2015-12-13

【句集を読む】父に靴を 飯田冬眞句集『時効』の一句 西原天気

【句集を読む】
父に靴を
飯田冬眞句集『時効』の一句

西原天気


飯田冬眞句集『時効』(2015年9月25日/ふらんす堂)には「父」の句が多い。書名になった《時効なき父の昭和よ凍てし鶴》のほか、《海鳴りや父の帰らぬ雛の家》《しばれたる父の瞳に白樺》《雪ふみの父一徹の青き空》《薬嚙む癖父ゆづり枇杷の花》など。そんななか、強く印象に残ったのが次の一句。

父といふ逃水にまた靴履かせ  飯田冬眞

近づけば先へ先へと逃げる蜃気楼は、父という先人との関係を象徴するようにも解せる。視界の先という遠距離にはあるが、それほど遠くないという点でも、父の存在と似ているかもしれない。しかし、そこまで理屈っぽく、そこまで観念的に読むことはない。句の後半の「靴履かせ」で、「逃げ水」の喩えは、からだのやや弱った父の、すこしあやふやな、危なげな感じと結びつく。

この「靴履かせ」によって、前半の比喩的・象徴的・観念的な側面が、急激に(作者の)手元に引き寄せられる。

靴を履かせる足とは、自由に利かない足だろう。そんな状態の父親に靴を履かせた経験のある人間なら、わかると思うが、あの力のない足の感触、父の意思の感じられない足の感触は、ある種の衝撃をともなって自分の手に残る。そのときの感触は忘れられない。

掲句は、作者の手が、父に向かって働きかけ、父に触れている。父の存在、父の現在を、密接に、悲痛に感じ取っている。その点が、他の「父」の句が、父を風景や観念として詠んでいるのと大きく異なる。そこが(大げさにいえば)泣かせる。「時効なき昭和」といった把握(おそらく秀逸な把握)よりも、靴を履かせるときに手で足を握るという把握こそが、私を泣かせるのだ。


なお、「逃げ水」に「靴」を持ってくる、その巧みさが、この句を引き立たせていることを、蛇足ながら付け加えておく。



句集『時効』には「働く」句もまた印象深い。

大朝寝遺影めきたる社員証  飯田冬眞

徹夜なり紫煙まみれのががんぼよ  同

句が、いきいきと現実(=暮らし)を伝えると同時に、俳句的地味を醸しているのは、「大朝寝」「ががんぼ」の季語部分の効果にちがいない。

俳句に読者のジェンダー(私は男性です)を持ち込むと叱られるそうだが、男が読んで「ひとりの男」を感じる句集。


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