【週俳10月11月の俳句を読む】
学生に戻りたい。
野住朋可
塔といふ涼しきものや原爆以後 樫本由貴
原爆以後という語が重たく効いている。原爆投下から今までの時間の経過であり、今現在であり、またその間の土地の変化である。塔は土地を見渡すもので、風通し良く涼しいものとして描かれているが、そこに佇む作者の姿や思いまで読み取れる句だ。
水澄みて口笛吹けばそれも澄む 野名紅里
自分が生み出すものが、水と同じように澄んでいくという嬉しさ。絶え間なく流れる水と、伸びやかに響く口笛の対比が心地よい。口笛だけでなく身体の隅々まで澄んでいく感じがあり、作者の健やかさを感じる。
傾くと霧とは軽き眠りかな 福井拓也
「霧とは軽き眠りかな」が、自分だけの発見だぞ、という感じで良い。上五に具体的なモノを置かず傾くという行為にすることで、句全体に霧がかったような雰囲気が生まれている。松本てふこ氏の指摘のように、異国の景色の感覚である。
友とゐて友の姉来る草紅葉 斉藤志歩
「友の子に友の匂ひや梨しやりり 野口る理」を思い浮かべた。友情、嫉妬、好奇心…入り混じる感情は、草紅葉の複雑に変化する色彩によって鮮やかに表現されている。当然のように女の句と読んだけど、この友人とその血縁に対しての微妙な感覚は、老若男女問わずなのだろうか。
台風一過両耳をよく洗ふ 平井湊
「学生俳句」特集の中にこういう句があると、うむ、と思う。当然だけど、若さの中にも老成や渋みがあるのだ。台風一過という不穏な空気感の中で、念入りに洗われている耳。それが捉えているのは、自然が生み出す音か、あるいは自らの中から湧き出てくる音か。
とっくに卒業しているのだけど、学生と句会をする機会は多い。学生はいろいろ大変だと思う。まず第一に、自分のスタイルを選択しないといけない。ガチで俳句をやるのか? 趣味としてゆるゆる? 学業やアルバイト、サークルとの兼ね合いはどうするか? など、悩みは尽きない。第二に、学生の時点で俳句を始めて何年か経過してくる場合が多く、「自分に俳句のセンスがあるか」というキツい問にも向き合い始めないといけない。多くの学生が石田波郷新人賞などの受賞を目指すが、皆どこかの段階で一度はこの問に直面するのではないだろうか。
個々の置かれている状況は様々である一方で、「我ら学生」という連帯感は確実に存在する。そのため「学生」という枠組みに括って俳句を読むことは、非常に意味があるはずだと思っている。
2017-01-01
【週俳10月11月の俳句を読む】学生に戻りたい。 野住朋可
第497号 学生特集号
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