【週俳7月の俳句を読む】
毎日暑いので韻律についてちょっと考えた。
岡野泰輔
俳句の韻律について考えさせる句群が集まった。私はこれまで韻律について真剣に考えたことはなかったが、定型の力、またそこから意図的に逸脱していく力もそれぞれで、作者によっての違いもおもしろかった。
みづうみのなくて風吹く大暑かな 安里琉太
こういうのは、文句なしにきれいだ。この流麗な感じは定型、それも和歌由来の口当たりのよさか。一句は「みづうみ」という言葉の流麗さに支えられている。みづうみは現前せず、みづうみという言葉の上をただ風が吹いている。大暑なのに涼しい。
ところが
爪のかたちにずれがある定刻 馬場古戸暢
これはどうだ。五七五の定型への意図的な逸脱とか抵抗はなく言葉ははじめからそこにあったように置かれている。定型を頭の片隅に置きながら、俳句として読もうとする読者には、ついに実を結ばない俳句律。それに輪をかけて先送りされる意味。その焦点を結ばない律と意味の相乗効果をおもしろいと思った。
句末に印章のように打たれた定刻の二文字、この後に金属音の残響を聴くがそれがずれているのだという、しかも爪のかたち。
鳩は嘴開け蟷螂まさに生れ零れ 竹岡一郎
こちらはしっかりと定型律を内在し、言葉の過剰はその律の檻を食破らんばかりの奇観を呈している。全体にエネルギッシュで万物が交情するヒエロニムス・ボッシュを思わせもするし、一部、藤枝静男の『田神有楽』のようなけったいな世界を覗く楽しさ。このような高圧の作が30句並ぶのは壮観。
夢助を煽りて蟹は侵攻中
昼寝して知らぬ赤子が這ひまはる
定型にぴったり納まっても蟹や赤子は禍々しく生動を止めない。
水漬く鞄がとめどなく産む舟虫
木耳の緋にはばたくが谷の儀式
いったいここで何が起きているのだろう。生物—無生物の間で際限なく繰り返される交感のなまなましさ。俳句の生まれる前の景色か。
陸続の虹の如きがまとひつく
この陸続がたまらない、寝汗をかきそうな夢を見ているようだ。
君持つ其れ流木或いは氷菓の匙 生駒大祐
遠い祭囃子呼吸に水を使ふ彼ら
周到に韻律を引き伸ばし、それでいて弛緩をもたらさないような太極拳(やったことないけど)のような呼気、吸気のバランスがあるように思う。
君持つ其れ/流木或いは/氷菓の匙 6-14(8・6)
遠い祭囃子/呼吸に水を/使ふ彼ら 9-13(7・6)
2句目から3句目にかけての息の長さが修辞のおしゃれ感をいや増している。
また〈煙は上へのぼる眺めてゐるサンダルを履いて〉など、こんなに遅延させていいの?と思わないでもないが
灼けて全て光駅に待てる列車すらも
となると、このぎくしゃくとした、躓くような律が何てことのない叙景を、新しい抒情の域まで高めているのではないか。
第429号2015年7月12日
■仮屋賢一 誰彼が 10句 ≫読む
■安里琉太 なきごゑ 10句 ≫読む
第430号2015年7月19日
■馬場古戸暢 一日 10句 ≫読む
■竹岡一郎 炎帝よなべて地獄は事も無し 30句 ≫読む
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