な言葉の面白さを一句に活かすのは難しい作業だが、それが上手に詠みこまれ
俳句の世界を広げていると思う。掲句も白昼夢のような面白さがあり、10句ともに力作と思われた。
抱かれて子は稲妻を恐れざる 江渡華子
「花野」10句は子育ての俳句だが、作者はその真っ最中なのであろう。どれも実感があり、表現もリアルだがそこに詩情があふれ、綺麗ごとには終わらない強さがある。掲句も母性の強さに守られた子供の安心感が伝わってくる。母というものは女をここまで強靭にするのだろうか。これらの句に親子の絆と、父親という存在の微妙さを垣間見て、作者の現実を捉え、それを句作し、生き抜こうとするエネルギーに圧倒された。今になって子育て俳句が一つのジャンルのように言われるが、他の追随を許さない出色の出来と思う。今しか詠めない子供の日々を詠みとめて行ってほしいと切に思う。
月の夜に帽子の下にかほがある 小津夜景
萩原朔太郎の「月に吠える」からの本歌取りといった趣向の俳句である。結局自分のリアリティをどこにもつかということと本歌を越えなければ本歌取りの意味をなさないのではという2点が問われるのだと思う。掲句にも引かれた「帽子の下に顔がある」を草田男は「菜の花や夕映えの顔物を云ふ」まで変化させたのではないかと思っている。その意味では、朔太郎の詞から連想された言葉の広がりがさらに欲しかったと思う。
第380号2014年8月3日
■宮崎斗士 雲選ぶ 10句 ≫読む
第381号2014年8月10日
■遠藤千鶴羽 ビーナス 10句 ≫読む
■豊里友行 辺野古 10句 ≫読む
第382号 2014年8月17日
■佐藤文香 淋しくなく描く 50句 ≫読む
第384号 2014年8月31日
■竹内宗一郎 椅子が足りぬ 10句 ≫読む
■司ぼたん 幽靈門 於哲学堂 10句 ≫読む
■江渡華子 花野 10句 ≫読む
■小津夜景 絵葉書の片すみに 10句 ≫読む
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