【週俳12月の俳句・川柳を読む】
足裏の経験その他
西原天気
なにやらの獣骨脆し枯野原 角谷昌子
骨と枯野。いずれも死と関連付けられる事物。けれども、句の主眼はそこではない。「脆し」は足で踏んだのか手でさわったのか。足裏か掌かは、そこにある脆さを経験した。事物との交接こそが大切。これは俳句に限らないんだけどね。
●
小田原に広げる夜着は鶴の柄 太田うさぎ
私(たち)は、かならずしもことばを道理でもって受け止めない。いつも冷静であるとは限らないから。
(だいたいにして、俳句を、冷静に読むとは、いったいどんな態度だろう。読む快楽をもとめるなら、冷静とは逆の状態に自分をセットアップするのがいい)
落ち着いて考えれば、夜着を広げるのは、小田原の、とある場所で、ということになるのだろうが、一読、小田原全域に広がるような巨大な夜着が、イメージとして広がる。夜着に鶴が飛ぶなら、なおさらだ。
夜着がひろがり、そして夜が広がる。
おのづから夜は広がり浮寝鳥 同
夜は夜空として空に広がる。景の対照として下方の水平に浮寝鳥が置かれる。技法・しつらえについては、このときにかぎり、享楽的読者もまた、いつも冷静なのです。
●
鳥好きの亡き先生や冬の柿 西村麒麟
八田木枯の鳥の句ですぐ浮かぶのは《春を待つこころに鳥がゐて動く》。西村麒麟は小誌掲載「八田木枯の一句」でこの句をすでに取り上げている。
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2015/02/blog-post.html
掲句の「冬の柿」は、こころに棲む鳥が春に備える滋養のように読める。やさしさこのうえない柿。と同時に、木枯への敬愛に溢れる句。
2016-01-24
【週俳12月の俳句・川柳を読む】足裏の経験その他 西原天気
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 comments:
コメントを投稿