敏雄のコトバ(2)
生駒大祐
新興俳句の遺産としてどういうものがあるかというと、失敗例としての遺産ですよ。これを学ばない人は知らないで過ぎちゃう。(中略)そういう意味で、新興俳句の遺産を現在誰が受け継いでいるかというと、口幅ったいがぼくが受け継いでいるといいたい。すべての失敗例を知っている。失敗の歴史を知っていることが、たいへん力になってますね。「俳句朝日」増刊 朝日新聞社 1999年3月 三橋敏雄インタビュー「新興俳句の遺産と現在」
「すべての失敗例を知っている」。敏雄以外が言えば、空虚な言葉かもしれない。しかし、敏雄が言うと、言葉が形を持って立ち上がる。その形とは、弾圧を受けて検挙された俳人たちの横顔であり、忘れられつつある戦没者たちの輪郭であり、敏雄自身の姿でもある。僕は敏雄の声を知らない。歩く姿を見たこともない。敏雄も、歴史となりつつある。
新興俳句の遺産は失敗例としての遺産だとし、それを敏雄自身が受け継いでいると言う。その態度には、いわば自身の足跡を全て焼き払って生きてきたような凄みを覚えると同時に、並々ならぬ覚悟を感じる。批評性を強める余り自らをも否定してしまったとも思える新興俳句。生きてそこに立っている敏雄は、自身を不義理だとすら思ってしまえる立場かもしれない。
しかし、俳句を俳句たらしめるために客観的に歴史を振り返り、自分の言葉で語る敏雄は、自己目的化した言葉は使わない。死ぬために生きることもしない。自身が生きるために、俳句が生きるために。そういう言葉を口にしようとしているように見える。
このインタビューの終盤の言葉を引く。
なにもたくさん作らなくたっていいんだ。何句か俳句の表現史に残るようなものができればいいわけですね。それを期待します。自分にはもう無理だけど、この次に来る連中に。
待遠しき俳句は我や四季の國 三橋敏雄『長濤』
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現代俳句協会青年部 第140~144回勉強会
「読み直す新興俳句 何が新しかったのか」全5回
第3回 11月1日(日)三橋敏雄
岸本尚毅 遠山陽子 山口優夢 (司会)生駒大祐
http://genhai-seinenbu.blogspot.jp/2015/10/1401445.html
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要申込(定員40名)
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