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2018-07-15

10句作品 吉田竜宇 炎上譚

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吉田竜宇 炎上譚 

けものらに乳房ある繪圖柏餅

コイントスの表裏炎天漂へり

切るは男の一事なるかな河童卷

古書積みし間を行くでなく蟹の歩は

鶴肉や父母の仲極まれり

天の如く湯豆腐冷めて海のごとし

蛇の鬚の瑠璃や茂吉はフアルスを見せ

烈やら忠やら睾丸やらの辛夷咲く

胎兒が蹴り花野に瓶の棄てどころ

「火を産む」と朝寢のあとの眞白さに



2017-03-12

ちょっと賢くなってから春意を見ると 平成二十九年二月ドラゴン句会録 吉田竜宇

ちょっと賢くなってから春意を見ると
平成二十九年二月ドラゴン句会録

吉田竜宇


ドラゴン句会は2015年より、京都市中で不定期に行われている、超結社の句会である。
ドラゴンとは、日本語における竜と翻訳上の対応関係にありながらも、その由来については、はっきりと境を異にしている。
しかし、にもかかわらず、今日では文化的に多様な習合を見せ、まったくひとつのイメージには収まらない。
西洋における邪なるもの、東洋における聖なるもの、このように巷間いわれることも多いが、実は西洋におけるドラゴンの神話的性質も一定ではなく、キリスト教以前には地母神や守護獣としての役割さえあるという。
アジアにおいても、インドの蛇神が中国仏典での竜王となり、我が国でまた天候神である蛇神と重なった。
さらには現代ファンタジーの隆盛により、ヒーローから悪役、超越者でありつつひとと交わる、およそ力持つものとして考えられるすべての解釈があるといっても過言ではない。
このような性質のドラゴンを、俳句において不思議な働きを見せるいくつかの事柄、つまり定型や季語、そして俳諧といったものの喩として見ることは、そもそもがこじつけでありながらも、なかなか示唆に富むのではないかと思われる。

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さて、平成29年2月のドラゴン句会は、京都御所にほど近い、YMCAの所有するサマリア館で行われた。
日本では著名なヴォーリズの手になる建築で、元々は女子寮として使用されていたらしい。
玄関脇には、伊予柑だろうか、大形の柑橘の木が植わっており、果実を重そうにぶら下げて、手癖の悪いわたくしたちの品をためしている。
玄関を囲む白い格子も、緩い勾配の階段も、彼の住宅建築に多く見られる特徴で、かつて女の園として使われていたころ、手すりに凭れかかる彼女たちの姿をそこに見せている。
句会に借りた部屋は、玄関を入ってすぐにあった。
廊下に面した窓を、和装した白人たちが過ぎていく。
若い白人女性は痩せている限りみな美人に見える。廊下には政治を主張する無粋な横断幕が張られている。

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ドラゴン句会は五句、席題兼題なし。当季に限らず、ただし有季定型。

2月の参加は次の通り。

大林桂:「鷹」「ふらここ」。ドイツ哲学専攻。 
以下、桂
久留島元:「船団の会」。文学博士。      
以下、元
中山奈々:「百鳥」。「里」編集長。書店員。  
以下、奈々
吉岡太郎:歌人。訪問看護運営。        
以下、太朗
吉田竜宇:「翔臨」、竹中宏に師事。保育所経営。
以下、竜宇

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霜白く畑を飾るなきねいり   選:桂、竜宇

桂:畑で囲まれた家で、失恋か何か問題があった。駄々をこねるというか、不平苦情を申し立てながら門をばんばん叩く、そんな風景を畑が彩っている。俳句では奨励されないけれど、寺山修司的な物語性がすごく感じられて、密度が濃い。「霜白く」もさりげないようで、雰囲気がちゃんと伝わってきます。

竜宇:僕は実景ではなくて、「霜」に「なきねいり」という言葉がつく、その唐突な幻想性でいただきました。

桂:モンタージュとしての面白さですか?

竜宇:そうですね、もちろん全然違うところからくっついてきたわけじゃない。霜の荒涼としたうつくしさと、「なきねいり」という言葉が本来持つイメージの喚起力とが、どこかでリンクしている。かつ、それなりに、今まで見たことがなかった使い方でもある。

桂:幻想的というか、虚構性は強いですね、確かに。

奈々:「霜深く」ではなく霜が「白い」ということで、この霜の度合い、広さとかをあらわしているのかなと思って、そこはすごく好きでした。でも、「霜白く畑を飾る」というところまでは、物事をプラス面で捉えているのに、「なきねいり」というマイナスの感情を持ってくる、どちらの気持ちなのかなと、採りきれなかったです。

竜宇:「飾る」「なきねいり」という言葉は、感情面での対称というよりは、もっと一貫したイメージに支えられているのでは?

