【週俳10月・11月の俳句・川柳を読む】
木だけが生きている
いきること・とがること・まつこと
柳本々々
木だけが生きている。(ベケット、安藤信也・高橋康也訳『ゴドーを待ちながら』白水社、1990年、p.170)
千倉由穂さんの「器のかたち」を読んでいて、〈きっさき〉というものを感じたんですね。この連作は、「木だけが生きている」世界なんじゃないかと。
「木だけが生きている」世界っていうのはどういうことかというと、〈先端化〉する世界です。ではどうして〈先端化〉していくのかといえばそれは〈かたち〉を与えられるからではないかとおもうんです。
たとえば、
マスク押し進めるように歩む人
ここではマスクが〈動き〉の焦点になっていますが、マスクという〈先端〉が焦点化されることで、「歩む人」が〈先端化〉していきます。〈ひと〉よりも〈かたち〉になっていく。語り手は、「マスク」という季語をとおして〈冬のかたち〉に気が付いている。冬は〈かたち〉が生きてくる季節なのだと(〈防寒〉は〈裸〉から離れてゆくことによってめいめいがさまざまな〈かたち〉に分節していくことです)。
だから、冬にはいる前に、〈身体〉は遠のいてしまう。
暮らしより遠のく身体鰯雲
でもここにも「鰯雲」という〈先端=かたち〉が見え隠れしていたはずです。「身体」が「遠のく」と同時に「鰯雲」の〈かたち〉があらわれてくる。「秋蝶」の〈触角〉や「神木」にも。
凍星のどこかでペンを置く教師
鉛筆を削る凍星には見せず
この二句は「凍星」という季語を介して、「ペン」と「鉛筆」が対照になっているとおもうんです。どちらも〈先端〉でありながら、「教師」と「〈わたし〉」で〈先端〉の質がすこし変わってくる。「教師」は〈先端=ペン〉を「凍星のどこか」に「置」き、〈わたし〉は〈先端=鉛筆〉「を削」りながらもそれを「教師」がいる「凍星には見せ」ない。
両者は「凍星」で共通の地盤をつくってはいる。つくってはいるけれど、「ペン」と「鉛筆」が〈おなじかたち〉でありながらも内実や使い方はまったく異なるように、「教師」と〈わたし〉はまったくべつの〈かたち〉をとっている。それがおのおのの〈生のかたち〉だからです。
だから、それら〈生のかたち〉と〈生のかたち〉がもしエロス的に溶解しあうことになれば、〈器のかたち〉を大切にする語り手にとっては「恐ろし」いはずです。なぜなら恋愛を〈スル〉ということは〈かたち〉と〈かたち〉が溶解しあい、〈非かたち〉をとり続けることを〈了解〉することだからです。
恋風という語恐ろし実南天
だから「恋風という語」は「恐ろし」い。それは〈かたち〉を破壊する「語」であるのだから。そしてさらにその「恋風」=恋愛のさきに予期されるアマルガムな共同体があるはずです。「家族」です。
家族という器のかたち寒牡丹
「家族」もまた〈かたち〉と〈かたち〉が融合しあうことで、たえず〈かたち化=規範化〉できないようなアマルガムな共同体です。だから語り手はそれを「器のかたち」に還元しようとする。なぜならここは「木だけが生きている」世界だからです。「家族」はこの連作「器のかたち」のなかで「かたち」化され、めいめいの家族がめいめいの質感をもつように、おのおのの〈先端〉をもつ〈かたち〉になっていく。
ではこの「木だけが生きている」世界では、非定形としての〈ゴドー〉はやってはこないのでしょうか。
いや、最後に語り手は〈非かたち〉としての〈先端〉を見いだしていました。
待つこと、です。
生きるとは待つこと羆も人間も
〈待つ〉という行為は、たえずわたしを〈待たれる存在〉として〈先端〉へと投企していくことです。ここでは先ほどの「マスク」の〈かたち〉が「生きること」を通して〈非かたち〉としての〈待機〉としてあらわれています。
〈非かたち〉でも〈先端化〉できるということ。
それが語り手が最終的にたどりついた地点だったとおもうのです。「生きるとは待つこと」という〈生きられる木(生きられる先端)〉を発見したこと。その意味において、わたしたちはやっとこの本来的な意味にたどりつくことができるのです。
木だけが生きている。
だから、語り手は「羆も人間も」というエロス的混淆をもう恐れてはいません。その場所は「羆も人間も」溶解しあえるような地点であり、そのつどそのつど〈かたち〉が発見されるような〈生きられる先端〉なのですから。
生きるとは待つこと羆も人間も
二人は、からだを支え合って、身じろぎもせずに待つ。(ベケット、安藤信也・高橋康也訳『ゴドーを待ちながら』白水社、1990年、p.46)
第447号2015年11月15日
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■竹岡一郎
進(スス)メ非時(トキジク)悲(ヒ)ノ霊(タマ)ダ後篇:
■竹岡一郎 進メ非時悲ノ霊ダ(ススメトキジクヒノタマダ)
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