【週俳10月・11月の俳句・川柳を読む】
恋するわかめ、或いはわかめの不可能性について
川柳はときどき恋をしている
柳本々々
ラ・ロシュフーコーは、愛とは幽霊のようなものだ、と言っている。愛について誰もが語るが、実際にそれを見た者はいないからというのが、彼がこう断定した理由である。われわれは愛について多くの言葉を費やしてきたが、それを見たことがなく、それが何であるかを知らないのである。
(大澤真幸「「これは愛じゃない」」『恋愛の不可能性について』ちくま学芸文庫、p.12)
思い出そうともせず 忘れられてゆくことも/等しく 愛しく
(いくえみ綾『潔く柔く』13巻、集英社、2010年)
榊陽子さんの川柳連作「ふるえるわかめ」の詞書には、
(なな子、社長ほか代用可)
って書いてあるんですよ。
で、ですね。「代用可」ってことは、この川柳連作はふえて/ふるえているのは「わかめ」だけでなくて、〈川柳〉もふえているということになります。
たとえば、
泣いたってわかめわかめのショウタイム 榊陽子
に「もともと」という私の名前を代入して、
泣いたってもともともともとのショウタイム
でもいいわけです。ほかにも、
暴れるな夜着からもともと出てしまう
秋雨やふえるもともととコンドーム
よくこの句/歌のこの名詞がまだ〈動く〉ので(他でも代入可能なので)この名詞には必然性がないといわれて推敲することもありますが、榊さんのはそれを逆行して、逆に増やせ/殖やせといっているわけです。〈動け〉と。ここには必然性も必然わかめもないんだ、恣意的なわかめしかないんだと。
で、ここにある〈わかめ〉とはいったいなんなのか、なにが〈わかめ〉を通して起こってしまっているのか、を考えたときに、それは〈言いたいことの放棄〉なのではないかと思ったんですね。〈わかめ〉とは〈言いたいことの放棄〉である。もっと言えば、〈私の抛擲〉である。もっともっと言えば、〈なな子召喚〉である。
待つ側は気楽である。待つ側に立つということは、彼(女)の行為に意味を与え──その行為に(派生的な)能動性・自律性をもたらす──他者を、先取りしてしまう、ということに等しいからである。待たれる者にとって根本的に偶有的(不確定)であった他者が、待つ者にとっては、あらかじめ確定的なものとして設定されている。(大澤真幸「待つことと待たれること」『恋愛の不可能性について』ちくま学芸文庫、p.160)
あれは恋をした人の手だと思っていて/あたしは たぶん恋する聡ちゃんに恋をしました(志村貴子『こいいじ』1巻、講談社、2015年)
で、ですね。わたしたちはふだん川柳に対して「気楽」に意味を待っています。できあがった川柳からわたしたちの意味の冒険は始まっています。ところが榊さんの川柳では、まだ靴の準備さえできていない。なにしろ、不確定なわかめですし、ふるえるわかめですから、わかめ以外の可能性もありうる。だとしたら、まだ意味の組立はできないのです。
榊さんの川柳連作の前に立つことは、ベケット『ゴドーを待ちながら』でいつしかゴゴやディディが安心としての〈待つ者〉から不安としての〈待たれる者〉になってしまったように、そして恋愛をしているときひとは往々にして確定的な〈待つ者〉から不確定な〈待たれる者〉になっていってしまうように、榊さんの川柳連作においてもわたしたちは〈意味を待つ者〉から〈意味を待たれる者〉になっていくのです。
だから、わたしたちは、率先して、わかめの森をかきわけ・かけぬけて、代入しなければならない。これは、行為です。行為が、問題になっているのです。意味は、その《あと》です。意味は、あとからやってくる。あなたを、待っている。
最後にもういちど、代入してみましょう。
泣いたから訊けばわかめ/もともと/ゴドー/川柳にゃ顔がない
そういえば、恋愛とは、手に入れられないたったひとつの/すべての《顔》をさがすことだったのではないでしょうか。
ところで、愛する者にとっては、他者が、あるいは他者もまた、そのような究極的な準拠点として現れることとなる。(大澤真幸「恋愛の不可能性について」『恋愛の不可能性について』ちくま学芸文庫、p.70)
あの夏の日/鼻にも口にも耳にも 水が入って ゴボゴボいって あせればあせるほど沈んで 目も痛くて あけていられなくて/でも一瞬 水の中から見えた太陽は とてもキレイだった(岡崎京子「水の中の小さな太陽」『エンド・オブ・ザ・ワールド』祥伝社、1994年)
第447号2015年11月15日
後篇: 接吻一擲無智一擲惜しむべからず抱くまでは木琴聴いても正気が足 りぬ億兆の新たなる終末に洗濯は素敵だ! 30句 ≫読む
■竹岡一郎
進(スス)メ非時(トキジク)悲(ヒ)ノ霊(タマ)ダ後篇:
■竹岡一郎 進メ非時悲ノ霊ダ(ススメトキジクヒノタマダ)
番外篇:正義は詩じゃないなら自らの悪を詠い造兵廠の株価鰻上り に指咥えてる君へまつろう者を俳人と称えるが百年の計にせよ季無 き空爆を超える為まつろわぬゆえ祀られ得ぬ季語へはじめてのうっ ちゃり 17句 ≫読む
番外篇:正義は詩じゃないなら自らの悪を詠い造兵廠の株価鰻上り
0 comments:
コメントを投稿