〔ハイクふぃくしょん〕
猫のばか
中嶋憲武
『炎環』2013年4月号より転載
チーコが死にました。チーコというのは、おかあさんとわたしが大事にかっていたカナリアです。三学期がはじまって、二週間ほどしたある朝、となりのくつ屋さんの猫が、ベランダの鳥かごをあけて、くわえていったらしいのです。その日は金よう日で、パートからおかあさんが帰ると、くつ屋のおばさんがティッシュにくるんだチーコを連れておとずれて、本当に申しわけありませんとあやまったというのです。わたしはその話をおかあさんから聞いたとき、くつ屋さんの猫がにくらしくてどうしようもなくなり、でもどうすることもできないので、わんわん泣きました。妹のアズサも、宿だいをしていた部屋から出てきて、いっしょに泣きました。
「ナナミちゃん、出かけるときに、おかあさんが鳥かごをしまいわすれたのがいけなかったのよ」と言って、おかあさんは涙をぽろぽろこぼしました。
ティッシュのなかのチーコは、あんなにやわらかだった羽もがしがしになって、足のつめは、宙をひっかいているようでした。心のなかで、どんなに猫をのろってもチーコはもう帰ってきません。チーコが元気だったとき、おかあさんはよく英語のカナリアのうたをうたっていました。「ブルッブルッブルッブルッカナアリー」というところばかりよく聞こえたので、カナリアがぶるぶるふるえているうたなんだと思っていました。だい名を知った今でも、そのいんしょうは変わっていません。
その夜、チーコをタオルにねかせて、まわりに花をいっぱいおきました。おせんこうもいっぱいあげました。おとうさんが帰ってきて、チーコが死んだてんまつを聞くと、
「そうか。しかたないな。でも猫にわるぎはないんだよ。ほんのうだもの」と言って着がえに行ってしまいました。
なっとくの行かない気分でいると、アズサがわたしの肩に手をおき、
「チーコも星になるんだね」と言うので、わたしは、あしたおはかつくろうねと言いました。
つぎの日。チーコを小さなタオルにつつんで、花といっしょに小さなお茶のかんに入れました。チーコを入れたお茶のかんとスコップを持って、わたしとアズサは外に出ました。
へいの上に、くつ屋さんの猫がねていたので、わたしは猫に「ばか」と言いました。アズサもまねして「ばかばか」と言いました。猫はねていました。
川のほとりの、大きなキリの木の根もとにうめることにしました。この木は春になると、きれいなむらさき色の花をたくさん咲かせるのです。
チーコをうめて、大きな石をひとつおいて、わたしとアズサは、チーコが天国へ行けるよう、おいのりをしました。
「これで本当にお別れだね」さようならと言って、歩きだしました。わたしはふりむきませんでした。アズサはいちどだけふりむいたようでした。
大寒の土カナリアの死のひとつ 増田守
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