【詩集を読む】
西村勝詩集『シチリアの少女』雑感
瀬戸正洋
写真を見せられたことがあった。異国の子どもたちに囲まれている。百数日間の船旅。日記がわりに詩を書き、勧められて朗読会を行った。そのことがきっかけで詩集を出すことを考えているなどと話していた。詩集のなかには、その朗読会をモチーフとした作品もある。今年中には出来上がると、十一月のはじめに電話があった。それが、詩集「シチリアの少女」である。
手に取った最初の印象は、題名からいって彼らしくなく非日常を描いたものかと思った。略歴は、彼の生活そのものであり、非日常を書いているなら不要だとも思った。だが、何度も読んでいるうちに、これも彼の日常なのだと考えを改めた。日常を普段と異なった形式で表現しようとしたから勘違いしてしまったのだと思う。日常は非日常と交錯する。母を亡くした彼は自身の死について思いを巡らす。母の死について、彼は、既に、短篇を書いている。
ルアーブル港から片道3時間、バスに揺られて、モン・サン・ミッシェルへ向かう。緑の続く美しい村。フランス人は緑の中でのんびり暮らすことを好む。リンゴ畑の白い花、ひなげし、えにしだ、あざみの花。麦畑は広がり、遠くには菜の花畑。カササギは飛び、茶色い野うさぎが跳ね、牛が気儘に草を食んでいる。人生とは、バスに揺られ自然を満喫し、偶然、生まれてしまったこの恵まれた社会で生活し、自由・平等・博愛らしきものにどっぷりと浸かって暮らすことなのだ。
観光立国の超目玉の一つ
世界遺産
でも長い歴史の中での
閉鎖された空間で
どんなことが行われたのか
監獄があったとは有名な話だが
「吊籠牢」という拷問で発狂して死んだ者が多くいた事実はあまり知られていない
島への長い道は恐怖と絶望のうちに彼らが運ばれた道でもあったろうし 亡骸となって
戻ってきた道でもあったろう
島へ渡り、壁や石柱を手で触れて歩く。死者たちの声なき声が、その掌から伝わってくる。島の外へ出て、青空の下、二頭立ての馬車が客を乗せて遠ざかっていくのを眺めながら、それを「自由の象徴」であるかのように感じる。
「死者たちの声なき声」とは、彼自身の思いなのだ。彼は、自問自答している。「島への長い道は恐怖と絶望のうちに彼らが運ばれた道」とは、私たちが、何も気付かず死に向かって歩いている道のことなのである。誰もが、ひとの力ではどうしようもない何かの意思により歩かされていることを、自分の意思で歩いていると勘違いしている。
船旅を老人ホーム代りに考えている婦人
船室に亡き妻の位牌を置き 自分もできればこの旅の途中に死ねたらと考えているらしい
93歳の男
長期航海は考えさせられるね
いろいろな人がいるからね
訊けば
たいてい身寄りはなく
身寄りがあっても世話になりたくないとか
それに
有料老人ホームに払うより船旅費用の方がずっと安いのだとか それで繰り返し乗ってい
る人もいるらしい
老人は、いろいろなことを考える。自殺する若者が増えている。自殺する老人も増えている。長期の船旅も日常であるならば人が死ぬのは当然のことだろう。船底には霊安室があり空の棺も数多く用意されている。オープンデッキの売店の横の暗がりのソファーで売店が閉まるのを待ち、イチヤイチャする老人の客たちがいたことなど描かれていたが、決して悪い話ではない。自室でないところが老人の哀しみだ。ご愛敬ともいえる。
何十年と歩き続けた小説家がいた。誰にも迷惑を掛けずに死にたいと願い、ひたすら歩き続けた。金を使わない健康法といえば、これしかないと思った。軽い脳卒中で倒れた後も歩き続けた。足を引き摺りながら歩き、身体が温まってくれば歩行は正常に近くなってくるとも書いている。よろよろ歩く老人を見かねた路線バスの運転手は停留所でもないのに停車して乗せてくれたという作品もある。最後は、自宅の廊下を歩いた。ただ、ひたすら歩いた。
彼も私も(彼は違うと言うかも知れないが)何の答えを得ることもなく恥ずかしさに耐えながら闇の中へと消え去っていくのである。自分をどう始末するかということが一番の問題になる。他人に迷惑を掛けずに消え去りたいということなのだ。妻や子や孫に気を使って生きている私にとって、これは切実な問題だ。
最後は余談。彼から、小説佳作出久根達郎氏選「頂きしコオト」が掲載されている「抒情文芸」第161号、平成29年1月15日刊のコピーが送られてきた。「九月十八日。雨の国会議事堂前で、・・・」から始まる短篇である。たったひとりで出掛け、たったひとりで叫んで帰った経緯が描かれていた。詩集「シチリアの少女」には「自衛艦に守られて────五・二」という作品もあるが、ごく一般の日本人としてはこの程度の揺れは当然のことだと思う。
西村勝詩集『シチリアの少女』(西暦2016年12月12日刊/ふらんす堂)
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