2017-03-12

ちょっと賢くなってから春意を見ると 平成二十九年二月ドラゴン句会録 吉田竜宇

ちょっと賢くなってから春意を見ると
平成二十九年二月ドラゴン句会録

吉田竜宇


ドラゴン句会は2015年より、京都市中で不定期に行われている、超結社の句会である。
ドラゴンとは、日本語における竜と翻訳上の対応関係にありながらも、その由来については、はっきりと境を異にしている。
しかし、にもかかわらず、今日では文化的に多様な習合を見せ、まったくひとつのイメージには収まらない。
西洋における邪なるもの、東洋における聖なるもの、このように巷間いわれることも多いが、実は西洋におけるドラゴンの神話的性質も一定ではなく、キリスト教以前には地母神や守護獣としての役割さえあるという。
アジアにおいても、インドの蛇神が中国仏典での竜王となり、我が国でまた天候神である蛇神と重なった。
さらには現代ファンタジーの隆盛により、ヒーローから悪役、超越者でありつつひとと交わる、およそ力持つものとして考えられるすべての解釈があるといっても過言ではない。
このような性質のドラゴンを、俳句において不思議な働きを見せるいくつかの事柄、つまり定型や季語、そして俳諧といったものの喩として見ることは、そもそもがこじつけでありながらも、なかなか示唆に富むのではないかと思われる。



さて、平成29年2月のドラゴン句会は、京都御所にほど近い、YMCAの所有するサマリア館で行われた。
日本では著名なヴォーリズの手になる建築で、元々は女子寮として使用されていたらしい。
玄関脇には、伊予柑だろうか、大形の柑橘の木が植わっており、果実を重そうにぶら下げて、手癖の悪いわたくしたちの品をためしている。
玄関を囲む白い格子も、緩い勾配の階段も、彼の住宅建築に多く見られる特徴で、かつて女の園として使われていたころ、手すりに凭れかかる彼女たちの姿をそこに見せている。
句会に借りた部屋は、玄関を入ってすぐにあった。
廊下に面した窓を、和装した白人たちが過ぎていく。
若い白人女性は痩せている限りみな美人に見える。廊下には政治を主張する無粋な横断幕が張られている。



ドラゴン句会は五句、席題兼題なし。当季に限らず、ただし有季定型。

2月の参加は次の通り。

大林桂:「鷹」「ふらここ」。ドイツ哲学専攻。 
以下、
久留島元:「船団の会」。文学博士。      
以下、
中山奈々:「百鳥」。「里」編集長。書店員。  
以下、奈々
吉岡太郎:歌人。訪問看護運営。        
以下、太朗
吉田竜宇:「翔臨」、竹中宏に師事。保育所経営。
以下、竜宇



霜白く畑を飾るなきねいり   選:竜宇

:畑で囲まれた家で、失恋か何か問題があった。駄々をこねるというか、不平苦情を申し立てながら門をばんばん叩く、そんな風景を畑が彩っている。俳句では奨励されないけれど、寺山修司的な物語性がすごく感じられて、密度が濃い。「霜白く」もさりげないようで、雰囲気がちゃんと伝わってきます。

竜宇:僕は実景ではなくて、「霜」に「なきねいり」という言葉がつく、その唐突な幻想性でいただきました。

:モンタージュとしての面白さですか?

竜宇:そうですね、もちろん全然違うところからくっついてきたわけじゃない。霜の荒涼としたうつくしさと、「なきねいり」という言葉が本来持つイメージの喚起力とが、どこかでリンクしている。かつ、それなりに、今まで見たことがなかった使い方でもある。

:幻想的というか、虚構性は強いですね、確かに。

奈々:「霜深く」ではなく霜が「白い」ということで、この霜の度合い、広さとかをあらわしているのかなと思って、そこはすごく好きでした。でも、「霜白く畑を飾る」というところまでは、物事をプラス面で捉えているのに、「なきねいり」というマイナスの感情を持ってくる、どちらの気持ちなのかなと、採りきれなかったです。

竜宇:「飾る」「なきねいり」という言葉は、感情面での対称というよりは、もっと一貫したイメージに支えられているのでは?

