【週俳8月の俳句を読む】
新たな気づき
阪西敦子
このザイルが切れたところで昼寝覚 宮崎斗士
よくある、というか、実際はそんなにない、よくありそうな夢の、よくありそうな昼寝覚。ほとんど漫画の域のベタな夢見だけれど、それを、きっと切れるんだぜとわかりきっている本人というのは案外に新鮮。「この」ザイルが「切れたところで」という不安定な物言いに、夢の実感(?)がある。切れない可能性も、覚めない可能性も残して。
朝顔に葭簀抜けたる日差かな 遠藤千鶴羽
大きく庇をとった家に、おおきな葭簀を立てて、朝顔もその中に入れてやる。ひれひれと花弁の揺れにしたがって、日差の形も揺れる。どこから見ているのかわからないけれど、まだ家の中にいてそれを眺め、日差の強さを推し量りながら、家を出るのをためらうのかもしれない。暑い日の朝は、朝顔と葭簀だけで十分。
鮟鱇の夢さばかれた白図面 豊里友行
七つ道具などと部位を呼び立てながら捌かれる鮟鱇。食べることの昂りと惨さをあわせもった習慣でもある。でも、ここでの「さばき」はそのこと単体ではない。食べられるということ以前の段階での、鮟鱇の夢、少なくとも食べられるまでは生きるということ自体への否定が、「白図面」によって表される食欲とは別の人間の欲望による否定が、仮名で書かれた「さばかれた」には感じられる。
罌粟の花弁のかたちの色が目にこもる 佐藤文香
えーっと、正しくはどういう言い方をするべきなのか、いや、これで間違いはないのか、どうなのか。しかしやはり、罌粟の花は、花弁のかたちの色を目に残すのかもしれない。いや、こもるのかもしれない。それは罌粟なのか、幻惑なのか。
歯並びに木の香のせまる夏の霧 佐藤文香
歯並びに、木の香はせまるのか。歯にせまるのか、そこに嗅覚はあるのか。でもやっぱり歯並びにせまるのではないのか。身体性と自意識の境界が捉えた木の香。
貸ボート左の空が明るくて 佐藤文香
状況も意味もあまりなくて、ただそういうこと。貸ボートのいろいろな気分が、木の香のように迫ってきて、読んでいてなんだか息苦しい。
丸椅子にパイナップルを置いて描く 竹内宗一郎
あまりおいしそうではないパイナップル。丸椅子に置いて描くとは、食べ物に於いては敬遠といった待遇だろう。存在感もあるし、いろんな筆づかいを駆使できて、質感の描き訳も、明暗も細やかだ。確かにおもしろいけれど、あまり食欲をそそらない、とは、ずいぶんな言い方。
燈籠の鬼の中腰草いきれ 司ぼたん
あまりよく見たことはないけれど、中腰の鬼の彫られていることがあるのかもしれない。草いきれの中から立ち上がるようでもある。草いきれを巻き上げながら進むようでもある。燈籠の上まで届く草いきれの濃さ、彫り物の鬼と呼応するほどの強さがよくわかる。
鬼灯やねむりのあさき子を背負う 江渡華子
実を宿して上へ向かって連なる鬼灯。そこに背負う子を思うことは自然かもしれない。では、背負った子の眠りが浅いことには、何によって気づくのだろう。鋭敏にして繊細な視線が、母となって得た新たな気づきが眩しい。
春の夜のみなもいちめん髪となり 小津夜景
その景は美しいのだろうか。黒く柔らかくうごめく水面は、月光を受けて輝きを返す。髪はやはり女性のものであって、そう思えばその景色はおそろしい。さらにじっとそれを眺めていれば、「水面一面」はなんとなく「はないちもんめ」を思わせる。ん、「はないちもんめ」は何であったか。
第380号2014年8月3日
■宮崎斗士 雲選ぶ 10句 ≫読む
第381号2014年8月10日
■遠藤千鶴羽 ビーナス 10句 ≫読む
■豊里友行 辺野古 10句 ≫読む
第382号 2014年8月17日
■佐藤文香 淋しくなく描く 50句 ≫読む
第384号 2014年8月31日
■竹内宗一郎 椅子が足りぬ 10句 ≫読む
■司ぼたん 幽靈門 於哲学堂 10句 ≫読む
■江渡華子 花野 10句 ≫読む
■小津夜景 絵葉書の片すみに 10句 ≫読む
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