【週俳7月の俳句川柳その他を読む】
涼しさに満ちている
近 恵
今年の夏は、いや既に秋だけど、とにかく暑い。駅から職場まで約10分、ただ歩くだけでまるでサウナに入ったかのように汗が噴き出してくる。更に更年期が追い打ちをかけ、ちょこっと集中したり焦ったりしただけでいきなりの滝汗である。私の夏は汗に満ちている。
みづうみに向く籐椅子の遺品めき 遠藤由樹子
「夏の空」は、そんな暑さが全く感じられない涼しさに満ちている。特にこのみづうみの句。湖面を渡ってくる涼風、夏の設えの籐椅子、そこがかつて誰かのお気に入りの場所で、その籐椅子は気に入られた誰かに腰かけられて一緒に湖からの風に吹かれていて、その誰かがもう来なくなってもずっとそこにある、そんな避暑地の物語を感じる。
風鈴と冷やし毛皮を売り歩く 竹井紫乙
折檻や冷凍毛皮に包まれて
幾万の毛皮が雪崩れ込んで来る
さて、今度は毛皮である。毛皮は冬のもの。暑さに追い打ちをかけられるかと思いきやこれが意外とそうでもない。「ドライクリーニング」という言葉になにか乾燥している語感があるからだろうか。冷やし毛皮なら真夏でも纏えばひんやりとするかもしれない。冷凍毛皮なら尚更だ。毛皮を冷やしたり冷凍したりという予想外のことに思わず引き寄せられてしまう。雪崩れ込んできた幾万の毛皮をまた冷やしたりして売りに行かなくてはならないのだと思うと泣けてくる。
意味ありげに夏の水面を見る田中 福田若之
「田中は意味しない」という一連の作品。実験的だと思う。文字通り「田中」には意味がなく、私でもあなたでも中田でも福田でも子供でもダルマでもいいわけで、ただ「田中は意味しない」と敢えて書いた上で「田中」を連発することで逆に読者が「田中」により意味を感じてしまうという仕掛けというか、そういざなうように作ってあるように感じる。この一句も意味ありげと言っているけれど、多分意味はなく、ただ見ているだけなのだ。繰られて騙されてはいけない。
戦争と三愛ビルの水着かな 西原天気
四角くて丸い世界の中心に馬場正平がゐた熱帯夜
馬場正平といえば言わずと知れたジャイアント馬場である。1938年、日中戦争の真直中に新潟で生まれたジャイアント馬場は、プロ野球選手からプロレスラーへ転進し、61歳で亡くなるその前年までリングに上がり続けた。その馬場がリングの上で穿いていたのが赤いブリーフ型のプロレスパンツであった。三愛ビルで売っていた水着の転用ではないであろうことは語るまでもない。
雨の日のスイッチ固き扇風機 村田 篠
じっとりとした暑さを感じる。ちょっとした苛立ちも。スイッチが固いということは、ちょっと古い型の扇風機だろうか。指でぐっとスイッチを押し込むようにして扇風機をつけるとゆっくりと羽が回り始め、その前に汗ばんだ顔を差し出してやっと安心する、そんな一連の動きが目に浮かぶと同時に、ついそんなときの気分になって自分もちょっと顎を上げて風に当たったような動きを再現してしまう。つい吊られてしまう一句。
ももももと瓶より綿よ夏団地 上田信治
「夏団地」23句のシリーズ物。夏団地という言葉が的確かどうかはよく解らないけれど、おそらく広口の瓶から綿が盛り上がってくる感じを「もももも」という擬音にしたところが可笑しく、いかにもという感じで目に浮かんでくる。確かにぎゅうぎゅうと押し込めた綿が盛り上がってはみ出してくる感じを言葉にするとしたら「もももも」に違いない。
【特集 BARBAR KURODA】
面白い試みで、どれもこれも楽しく読ませていただきました。長い文章の感想を書くのは小学生の頃から苦手なので、後半の短い物語の事は胸の中に留め置くことに。
ボルゾイの匂へる梅雨の真昼なる 野口る理
あの写真からボルゾイとは。というよりも、そもそも数多ある犬種の中から柴犬でもビーグルでもシェパードでもなく、どちらかというとあまりメジャーではないボルゾイという顔が長くて薄い体の猟犬を持ってくるところが野口る理なのかもしれないとか思う。そういえば実家にいた頃、近くの家でボルゾイを飼っている家があったことを思い出した。あの家の人は猟をする人だったのだろうか。
開店を告げる法螺貝とどろいて本日パンチパーマ半額 石原ユキオ
そういえば江戸時代の文化のまま現代のような社会になっているというマンガを読んだことがある。武家姿のサラリーマンが馬で出勤、といったような。月代を剃るような髪型がオーソドックスな時代にパンチパーマはどんな人があててどんな髪型になるのか大いに気になるところ。でもとりあえず、法螺貝の音とともに武士たちがわらわらとバーバー黒田に押し寄せてきて、我も我もとパンチパーマをあててもらう光景を想像すると可笑しすぎる。山口晃という現代美術の作家の絵に、そんなような浮世絵の世界と現代の光景がミックスされたような作品があった。その絵の一部にこんな光景があってもおかしくないなと思ったりもして。
知らぬ土地星が流しかちと濡らし 井口吾郎
全句回文。ある意味力作というより他ない。少し遠くの知らない町をさまよっている感じ。BARBAR KURODAは、どこか知らない町にある、現実とはちょっと位相のずれた世界にあるように思えてくる。
2016-08-14
【週俳7月の俳句川柳その他を読む】涼しさに満ちている 近恵
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