2016-06-26

それは確かに早計というほかはない 筑紫磐井「関悦史の独自性――震災・社会性をめぐる若い世代」に対して 福田若之


それは確かに「早計」というほかはない
筑紫磐井「関悦史の独自性――震災・社会性をめぐる若い世代」に対して


福田若之


筑紫磐井「関悦史の独自性――震災・社会性をめぐる若い世代」(『俳句四季』、東京四季出版、2016年7月号、22-23頁)を読みました。この記事では、生駒大祐、田島健一、鴇田智哉、宮本佳世乃とそれから僕、福田若之の五人をメンバーとしている同人誌『オルガン』の第4号での「座談会「震災と俳句」」(『オルガン』、2016年2月、13-43頁)が取り上げられています。その抜粋は、「【抜粋「俳句四季」7月号】「俳壇観測 連載第161回/関悦史の独自性――震災・社会性をめぐる若い世代」より抜粋」として、『BLOG俳句新空間』に掲載されています。

このことについて書くにあたり、まず、最初に書いておきたいことがいくつかあります。

僕たちの座談会の記事がこうしたかたちで総合誌に取り上げられて広く知られること自体は、僕個人は、ありがたいことだと思っています。そのことについては、磐井さんに心から御礼を申し上げたいと思います。ありがとうございます。

そして、もう一点、はっきりさせておきたいのは、これからこの場に書き記すことは、あくまでも、僕個人の考えであって、『オルガン』の同人全員の総意というわけではない、ということです。なにしろ、僕は、この原稿をここに掲載することについて、他の同人に相談さえしていません。

以下の文章は、そういうものとしてお読みいただきたく思います。



「関悦史の独自性」には、『オルガン』の座談会に先立ってメンバーの全員に宛てられた佳世乃さんからの質問状と、それへの各メンバーの回答が全文引用されています。その全体は、実は、上記のインターネット上での抜粋記事においても読むことができます。それはさておき、引用のあと、磐井さんの文章はこう続いています。

いわゆる「震災俳句」に批判的である。これは世代的な特徴であるかも知れない。座談会本文に触れないで言うのは早計であるが、全般的な特徴は「無関心」と言うことであろうか。それが個々によって、「受け入れがたい」「暴力的」という否定的評価と、震災を受けた個々の内面なら許容できるという限界評価などに分かれるようだ。(前掲「関悦史の独自性」、22頁)
その後、実際に、座談会本文には一切触れられることなく文章は終わります。 では、ここで、「触れない」という言葉はどういうことを意味しているのでしょうか。

僕は、最初、「(紙幅の関係で)引用しない」ということを「触れない」と書いているのかと思いました。けれど、文章全体を読むかぎり、磐井さんは座談会本文を「(時間や労力などの問題ゆえに)読まない」ということを「触れない」と書いているように思われてなりませんでした。

僕の誤解だとしたら申し訳ありませんが、もし事実そうなのだとしたら、それは確かに「早計」というほかはありません。

そもそも、大きな勘違いは、磐井さんが、『オルガン』の総意とでもいうようなものがあると仮定している点にあると思われます。おそらく、そんなものはありません。そもそも、僕らは様々な点で意見が異なっていて、だからこそ、こんなふうに座談会をしているのです。そして、僕らは、意見をひとつにまとめるために座談会をしているのではなく、異なる意見を交わし合うことがお互いにとっていい刺激となるから座談会をしているのです(少なくとも僕はそう思っています)。

ですから、たとえば、生駒さんの回答が、震災俳句について「作者としても読者としても関心がない」(前掲「座談会「震災と俳句」」、15頁)というものだったからといって、それを即座にほかの四人に当てはめて僕ら全員がそれに対して「無関心」であると括ることはできません。また、僕が《双子なら同じ死顔桃の花》(照井翠)、《「揺れたら関なの?」「じゃあ私も関」「じゃあ俺も」》(御中虫)、《瓦礫みな人間のもの犬ふぐり》(高野ムツオ)といった句に否定的な見解を示している(同前、14頁)からといって、それが『オルガン』のメンバー全員に共有されているわけではありません。

