あとがきの冒険 第12回
落選した亡霊・住み込みの亡霊・鉛筆をくれる亡霊
岩田多佳子『ステンレスの木』のあとがき
柳本々々
落選した亡霊・住み込みの亡霊・鉛筆をくれる亡霊
岩田多佳子『ステンレスの木』のあとがき
柳本々々
ときどき「あとがき」を読んでいるとはっと気づかされることがある。わたしはそんなとき実際声に出してしまう。「はっ」と。
「あとがき」とは、気づきの場所でもある。〈はっ〉の場所だと言ってもいい。さいきん出版された岩田多佳子さんの句集『ステンレスの木』の「あとがき」を読んで、わたしは〈はっ〉とした。岩田さんの「あとがき」を引用してみよう。
もちろんそんなことは当たり前のことかもしれない。あなたはわたしを指さしてこういうかもしれない。おまえはいったいなにをいっているのかと。でもわたしたちはその絞られた《過程》を抜きにして句集なり歌集なりにしか〈出会えない〉というのは考えてみてもいいことのように、思う。つまり、浮かび上がった「三百句」を潜在的に支えている沈み込んだ〈千七百句〉があるんだということを。どう、だろ。
その意味で、句集には潜在的亡霊がいるはずなのだが、わたしたちはその潜在的亡霊には出会えない。それらは絞られ、落とされ、どこかに行ってしまったものだから。しかし、《いま》この句集に存在している《句との差異》でそれらは絞り落とされたのだということを考えてみれば、それらは決して《いま》この句集に存在している句たちとは無縁ではない。つながってはいるのだ。というより、住んでる。
わたしたちはそうした潜在的亡霊句をどういうふうに考えればいいのだろう。どこで、亡霊たちと待ち合わせればいいのか。いや。
チャンスは、ある。
句集や歌集には亡霊に出会うチャンスが。わたしの今回の記事を遡行すれば気がつくことなのだが、わたしがはっとしたのは「あとがき」によってであった。そう、「あとがき」とはわたしたちが、句集制作の《過程》に、その句集をめぐる絞り落とされた亡霊たちに出会うチャンスの場なのだ。
わたしはこの句集の跋文にこんなふうに書いた。
だぶだぶの着物で立っている歴史 岩田多佳子
集中の岩田さんの句が指し示す通り、「歴史」がどれだけ構造化されても「だぶだぶ」が産出されるだろう。「歴史」は「だぶだぶの着物」を着ている。それは「歴史」が構造化しえない標(しるし)のようなものだ。その「だぶだぶ」の余剰に幽霊たちは住んでいる。こんな句を取り上げてみても、いい。
うつくしい小指生えないようにする 岩田多佳子
「うつくしい小指」が体内に潜在的にあることを語り手は理解している。しかしそれを抑圧することによって「うつくしい指」は「生えない」まま、体内をうろうろしつづけるだろう。抑圧された、しかし、潜在的に住み込んでいる、なにか。どうもこの句集は、《抑圧された幽霊たち》に気がついているようなのだ。
結論をいおう。句集は「絞」り落とされた幽霊たちが住み込むことによって、どれだけ構造化しようとしても、「だぶだぶ」の余剰がうまれる。つまり、非構造としてはみだしていくのだ。それがわたしが今回岩田さんの「あとがき」から学んだことである。そしてそのことに《句集自体》もきちんと気がついている。
句集は、じぶんじしんで、幽霊から、まぼろしから、非構造から、だぶだぶから、生えなかったものから、この句集ができあがっていることに気づいていたのだ。すべての、絞りおとされて生まれた句集や歌集たちの〈声〉。
いつだって〈書くこと〉は幽霊たちのふところから取り出されるのだ。
まぼろしの中から鉛筆を取り出す 岩田多佳子
(岩田多佳子「あとがき」『ステンレスの木』あざみエージェント、2016年 所収)
「あとがき」とは、気づきの場所でもある。〈はっ〉の場所だと言ってもいい。さいきん出版された岩田多佳子さんの句集『ステンレスの木』の「あとがき」を読んで、わたしは〈はっ〉とした。岩田さんの「あとがき」を引用してみよう。
この句集を組み立てるにあたり、十二年分をざっくり絞った二千句を土台に五百句まで絞った。その五百句から、句集に収める約三百句までを前田一石氏に選んでいただいた。わたしがはっとしたのは、句集というのは「絞」られた後のものであるということだ。岩田さんが書いた通り、「十二年分」を「絞」り、「二千句」を「五百句」まで「絞」り、さらに「三百句」まで「絞」ったのがわたしたちがふだん眼にする句集なり歌集であるということだ。わたしたちはいつも「絞」られた《後》のものを眼にしている。