奈々:寺山修司というよりは、宮沢賢治?

竜宇:賢治やね。まあ、この句につっこむとしたら、いちいち言わなくても霜はそもそも白いだろってところが。そこが良いといえば良いし、甘いといえば甘い。 

作者名乗ル 吉岡太朗

元:「なきねいり」の場所が、ぱっと読んだ時にはわからなかったんですよ。安井浩司的なものも感じられるんですが、そもそも泣き寝入りしている人と、「なきねいり」なるものと、広がる畑、その位置関係が、初見ではつかみ難い。

奈々:霜の降りた畑と、そこで泣いているひとという対比なら、うつくしいですよね。

竜宇:それだとあまりに土臭くてちょっと。霜害を嘆いていることにもなっちゃう。

桂:そのへん土臭くても違和感ないですけどね。

元:あれですよね、寺山修司は実は青森の田舎の出ですよっていうこともあるし。

桂:それこそ「田園に死す」「家出のすすめ」の世界観で採っちゃった。

竜宇:あれも川の上流から雛壇が流れてくるような世界だしね。

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合鍵を乞うて鍵来るまでの雪   選:元、竜宇

元:これねえ、不思議な句で、「合鍵ちょうだい」って誰に言ったかが眼目。でも「今度行ったとき鍵ちょうだいね」って頼んでから、次に会うまで雪降り続けてるって結構な長さやろうし、なんか不思議な、でも極めてロマンティックな句です。

竜宇:単純に鍵屋に註文したと捉えられなくもないけど、やっぱり特殊な関係性を示唆している。男女関係かもしれないし、友人や師弟にしろ、秘密めいた間柄で、信頼しあっていないとできないことやろうし。うまいなと思ったのが「乞うて」かな。合鍵を絶対に渡してもらえるんであれば、それはとっても嬉しいことです。しかし合鍵を渡してもらえるかどうかは、句のなかでは決着がつかず、永遠に保留されている。つまりこの雪は永遠に降りつづくんですよ!

桂:このあいだ下宿の鍵が壊れて、外にほっぽり出されたという実体験があったので、あんまりロマンティックな雪とは感じなかったですね。

元:「来るまでの」というのがつらいところで、雪を見ている余裕がある。楽しんでますよね、なんだかんだで。

竜宇:「乞うて」に含みがあるよね。ほんとに「ください」とは言わず、「そろそろあると便利では?」みたいに様子をうかがっているのかもしれない。でも、やっぱり渡すかどうかの決定権は向こうにあって、サスペンドされている関係性というのが見えるじゃない。雪はその緊張の象徴であって、同時にうつくしさも担保している。この「乞うて」は俳句的ではないよね?

元:ない。

奈々:ない気がする。

元:「乞うて~来るまで」だから時間的な広がりがある。

作者名乗ル 吉岡太朗

太朗:いやあ、合鍵屋を見て作ったんだけど。15分で作れるらしい。

奈々:合鍵屋なら、俳人ならどう作るかな

元:まずやっぱり場所を指定するんじゃない? でもこの句、この作者と、合鍵を渡してくれるであろうひととの距離とか、場所とかが、はっきりとは書かれていないところが極めてロマンティックなんですよ。

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燃えにくきものに木琴遠き火事   選:元、桂

元:「遠き火事」がなー、なんかなー。「燃えにくきものに木琴」っていうのは、うまいこと作らはったな、手柄やなと。

桂:僕も上五中七は非常に巧みな表現だと。作者は音楽をやっているのかな、そういう固有性もある。下五も、自分と関係があるようなないような都市性を表していて、雰囲気としては伝わるんですけど、やはりつきすぎ。火事のなかに木琴があるようにも見えてしまう。

太郎:採ってないんですが、素材からは塚本邦雄の「ほほゑみに肖てはるかなれ霜月の火事の中なるピアノ一臺」を連想しますね。私も「燃えにくきものに木琴」までは面白いと思って、「も・も・も」の音や、木でできているのに実は燃え難いというのも目のつけどころが良い。つきすぎとも思わなかったけど、採らなかったのは一点「き」の音が連続するのが音としてきつかったので捨てました。

作者名乗ル 吉田竜宇

竜宇:下五は仕損じたなとは感づいてたんですよ。それこそはじめは、火事の中で木琴が燃え残ったという句だった、そのイメージを大切にしすぎた。火事は捨てても良かった。

奈々:「~というものに~がある+季語」という形は、どうなの?

