あとがきの冒険 第1回
太宰・入会・未来
金原まさ子『遊戯の家』のあとがき
柳本々々
「あとがき」は〈どこ〉に向かって書かれるべきなのだろう。
「あとがき」を書きながら、こんなことを考えたことがある。「あとがき」は「あと」と名付けられながらも、どうもその《あと》としての性質よりももっと大事な要素がわたしにはあるように思われたのだ。
金原まさ子さんの第三句集『遊戯の家』の「あとがき」には太宰治の引用が出てくる。ちょっと引用してみよう。
三年前「らん」のお仲間に加えて頂いた時
「恥ずかしがっている者に向かって
おまえ、“恥ずかしくないのか”と
云えるのは鬼だ。(太宰治)。
ですから、どうか、ひとつ。」
とコメントしました。現在も全く同じ気持ちです。
私はこの箇所をみたとき、太宰も、それを引いて入会のコメントにしてしまう金原さんも面白いことを言われるなあと思ったのだが、どうも、太宰はこの〈ママ〉では言ってないようなのだ。この引用箇所を自分なりに探してみたところ、見つからない。
いや、しかしだ。引用箇所があるかどうかは問題ではない。太宰はたぶんこれと似たようなことを繰り返し繰り返し言っていたはずだ。こうした〈開き直り〉は太宰治のひとつのモチーフであり、〈開き直る〉からこそ、そこには不思議な(無根拠の)救済が生まれる(『ヴィヨンの妻』最後の「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」という率直で無根拠な言葉の力強さ!)。
でも、問題は、そこじゃない。この太宰のことばは、(たぶんなのだけれど)金原さんが太宰的なものを一点に凝縮し結晶化した〈即興〉のテクストなのではないかということだ。たぶんなのだけれど、この言葉は、太宰治全集を開いても、ない(たぶん、ですよ。あっても怒らないでくださいね。怒るのは鬼ですからね。でも、ないと、思うな)。
調べても出てこなかった以外に、理由がある。というよりも、出てきてもいい。もっと大事なのはこの(太宰治)の〈あと〉に書かれた言葉だからだ。
大事なのは、この(太宰治)のあとの「ですから、どうか、ひとつ」という太宰的言辞である。これは金原さんの発話になっているわけだが、しかしこの鍵かっこのなかでもっとも〈太宰らしい〉言葉は実は〈ここ〉ではないか。「ですから、どうか、ひとつ」という迂遠な、句読点多めの、婉曲の、しかし、他者へ切実に懇願するこの発話。これこそ、太宰治の文体ではないか。
つまり、金原さんの言葉は、太宰治を〈引用〉するというよりは、太宰治の言語空間と溶解し、往還しているのだ。そして、だからこそ、この入会のコメントは〈重み〉を持っている。このコメントが他者の受け売りではなく、発話者のおしゃべりでもなく、ある言語と言語がぶつかりあったときの〈創造〉だからだ。これこそ、俳句=言語への〈入会〉の言葉でなくてなんなのか。
いったい、わたしは、なにを言いたいのか。
「あとがき」とは、実は言語と言語がぶつかり合う空間だということだ。一冊の本をものしたあとに「あとがき」は書かれる。あとがきはつねになにかの《あと》なのだ。ということは、終わった言語空間にもうひとつの〈言語空間〉をぶつかり合わせることが「あとがき」なのである。
「あとがき」とは〈添え物〉であり〈よけいなもの〉ではある。本編はすでに終わっているのだから。でもその一方で、「あとがき」は《あと》と自称しつつも、著者の《これから》の顔を持っている。また、いつか、新たな言語空間をたちあげることを、「あとがき」は逆説的に予期するのだ。異質な言語と言語が混じり合う独自の空間を用意することによって。
賜ったいのちを大切になどという自覚もなく、只単純にさまざまな事をふしぎがり、おもしろがって生きて来たように思います。
「大切に」は《過去》に、「ふしぎがり、おもしろが」る力は《未来》に向いている。「大切になどという自覚もなく」「ふしぎがり、おもしろがって生きて」ゆくちから。金原さんは、未来に向かって、この「あとがき」を書いている。
だから金原さんに勇気づけられて、「あとがき」をこんなふうに定義してみたいと思う。
「あとがき」は未来に向けて書く言葉だ。
(金原まさ子「あとがき」『遊戯の家』金雀枝舎、2010年 所収)
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