もちろんそんなことは当たり前のことかもしれない。あなたはわたしを指さしてこういうかもしれない。おまえはいったいなにをいっているのかと。でもわたしたちはその絞られた《過程》を抜きにして句集なり歌集なりにしか〈出会えない〉というのは考えてみてもいいことのように、思う。つまり、浮かび上がった「三百句」を潜在的に支えている沈み込んだ〈千七百句〉があるんだということを。どう、だろ。
その意味で、句集には潜在的亡霊がいるはずなのだが、わたしたちはその潜在的亡霊には出会えない。それらは絞られ、落とされ、どこかに行ってしまったものだから。しかし、《いま》この句集に存在している《句との差異》でそれらは絞り落とされたのだということを考えてみれば、それらは決して《いま》この句集に存在している句たちとは無縁ではない。つながってはいるのだ。というより、住んでる。
わたしたちはそうした潜在的亡霊句をどういうふうに考えればいいのだろう。どこで、亡霊たちと待ち合わせればいいのか。いや。
チャンスは、ある。
句集や歌集には亡霊に出会うチャンスが。わたしの今回の記事を遡行すれば気がつくことなのだが、わたしがはっとしたのは「あとがき」によってであった。そう、「あとがき」とはわたしたちが、句集制作の《過程》に、その句集をめぐる絞り落とされた亡霊たちに出会うチャンスの場なのだ。
わたしはこの句集の跋文にこんなふうに書いた。
「木」から「林」へ、「林」から「森」へ、という〈線〉から〈場所〉へ、〈場所〉から〈空間〉への移行はこの句集の全体的なベクトルとも対応している。(拙稿「森が、動く」『ステンレスの木』2016年、あざみエージェント)この句集はある意味では、そんなふうに木→林→森と構造化されている。でもそうした構造の隙間を縫って、木を、林を、森を、構造化しえなかった幽霊たちが駆け抜けてゆくのをわたしは岩田さんの「あとがき」を読みながら感じてもいた。句集や歌集には、《そもそも》亡霊が住み込んでいるのだと。
だぶだぶの着物で立っている歴史 岩田多佳子
集中の岩田さんの句が指し示す通り、「歴史」がどれだけ構造化されても「だぶだぶ」が産出されるだろう。「歴史」は「だぶだぶの着物」を着ている。それは「歴史」が構造化しえない標(しるし)のようなものだ。その「だぶだぶ」の余剰に幽霊たちは住んでいる。こんな句を取り上げてみても、いい。
うつくしい小指生えないようにする 岩田多佳子
「うつくしい小指」が体内に潜在的にあることを語り手は理解している。しかしそれを抑圧することによって「うつくしい指」は「生えない」まま、体内をうろうろしつづけるだろう。抑圧された、しかし、潜在的に住み込んでいる、なにか。どうもこの句集は、《抑圧された幽霊たち》に気がついているようなのだ。
結論をいおう。句集は「絞」り落とされた幽霊たちが住み込むことによって、どれだけ構造化しようとしても、「だぶだぶ」の余剰がうまれる。つまり、非構造としてはみだしていくのだ。それがわたしが今回岩田さんの「あとがき」から学んだことである。そしてそのことに《句集自体》もきちんと気がついている。
句集は、じぶんじしんで、幽霊から、まぼろしから、非構造から、だぶだぶから、生えなかったものから、この句集ができあがっていることに気づいていたのだ。すべての、絞りおとされて生まれた句集や歌集たちの〈声〉。
いつだって〈書くこと〉は幽霊たちのふところから取り出されるのだ。
まぼろしの中から鉛筆を取り出す 岩田多佳子
(岩田多佳子「あとがき」『ステンレスの木』あざみエージェント、2016年 所収)
1 comments:
もともとさん。「絞る」と書いた、無意識の思い。今もおなじ文章を書くことがあるとしたら、やっぱり「絞る」と書くでしょう。
それに関して、私にはぴったりくる言葉なのだから。こうして書いて頂くと私の方も「はっ」とさせられます。 多佳子。
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