意志ある声
谷口忠男句集『桐咲く村』の一句
小沢麻結
啼く虫に応へる虫のありにけり 谷口忠男
季題は「虫」で秋。虫が啼いている。その虫にまるで応えるかのように啼き出した虫がいる。虫の音に耳を傾けたことがある人ならば、掲句は体験的にも、わかり易い句の一つではないだろうか。
写生句と考えるのが良いだろう。輪唱のように虫の声が声を追いかけてゆく。小さな一つの声が、声を呼び、やがて、天から虫の音が降り注ぎ、辺りを包んでいるかのような虫時雨となるのだろうか。鈴虫などの成虫の寿命は、1~2か月という。深まりゆく秋の実感とともに、精一杯今を啼き尽す虫の音の美しさが心に沁みてくる。
或いは、中七を、今応えて啼き始めた一匹の虫に焦点を当てて、読んでみるのも面白い。限られたひと時、命を繋ぐために啼く虫に応える虫がいる。声が声に出合うことは奇跡のように思えてくる。求めれば応えが得られるとは限らないのだ。
何故作者は、「鳴く」ではなく「啼く」という字を選択したのだろう。集中には他にも「虫」を詠んだ句が収められているが、「啼く」は使われていない。角川『新字源』によると、「「啼」は、声をあげること、(略)「なる」の意には使わない。」とある。この句は虫の「音」としてではなく、「声」として詠まれたからではないだろうか。つまり作者は、意志的に虫が声を発したと感じたのではないだろうか。
掲句からは、「啼く虫」と「応へる虫」に対する作者のあたたかな眼差しを感じる。下五の詠嘆の助動詞「けり」の効果でもあろう。「虫」を詠んでいる句でありながら、私はこの句に励まされる。心象句としても受け止められるのだ。
私の場合、未熟さや勉強不足を痛感することも度々だから猶更なのかもしれない。自作の句に、誰かの共感を得られるのは素直に嬉しいと、作句を重ねる者は知っている。同時に、俳句の読み手は、多くの場合作者でもあるから、共感する句に出合う喜びも知っている。がんばって俳句を続けてゆこう。共感する喜びも、される喜びもその先にきっとあるよと、遠く見知らぬどこかからそんな声が聞こえる気がする。
谷口忠男句集『桐咲く村』1999年/ふらんす堂
2015-01-25
意志ある声 谷口忠男句集『桐咲く村』の一句 小沢麻結
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