2016-08-28

【八田木枯の一句】禿を嘆く粉ナ屋が霧の通夜にきて 太田うさぎ

【八田木枯の一句】
禿を嘆く粉屋が霧の通夜にきて

太田うさぎ



禿を嘆く粉ナ屋が霧の通夜にきて  八田木枯

「雷魚」89号 「秋のくれ」より。

なんだこりゃ。
今井聖さんでなくてもそう言いたくなる。

身体の、どちらかと言えば劣性に属すると思われる特徴を以て人物を詠むのはなかなか憚られるものだ(急いで断っておくと、私は禿頭を決して蔑視していない。むしろ毛髪が後退した広やかな額を好ましいと見る者だが、個人的な好みはともかくとして)。女性なら貧乳とか?自分で自分に突っ込むのは構わないけれど、人から指摘されるのはやはり面白くない。禿はそうしたものの筆頭に上がるだろう。

それ故、いきなり〈禿を嘆く〉と目に飛び込んでくると度肝を抜かれるわけだ(横書きより縦書きで読むとよりインパクトが増すような気がする)。何なんだ!? と読み進むと弔い客のことと分かる。分かるが、相変わらず唖然呆然とするばかり。禿、粉ナ屋、霧、通夜、と道具立てが多すぎて正しく五里霧中の迷路に放り込まれた気分。何を言いたいんだ?

例えば幼なじみの葬式。久しぶりに顔を合わせた面々と故人のことを語りながらも話題は次第にお互いの近況へと移っていく。身を粉にして働いて気が付けばこんなだよ、と製粉を商う男はつるっと頭を撫でたろうか。

粉屋が帰っていく。喪服に包まれた体はもはや見えず、毛髪のすっかり失われた後頭部が最後に霧の中に消えようとしている、チェシャ猫の笑いのように。

この句が学びの宝庫かどうかは分からない。
けれど、俳句ってつくづく自由だな、とぼんくら頭は思うのでありました。


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