それゆえ、磐井さんがたとえば以下のようなことを書いているのは、大きな誤解だと言わざるを得ません――

このような議論を読むと「オルガン」と同世代の作家の関悦史に関心が向かざるを得ない。「オルガン」メンバーのひとり田島健一は「俳誌要覧二〇一六」の鼎談で「(現代詩だと和合亮一、短歌だと斉藤斎藤とあげた上で)俳句の世界だと関悦史さんを中心にそういった機運が出てきてもいいんじゃないか」と述べているからだ。照井翠、御中虫、高野ムツオとは差別化して、同世代の関悦史の独自の活動には注目しているようだ。(前掲「関悦史の独自性」、23頁)
照井翠、御中虫、高野ムツオ各氏の句に否定的見解を示したのは田島さんではありません。僕です。それも、座談会をお読みいただければ、僕の回答もまた、その意図が全面的な否定ではないのがお分かりいただけるはずです。以下は、僕の発言からの抜粋です――
別にこれらの作者の句が一般にこういう傾向にあるということではなく、こういう句に表れているのはどういう事態なのかをまずは考えたいなと。(前掲「座談会「震災と俳句」」、16頁)
要するに、三句を挙げたのは具体的なとっかかりとしてであって、この三名が震災に際して書いた句の全般を批判する意図などまるでないのだということは、座談会本文でちゃんと説明してあるというわけです。僕の批判は、このたった三句に限られて発せられたものにすぎません。この三句について「受け入れがたい」と書いたとき、僕はいわゆる「震災俳句」の全般を「受け入れがたい」と表明したわけではありません。そうではなく、僕は「いわゆる「震災俳句」」という(僕に言わせれば)雑なまとめ方を回避するためにこそ、具体的な句から議論を始める必要があったわけです。ふたたび、座談会中の僕の発言を引用しますが、僕が言おうとしていたのは、次のことです――
「双子なら同じ死顔」とか、「私や俺が揺れれば関である」という発想、瓦礫にはいろんなものがあると思うんですけど、それを「みんな人間のもの」と言うこと、そこで何かかけがえのなさの把握が決定的に失われていると思うんです。作者の力量の話ではなく、震災という状況がかけがえのなさを見えにくくする。そうした状況のなかで、かけがえのなさを「どう書いていくか」が課題だという気がしていて。自分でもあの時期に考えたことを俳句で書きましたが、それは「自分のことを書こう」っていう気持ちでした。(同前、16頁)
はっきり言えば、僕は、震災という状況に際して自分がそれを強く意識しながら俳句を書いたことを棚にあげて、震災と俳句のかかわりについて「無関心」になったわけではありません。そして、照井翠、御中虫、高野ムツオ各氏が震災に際して書いた句のうちで、かけがえのなさを読み取れる句については、僕は、単に言及していないというだけで、決して否定的ではありません。

ところで、磐井さんは、《地下道を布団ひきずる男かな》(関悦史)をはじめとした関さんの句を引用し、さらに、《国家よりワタクシ大事さくらんぼ》(攝津幸彦)や《げんぱつ は おとな の あそび ぜんゑい も》(高山れおな)を引用したうえで、「関も含めて、彼らは社会に関心がある。しかし決してそれらについて直接「語り」はしない」と書いています(前掲「関悦史の独自性」、23頁)。けれど、社会に対する関心なら、僕にだって、あるんです。そのことを、「社会詠って、自然に出てくるものじゃないですかね。社会のなかに生きていて、俳句を作っていれば、社会のことが自然と乗ってくる。それが社会詠だって言いたい」と、僕ははっきり言っています(前掲「座談会「震災と俳句」」、36頁)。

繰り返しお断りしておきますが、もちろん、これは『オルガン』の総意ではありません。たとえば、佳世乃さんは、鴇田さんの「社会性を出すことに嫌悪があるのかな。佳世乃さんは嫌悪があるよね」という問いかけに対し、「あるある(笑)。社会性を出しながらカタルシスまで行っている作品もあるけれど、少ないように思うよ」と答えています(前掲「座談会「震災と俳句」」、37頁)。一方、僕には、こうした嫌悪の情はほとんどありません。

座談会からは主に自分の発言ばかりを引用して言い逃れをしているように受け取られてしまうかもしれません。ですが、僕は、この座談会について、僕自身の発言の意図についてしか確かなことを書けませんから、どうしても、そうなってしまうのです。ご容赦ください。



最後になりますが、以上をお読みいただければ明らかなとおり、僕は、この座談会で、個別性の捨象、個別性に対する無視を問題にしていたわけです。ですから、僕としては、磐井さんには、この座談会を取り上げる以上、せめて僕らのそれぞれの個別性を無視しないでいただきたかったのです。僕がこうしてこの文章を書くに至ったことは、結局のところ、そうした気持ちによるのです。

0 comments: