句会を開くにあたっての心構え
中筋祖啓
この度は、島根県松江市の乃木公民館に、自由律俳句の句会『棟梁』を開設し、
約1年を迎える事になった。
その1年間を振り返りながら、
句会を開くとはどういう事なのかについて、我ながら振り返り原稿をまとめてみた。
この度私は、1年間、公民館で句会を開催し得た、様々なノウハウで、
今度は、外部に赴き『呑み句会』なる物を開催するという事を決めた。
地元の新聞に広告掲載を請願し、松江駅の出口で俳人を集め、
ノープランでブラブラと駅近郊の飲み屋街を渡り歩くという内容のイベントである。
内容の詳細→http://kukaitouryou.blogspot.jp/2016/11/blog-post.html
そんな事で人を集められるのか? 一体、何のために集まるのだろうか?
と、突っ込まれたなら、まさしくその通りだと私は頭を下げざるを得ない。
ところが、ごく一般的に習い事や教室のような仕組みで句会を開くことを、
私の性格的にはどうしても避けたかったため、このような趣旨で句会を開くことになった。
句会は開きたいが、しかし、あまり『教室』という流れで句会を開く事をしたくなかったのである。
句は、特に私等が普段詠んでいる俳句は、誠に偶然に得た物ばかりであるから、偶然手に入れたものを、
計画的に人に教えるという事を、一体どのようにして行えば良いのかが全くわからなかったのである。
ノープランにブラブラと街を渡り歩く。
しかしそこには、たしかに一本の細い細い線が敷かれていて、あたかも綱渡りをしているかのように、
自分の無意識の欲求に対し決してそれることが無く、ピッタリとその歩き方が唯一無二である必要がある。
乃木公民館での句会は、いままでにわずか、1名の参加者を得る事ができた。
あとはそれ以外は、ほとんど、公民館の職員の皆様とのコミュニケーションのほうが、
むしろ、思い出としては深い。
・公民館ならではの再建度
そのような一句に、自分の心がまとまった。
公民館の皆様には、いろんな意味で、不足を補っていただいた。
また、近所の居酒屋の皆様にも、微妙にご心配をかけた。
ご近所はご近所でも、特に、自分が少年時代を過ごした町という物は、
様々な角度から『再建』という視点が産まれるように思える。
この、どこもかしこも行き尽くしたご近所で、
さらに新たな再建を試みるにあたっては?たしかに、句会を開くという行為は、
唯一無二の存在に他ならないのである。
新たな企画『呑み句会』が、果たしてどのような結果になるのだろうか?
それは本当に、何も計画性が無く、偶然に頼るばかり。
週刊俳句の読者の皆様に対して、何か原稿を書いてみたいと思い、このような一文がまとまりました。
また、何か偶然に、文章がまとまる機会があれば、随時、投稿をさせていただきたいと思います。
よろしくお願いします。
2016-11-27
句会を開くにあたっての心構え 中筋祖啓
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