2015-06-14

【週俳5月の俳句を読む】 かすかな音 蓜島啓介

【週俳5月の俳句を読む】
かすかな音

蓜島啓介

夏蝶の踏みたる花のしづみけり 村上鞆彦

なんと繊細な写生なのだろう。夏蝶が花を「踏む」、そしてその花が「しづむ」。こうした動詞の選択は、できそうでなかなかできない。夏蝶が花に触れたかすかなやわらかな音まで聞こえるようである。花を踏んで飛び立つ蝶の生命力が感じられ、これはやはり「夏」蝶でなければならないであろう。

水といふ水にさざなみ梅雨晴間 下坂速穂

湖か川か、作者の見渡すところ一面の水がさざなみ立っている。梅雨晴間の心地よい風が感じられる。作者の心も静かにさざなみを立てているようである。

間違っておかあさんという初夏でした 柳本々々

間違えて「おかあさん」と呼んでしまう。それはいろいろな状況が考えられる。例えば、雑踏の中で母と思って呼びかけたら別人だったとか。家で物音がしたので母かと思って「おかあさん」と言ったら父だったとか。朝誰かに起こされて寝ぼけて「おかあさん」と言ってしまうとか。どのような状況であれ、「おかあさん」と呼んだ後にしずかに残るのは母の不在の事実であり、この句は「初夏でした」という明るい季節感の中にありながらしんと寂しい読後感を残す。
柳本々々氏は、「いろんなひとをお母さんと呼びたくなったりもする」、「ある日であった森のくまさんにさえ間違えて、おかあさん、と呼びかけてしまう」と書いている。相手と作者とのもともとの関係性(あるいは無関係性)が、「おかあさん」と間違って呼ぶことによってすこし揺らぐ。それは、裏返していえば、母と作者との関係性の揺らぎでもある。そこにこの句のおもしろさがあるように思った。
この句を繰り返しあじわっていたら、笹公人氏の「一瞬でケンシロウに殴り殺される雑魚にも母がいるということ」(『抒情の奇妙な冒険』所収)が思い出され、いっそう切なくなったことであった。

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