自由律俳句を読む 104
「松尾あつゆき」を読む〔1〕
畠 働猫
世代にもよるのだろうが、日本人にとって夏とは鎮魂の季節でもある。
祖霊の帰るお盆とともに今年70年目を迎える終戦の月でもある8月に、松尾あつゆきの句を振り返ってみたい。
自分は「戦争に反対する」という言葉には違和感を覚える。
戦争を「行為」として捉えるならば、それに反対をすることもできよう。
しかし、戦争とは「行為」ではなく「現象」ではないのだろうか。
特にすでに起こってしまった戦争、そして直接戦火に晒される者にとっては、それは否応なく巻き込まれる災禍という現象である。
その中で翻弄される姿が詠まれた松尾あつゆきの句群について、今回と次回の2回に渡り鑑賞を試みる。
<略歴>
松尾あつゆき(まつお あつゆき 1904~1983)
長崎県に生まれる。長崎高等商業(現長崎大学経済学部)卒業後、長崎市立長崎商業学校にて英語教諭となる。23歳で層雲に入門。荻原井泉水に師事。その後、長崎市立商業学校を退き、長崎大浦食料営団勤務。
1945年8月9日。敦之(41歳)、妻 千代子(36歳)、長女 みち子(16歳)、長男 海人(12歳)、次男 宏人(4歳)、次女 由紀子(1歳)、長崎市にて原子爆弾被爆。
次男 宏人、次女 由紀子、被爆により死去。
翌8月10日、長男 海人死去。
8月13日、妻 千代子死去。
8月15日終戦。4枚の爆死証明書を受け取る。
その後長女とともに長野県へ移り、後遺症に苦しみながらも高校教諭として勤務しながら句作を続けた。
1983年79歳にて死去。
句集に『火を継ぐ』『原爆句抄』などがある。
月の下ひっそり倒れかさなってゐる下か 松尾あつゆき
月の下子をよぶむなしくわがこゑ 同
「ゐる」は「かさなって」に続いて状態を表す補助動詞ではなく、「居る」という存在を表す自動詞であろう。子の身体の上に倒れ重なるのは瓦礫か、それとも無数の亡骸であろうか。呼ぶ声も届かないことがわかっている。それでも口から漏れ出る声が、まるで自分の声ではないかのように聞こえているのだろう。
母をたづねあぐみてひとり月くらき壕のうち 同
子供が哀しみ苦しんでいる。そこでなすすべがない。なんという絶望だろうか。
炎天子のいまはの水をさがしにゆく 同
いまは、木の枝を口に、うまかとばいさとうきびばい 同
「炎天」である。おそらく水はない。末期の水さえ与えられない。こんなにも簡潔に表現された絶望に息を吞む。せめてもの代わりに水分のある木の枝をくわえさせたのだろうか。ほかに術がない。しかし子は、それをさとうきびだと言う。互いに互いを思い合いながら親子はその時を迎えるのか。
わらふことをおぼえちぶさにいまもほほゑみ 同
「いまも」は「今際も」であろうか。乳飲み子が乳房に抱かれほほえみながら死んでいく。このように過酷な運命が降りかかるほどのどんな罪が母子にあったというのか。
ちちをすうてこれもきえむとするいのちか 同
乳飲み子が死に瀕してなお懸命に乳房に吸い付いている。生きたいのだ。こんなにも小さく儚い命であっても。しかし。
母のそばまではうてでてわるうてこときれて 同
母に会えた喜びであろうか。それともこんなにも幼い命が、残していく母のために笑ったのであろうか。
この世の一夜を母のそばに、つきがさしてゐるかほ 同
最後の夜をせめて母のそばで過ごすことができたのだろう。月明かりに照らされた顔がせめて安らかであればと願う。
外には二つ、壕の内にも月さしてくるなきがら 同
死が月明かりとともに露わになっていく。壕の外の二人。そして壕の中でこと切れた一人。夫婦が慈しみ育てた生命が今は亡骸として月明かりに照らされている。
こときれし子をそばに、木も家もなく明けてくる 同
なにもかも無くなってしまった荒野で、死んでしまったわが子のそばに座り込んでいるのか。それでも朝はやってくる。生き残った者には、また一日が始まるのである。
すべなし地に置けば子にむらがる蠅 同
「すべなし」という終止形が効果的に過ぎる。言い切った言葉に作者の苦衷が凝縮されている。子の亡骸を、どうすることもできず地面に横たえている。集まってくる蠅を追い払うこともできない。
「すべなし」。
戦争のもたらす巨大な災禍、暴力の前に人はなんと無力なのだろうか。
そしてこの句に向き合ったとき、鑑賞者である我々もまた、己の無力さを、無知を突きつけられるのである。
以上12句は、あつゆきの全句集である『花びらのような命』(竹村あつお 編 龍鳳書房)中から採った。
戦争は現象である。
しかし、天災ではなく人の手によって起こる人災である。
だからこそ、あらゆる手段をもって回避すべきであり、また、回避することが可能であるはずだ。
そのためには真摯に向き合わなくてはならない。
そして、冷徹でなくてはならない。
悲しみを繰り返さないためには、熱い感情に根ざした分析的な視点が必要である。そうした智慧の結集によって、人類が永遠に戦争という現象から解放される日を祈念しつつ本稿を終える。
次回も引き続き、「松尾あつゆき」を読む〔2〕。
2015-08-02
自由律俳句を読む 104 「松尾あつゆき」を読む〔1〕 畠働猫
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