奈々:寺山修司というよりは、宮沢賢治?

竜宇:賢治やね。まあ、この句につっこむとしたら、いちいち言わなくても霜はそもそも白いだろってところが。そこが良いといえば良いし、甘いといえば甘い。 

作者名乗ル 吉岡太朗

:「なきねいり」の場所が、ぱっと読んだ時にはわからなかったんですよ。安井浩司的なものも感じられるんですが、そもそも泣き寝入りしている人と、「なきねいり」なるものと、広がる畑、その位置関係が、初見ではつかみ難い。

奈々:霜の降りた畑と、そこで泣いているひとという対比なら、うつくしいですよね。

竜宇:それだとあまりに土臭くてちょっと。霜害を嘆いていることにもなっちゃう。

:そのへん土臭くても違和感ないですけどね。

:あれですよね、寺山修司は実は青森の田舎の出ですよっていうこともあるし。

:それこそ「田園に死す」「家出のすすめ」の世界観で採っちゃった。

竜宇:あれも川の上流から雛壇が流れてくるような世界だしね。



合鍵を乞うて鍵来るまでの雪   選:竜宇

:これねえ、不思議な句で、「合鍵ちょうだい」って誰に言ったかが眼目。でも「今度行ったとき鍵ちょうだいね」って頼んでから、次に会うまで雪降り続けてるって結構な長さやろうし、なんか不思議な、でも極めてロマンティックな句です。

竜宇:単純に鍵屋に註文したと捉えられなくもないけど、やっぱり特殊な関係性を示唆している。男女関係かもしれないし、友人や師弟にしろ、秘密めいた間柄で、信頼しあっていないとできないことやろうし。うまいなと思ったのが「乞うて」かな。合鍵を絶対に渡してもらえるんであれば、それはとっても嬉しいことです。しかし合鍵を渡してもらえるかどうかは、句のなかでは決着がつかず、永遠に保留されている。つまりこの雪は永遠に降りつづくんですよ!

:このあいだ下宿の鍵が壊れて、外にほっぽり出されたという実体験があったので、あんまりロマンティックな雪とは感じなかったですね。

:「来るまでの」というのがつらいところで、雪を見ている余裕がある。楽しんでますよね、なんだかんだで。

竜宇:「乞うて」に含みがあるよね。ほんとに「ください」とは言わず、「そろそろあると便利では?」みたいに様子をうかがっているのかもしれない。でも、やっぱり渡すかどうかの決定権は向こうにあって、サスペンドされている関係性というのが見えるじゃない。雪はその緊張の象徴であって、同時にうつくしさも担保している。この「乞うて」は俳句的ではないよね?

:ない。

奈々:ない気がする。

:「乞うて~来るまで」だから時間的な広がりがある。

作者名乗ル 吉岡太朗

太朗:いやあ、合鍵屋を見て作ったんだけど。15分で作れるらしい。

奈々:合鍵屋なら、俳人ならどう作るかな

:まずやっぱり場所を指定するんじゃない? でもこの句、この作者と、合鍵を渡してくれるであろうひととの距離とか、場所とかが、はっきりとは書かれていないところが極めてロマンティックなんですよ。



燃えにくきものに木琴遠き火事   選:

:「遠き火事」がなー、なんかなー。「燃えにくきものに木琴」っていうのは、うまいこと作らはったな、手柄やなと。

:僕も上五中七は非常に巧みな表現だと。作者は音楽をやっているのかな、そういう固有性もある。下五も、自分と関係があるようなないような都市性を表していて、雰囲気としては伝わるんですけど、やはりつきすぎ。火事のなかに木琴があるようにも見えてしまう。