竜宇:どうって、型でしょ。

元:公式だから、うまくいく時と、「ああ公式で作りましたね」という時とがある。「~というものは~である」と俳句でいうのは、「俺は本質を見出したとぞ」というようないわゆるドヤ感が出てしまう。そこで、木琴が燃えにくいという発見は、自分としては面白かった。でもそれが火事の中でのことなら、「そりゃそやろ」となってしまう。

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ビルの間の夜半の春意の換気扇   選:太朗、竜宇

太朗:換気扇は外部と内部をつなぐもので、その排出される風に春を感じている。冬と春の移り変わりって、空気の微妙な違いによって分かるもので、実感があった。まだ寒いけど、空気は春の意思をもって、春であることを告げている。

竜宇:この句は採ったし、気に入ってもいるんだけど、どこか語り難いところがある。そもそも「春意」って春のうららかな様子をあらわすものなんだけど、この句では従来の季語とは違う使い方がされていて……。ビルの換気扇という都市的なものから、春意なる季語の精霊がひょいっと現れる。それはそれでありがちでもあるけれど、「夜半」という格好いい言葉もさらっと使っていて、実はすごい句なのかなと思わせられる。

元:歳時記で「春意」の例句は、「窓の枝揺るるは春意動くなり」。

竜宇:風生やね。いかにもな季語的世界を操る、風生らしい句。しかしそもそもなんだけど、「春意」ってあんまり使うことのない季語じゃない。

奈々:たぶん照敏さんの歳時記だから載ってただけで、角川は載ってないんじゃないかなあ。物好きなところで、ようやく傍題に上がるくらい。

元:稲畑さんのにも載ってない。漢語だからホトトギス系はなあ。ところで「春意」という季語の本意は「うららかな春の楽しい感じ」じゃないですか。それが夜の半ば、しかも換気扇越しに、さらにはビルという都市的なものの間で、一句に様々な屈折が挟まれている。「春意」がもともとやってきた漢詩の世界を離れたところで春意を感じているわけだけども、どれかに整理した方がその屈折が分かりやすかったんじゃないかなあ。

竜宇:ひょっとしたら下手な句かもしれないけど、ひょっとしたらすごい句かもしれないじゃない。

作者名乗ル 大林桂

奈々:「春意」って「春愁」と同じ悲しい感じと思ってたから採らなかったけど……。

竜宇:ちょっと賢くなってからもう一度見ると?

奈々:採ります。三点にしといてください。

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この他にも、二点句、一点句が多々あり、句会は長きに及んだ。

京都はかつての都であり、季語はこの地を中心に世界観を築いたが、残念ながら現在、俳句の友人同士が研鑽を積む環境はなく、さみしい限りである。さみしさは詩歌の良き友であるが、新しい仲間の訪れはいつも新鮮な楽しさを伴うであろう。

次回 三月ドラゴン句会

時: 3月20日 16:30~19:30

於: オフィスゴコマチ402号室

   御幸町四条下ル大寿町402 谷山無線四条TMビル

席題兼題なし、当季か否か問わず、ただし有季定型。出詠五句。

菓子代数百円。

参加歓迎 ryu9494ryu@yahoo.co.jp またはLineID「ryu.r.u.r」までご一報のこと。

2017-02-26

降る雪や 吉田竜宇

降る雪や

吉田竜宇


降る雪や二二六百で割ることの   岩城久治

歴史上の事件や天災地変を詩歌にすることは古来よりの常套だが、そこに個別の事件名を詠み込むことは、よほどの手練が求められるに違いない。壇ノ浦や原爆などはむしろ使いやすいのだが、3.11や9.11など、こういった日付で語られる事件は、教科書に載るくらいなら良いにしろ、詩語としては格が下がる。政治的な文脈が顔をのぞかせがちなのもくさい。初学の頃なら、屈託なくつかってみることも構わないけれど、何事かの芸を高めようとする上では、事件の日付を盛り込むのは無理筋であろう。

