【自薦記事 500号を振り返って】
最近、思った
福田若之
『週刊俳句』の第401号から第500号までの、自分が書いたり関わったりした記事からおすすめを挙げる、となると、僕としては、どうしても、第401号の「Re-ad(読むこと=再‐広告)としてのアーカイブ 「≫読む」のパサージュをぶらつきながら――引用集」に一言触れないわけにはいきません。これは、第301号から第400号までに掲載された記事からの、引用集です。ただ、まあ、この記事についての想いは、今号に掲載の動画の方でお話ししたので、割愛。記事の中身も、今ここで振りかえろうとしている範囲よりも前の号からの引用ですし。
というわけで、ここでは、第483号掲載の「「切れ」を疑う――山本浩貴+h「閉鎖性を条件とする《空》の相互観測とアニミズム」を読んで」を挙げておきましょう。いや、僕の書いた記事は置いといて、第482号掲載の山本浩貴+h「閉鎖性を条件とする《空》の相互観測とアニミズム――わたしの新たな身体の制作に向けたふたつのルートの仮設計」をぜひ(もう一度)読んでいただきたいと思うのです。この原稿をいただいたとき、一言でいえば、すごくわくわくしました。今からこの原稿を読者のみなさんに届けることになるんだ、わー、届けー!みたいな感じ。ああ、早くも「自薦記事」という趣旨から逸脱してしまった。
他に、書いてよかったな、と思ったのは第488号の表紙の写真に添えた「郵便受け」の文章。書いてよかったな、と思った理由については、ごく私的なことなので、ここでは書かずにおきます。
あと、第477号の後記も挙げておきましょう。ほんとうはこういう他愛ない文をもっと書きたいはずなのに、つい疼きにまかせて第495号の後記みたいなことをやるからいけない。もし、「最近読んだものの感想」として書かれたこの文が、BLOG俳句新空間に掲載の柳本々々「【短詩時評30回(※個人の感想です)】 〈感想〉としての文学――兵頭全郎と斉藤斎藤」におけるような意味での〈感想〉たりえているならば、それがせめてもの救いになるのですが。
そうそう、後記といえば、第455号の後記も、書いていて少なからずしあわせだった覚えがあります。その後、また、あのひとの歌声を聴くことができました。
2016-11-20
【自薦記事 500号を振り返って】最近、思った 福田若之
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