太郎:採ってないんですが、素材からは塚本邦雄の「ほほゑみに肖てはるかなれ霜月の火事の中なるピアノ一臺」を連想しますね。私も「燃えにくきものに木琴」までは面白いと思って、「も・も・も」の音や、木でできているのに実は燃え難いというのも目のつけどころが良い。つきすぎとも思わなかったけど、採らなかったのは一点「き」の音が連続するのが音としてきつかったので捨てました。

作者名乗ル 吉田竜宇

竜宇:下五は仕損じたなとは感づいてたんですよ。それこそはじめは、火事の中で木琴が燃え残ったという句だった、そのイメージを大切にしすぎた。火事は捨てても良かった。

奈々:「~というものに~がある+季語」という形は、どうなの?

竜宇:どうって、型でしょ。

:公式だから、うまくいく時と、「ああ公式で作りましたね」という時とがある。「~というものは~である」と俳句でいうのは、「俺は本質を見出したとぞ」というようないわゆるドヤ感が出てしまう。そこで、木琴が燃えにくいという発見は、自分としては面白かった。でもそれが火事の中でのことなら、「そりゃそやろ」となってしまう。



ビルの間の夜半の春意の換気扇   選:太朗竜宇

太朗:換気扇は外部と内部をつなぐもので、その排出される風に春を感じている。冬と春の移り変わりって、空気の微妙な違いによって分かるもので、実感があった。まだ寒いけど、空気は春の意思をもって、春であることを告げている。

竜宇:この句は採ったし、気に入ってもいるんだけど、どこか語り難いところがある。そもそも「春意」って春のうららかな様子をあらわすものなんだけど、この句では従来の季語とは違う使い方がされていて……。ビルの換気扇という都市的なものから、春意なる季語の精霊がひょいっと現れる。それはそれでありがちでもあるけれど、「夜半」という格好いい言葉もさらっと使っていて、実はすごい句なのかなと思わせられる。

:歳時記で「春意」の例句は、「窓の枝揺るるは春意動くなり」。

竜宇:風生やね。いかにもな季語的世界を操る、風生らしい句。しかしそもそもなんだけど、「春意」ってあんまり使うことのない季語じゃない。

奈々:たぶん照敏さんの歳時記だから載ってただけで、角川は載ってないんじゃないかなあ。物好きなところで、ようやく傍題に上がるくらい。

:稲畑さんのにも載ってない。漢語だからホトトギス系はなあ。ところで「春意」という季語の本意は「うららかな春の楽しい感じ」じゃないですか。それが夜の半ば、しかも換気扇越しに、さらにはビルという都市的なものの間で、一句に様々な屈折が挟まれている。「春意」がもともとやってきた漢詩の世界を離れたところで春意を感じているわけだけども、どれかに整理した方がその屈折が分かりやすかったんじゃないかなあ。

竜宇:ひょっとしたら下手な句かもしれないけど、ひょっとしたらすごい句かもしれないじゃない。

作者名乗ル 大林桂

奈々:「春意」って「春愁」と同じ悲しい感じと思ってたから採らなかったけど……。

竜宇:ちょっと賢くなってからもう一度見ると?

奈々:採ります。三点にしといてください。


この他にも、二点句、一点句が多々あり、句会は長きに及んだ。

京都はかつての都であり、季語はこの地を中心に世界観を築いたが、残念ながら現在、俳句の友人同士が研鑽を積む環境はなく、さみしい限りである。さみしさは詩歌の良き友であるが、新しい仲間の訪れはいつも新鮮な楽しさを伴うであろう。

次回 三月ドラゴン句会

時: 3月20日 16:30~19:30

於: オフィスゴコマチ402号室

   御幸町四条下ル大寿町402 谷山無線四条TMビル

席題兼題なし、当季か否か問わず、ただし有季定型。出詠五句。

菓子代数百円。

参加歓迎 ryu9494ryu@yahoo.co.jp またはLineID「ryu.r.u.r」までご一報のこと。

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