226を100で除算すれば2.26であり、これは二・二六事件を詠んだ句である。しかしここでは、事件の内容や、それに由来する悲喜交々は一切語られない。ただその名称がぽつんと示されているだけで、そのことがなにかを雄弁に語っている、などとはとても言えない。皇道派の激情、天皇の苦悩、やがて訪れる大戦争、すべてを隠して雪は降り、歴史上の事件として教科書に載り暗記されるだけのものとしての、単なる名称が残される。扱う手つきも雑で、事件とは無関係な計算の結果たまたま現れた数字を、暇だからはじいてみましたというような、そんなぞんざいさがある。

割るところの100は単なる切りのいい数字であり、また同時に日本史の100年でもある。一年々々、雪はさまざまに降ったであろうし、どこかの誰かにとって、それは忘れ得ぬ雪となったであろう。しかしこの句においては、百年がその一語として纏められ、あの日、あの日本史の夜の時間、もはや歴史の一部となったあの雪を召喚するための供犠に捧げられている。

そしてその当の事件でさえ、単なる計算の結果、かろうじて名が瞬いているに過ぎないのだ。この手際を俳諧と言わないのなら、月を青いと指しても間違いではない。

俳句において降る雪や、とくれば当然、明治は遠くと続くであろう。昭和6年の作である。内乱は昭和11年に起こった。それから80年と少し、もうすぐ平成も終わる。陛下のお望みとあらば否やはない。掲出の句は今年2017年2月はじめの句会で見た。京都北白川の消防団詰め所で、破の会といい、作者の岩城氏は欠席投句であった。雪が降らないでいるのも不思議なほど寒い夜で、会が終わって河岸を変えようとするわたくしたちは、明日の天気を心配することで間をつなぎながら暖かい場所までを歩いた。その晩に雪は降らず、舞う鳩もおらず、鐘も鳴らなかった。処刑の銃は演習の砲声に紛れた。ニイニイロク、ニヒャクニジュウロク、わたくしたちの自由になるのは言葉ばかりである。百周年は新元号の18年に来て、それは辰年に当たる。


2016-05-15

俳句の世界遺産登録に向けた動きについて 吉田竜宇

俳句の世界遺産登録に向けた動きについて
吉田竜宇


先年、「和食」がユネスコに世界遺産登録されたとの報は(正確には無形文化遺産登録)、わたくしたちを、それなりに誇らしいと思わせ、道々ではおめでたいことだとうなずきあって、少なくとも嫌な気はしなかった。しかし、その頃より、俳句の遺産登録をめざす動きがあると、ウェブでの記事のいくつかを目にし、わたくしは、和食の登録に際してはまるでなかった、ある反発を感じるようになった。

ひとことでいえば、それは、はずかしい、という思いである。

他人がおそらくは善意でやっていることに、利害の絡みもなく単なる好ききらいで横槍をはさむような真似はしたくない。しかしわたくしも、自分のことを俳人のはしくれだと思っているので、その立場から、少なくともみながこれを喜んでいるわけではない、ということを記しておきたい。

俳句の遺産登録について、わたくしは詳しく知る立場にないが、去年の記事によると、具体的な働きかけはかなり進んでいるようである。

「国際俳句交流協会」前EU大統領と連携 俳句を世界文化遺産に
http://mainichi.jp/articles/20150815/ddm/014/040/009000c
旗振りを有馬朗人氏がつとめ、その主宰する結社「天為」が、俳都たるを誇る松山市、主要な俳句団体、外務省や、海外の要人などとも交流しながら、国際親善や文化発信を目的として、俳句の遺産登録を推進している、ということである。有馬氏は立志伝中の人物として名高く、記事を読む限りでは、周りの応援も盛んで、現実味はかなりあるらしい。
 上の記事は去年の八月のものだが、その後「小熊座」に、有馬氏の長文インタビューが載り、そのなかでも、俳句の遺産登録に関しては、多くの行が割かれた。前後編であり、前編はウェブに転載されたものが閲覧できる。

