後記 ● 福田若之
知られているように1年はだいたい52週間で、52は4で割り切れます。そして、『週刊俳句』のアップ当番は4人の輪番制です。
だから、これはまったく偶然ではなく、むしろ単なる必然でしかないのですが、ちょうど1年前、僕はやっぱりだいたい同じ時間帯に、この同じパソコンで、同じように後記を書いていました。
なんではっきりそれを思い出すことができるのかといえば、俳句甲子園。
そう、ちょうど一年前、僕は高校生にむけて、とっとと寝なさいというおせっかいなことを書いていました。
そんなわけで、僕はいま、二度とない今年だけの俳句甲子園が今年もやってきたんだと改めて感じているところです。
「俳句甲子園」は、それ自体、ひとつの季語に違いありません。それが歳時記にのっていないとしても、それを詠んだ句が俳句史に未だ深く刻みこまれてはいないとしてもです。
僕がそう思うのは、単に、俳句甲子園が毎年同じ季節に開催されるからというだけではありません。その繰り返しが、決して完全には同じことの繰り返しになることがないからです。
言葉を書くときに選べる文字の数は限られていて、俳句は長さも限られているから、ありうる俳句の数は有限だ、という考え方があります。けど、僕は、俳句の数は無限だという考え方を選びたいと思います。同じ言葉が指し示すものがたえず移り変わっていくかぎりで、すなわち、同じ言葉が新しい現在と新しい関係を持ち直し続けるかぎりで、俳句は無限のはずです。それを古くから支えてきたのが、季語だったのではないでしょうか。去年の八月と今年の八月とは、同様に八月でありながら、決定的に異なる八月です。
ただし、この点で、「俳句甲子園」は特殊な季語だといえます。というのも、それを季語であると言いうるのは、すなわち、それが毎年かならず繰りかえされるだろうという確信は、俳句が無限であるということにも由来しているはずだからです。もし、いつか俳句が尽きるのだとすれば、そのときには俳句甲子園も終わるしかないはずですから。
このことが示唆しているのは、「俳句甲子園」という季語においては、この言葉が季語であることと俳句が無限であることとが相互に支えあっているということです。すなわち、ただ季語が俳句を無限にするだけでなく、俳句が無限であるからこそ季語が季語として成立しているということです。
もしかすると、いつの日か、何かとても批評的な資質を持った一句がこの季語によって生まれるのではないでしょうか。なにしろ、俳句甲子園というのは、創作の場であるだけでなく、批評の場でもあるのだから。そんなことをうつらうつら思いながら、そろそろ今夜の後記を締めくくりたいと思います。
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それではまた、次の日曜日にお会いしましょう。
no.435/2015-8-23 profile
■藤井あかり ふじい・あかり
1980年生。「椋」会員。句集『封緘』(2015年 文學の森)。
■大塚 凱 おおつか・がい
1995年千葉県生まれ。俳句甲子園第14、15、16回大会出場。「群青」同人。
■太田うさぎ おおた・うさぎ
1963年東京生まれ。「豆の木」「雷魚」会員。「なんぢや」同人。現代俳句協会会員。共著に『俳コレ』(2011年、邑書林)。
■山田露結 やまだ・ろけつ
1967年生まれ。愛知県在住。銀化同人。共著『俳コレ』(2011・邑書林)。句集『ホームスウィートホーム』(2012・同)。共著『再読 波多野爽波』(2012・同)
■福田若之 ふくだ・わかゆき
1991年東京生まれ。「群青」、「ku+」に参加。共著『俳コレ』。現在、マイナビブックス「ことばのかたち」 にて、「塔は崩れ去った」掲載中(更新終了)。
2015-08-23
後記+プロフィール 435
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