栗林浩のブログ 俳人・有馬朗人さんに聞く(前編)
http://ht-kuri.at.webry.info/201601/article_4.html
――そろそろ俳句の世界遺産化についてお伺いします。日本の俳人たちはみな期待しているのですが、如何ですか、登録までのマイルストーンは?
有馬 いやあ、時間がかかりますよ。十年くらいはかかりそうです。文科省が窓口ですが、申請が二百五十件ほどもあるそうです。年に五から十件くらい登録されるとしても、相当かかります。幸い、私が総長だった時の広報の担当教授だった方、青柳(正規氏、東大名誉教授)さんといいますが、イタリア考古学・美術史に造詣の深い方で、いま文化庁の長官です。いろいろ相談に乗ってくれています。俳句については理解をして頂いていますが、短歌をどうするかを考えねばならない。俳句の世界は大体前向きで、かなり纏まっています。短歌の方々のご意見をどう集約できるかですね。
(中略)
――ベルギーやスエーデンなど、海外の俳句愛好家の応援も得られそうですね。
有馬 そう。先週、国際俳句協会の講演で、EUの初代大統領であられたファン・ロンパイさんが話してくれました。去年、ベルギーでお会いした時から「ぜひ遺産にしたら」と応援してくれています。それから、スエーデンの大使だったラーシュ・ヴアリエさん、この方も賛成してくれています。むしろ、アメリカやスエーデン、ベルギー、オランダなどヨーロッパが強く賛成してくれているんです。
――国内体制は国際俳句協会が中心ですか?
有馬 むしろ俳人協会が積極的です。現代俳句協会も賛成ですね。伝統俳句協会にも協力をお願いしています。登録まで十年というのは長いように聞こえますが、言い始めてからもう三年経っています。

俳人協会は、有馬氏が顧問を務めているので、当然といえばその通りであろう。

現代俳句協会の賛成に関しては、協会に問い合わせたところ、「有馬氏の呼びかけに対して、芭蕉の生誕地である伊賀上野市が呼応する形で、ユネスコの無形文化遺産登録に向けての動きがあることは承知している」「関係者から具体的なスケジュール案及び基本方針に関して詳しいものが示されているわけではない」「協会として、総論としては理解しているが、具体的なアクションや正式な機関決定には至っていない」との回答をいただいた。

伝統俳句協会への協力の依頼というのが、どういったかたちで行われているのか、問い合わせたものの、本日まで回答をいただけなかった。


さて、わたくしが、俳句の遺産登録に反発を覚えるのは、すでに述べたとおり、あるはずかしさに由来し、登録を進める方々の掲げる、国際交流・国際親善や、それを通じて各地文化の相互理解を推進させ、もって世界平和に寄するとの祈念に、反対があるわけではない。高邁な運動であり、おおいにやっていただきたい、大切な仕事と思う。前年の和食や、これまでに行われた世界各地のさまざまな詩歌詠唱の登録についても同様で、それらは、かかる運動によって知名度が上がり、経済的あるいは文化的な恩恵をえたであろうし、よろこばしい限りであるというしかない。仮にまったくなんらの恩恵がなかったとしても、やはりそれらは、祝うべき慶事であろう。

では、わたくしが、俳句の遺産登録をはずかしいと思うのは、利害でも理屈ではなく、やはり感情の問題である。たとえばであるが、俳句のいわゆる歴史なり伝統なりの正統性は、そもそも疑われてしかるべきであるというような理屈を、ひねることも不可能ではないが、それはやはり、二の次なのだ。

そのはずかしさがなにに由来するのかと言えば、まずは、俳句とは遺産であり、つまり本質的には過去に属するものであるとして、公的に刻印されることを、わたくしたち俳人が喜々として受け入れているものと、思っていただきたくないということがある。

そもそも俳句の遺産登録にかかわらず、これまでにおいても、ひと前で俳人と名乗るとき、あるいは、名乗らなくともそのつもりでいるとき、それはどうも結構なご趣味ですねと、おだてられ、気をつかわれ、あるいは馬鹿にされ、つまりは、たいして興味のない他人の趣味嗜好への適当なあしらいを受けるということであるが、それに対して喜んでいるふりをしなくてはならないとき、わたくしはどうしようもなく、はずかしい。これはもちろん、世間で少数派に属する趣味の持ち主であれば、だれでも思い当たる節のあることと思われる。しかしわたくしは、俳句以外にのめりこむものがないわけではないが、それにしても「シベリア抑留の体験記に目がない」「かつての広島の百貨店開発で出土した化石を集めている」「空いている土地にはイチジクか山桃を植えずにはいられない」など、いささかの役にも立ちそうにないが、わりあい堂々と語ることができる。なぜかといえば、誰にでもちょっと変わった癖はあり、その世間的な無意味も、個人的な意義も、言ってみれば好みの問題として、互いに距離を取り合えるであろうからだ。もちろん自分以外にも、専門家やマニアなど、つまりはそれにすべてをかけて、人生のしあわせはそこにしかないと信じて疑わないひとたちがいることもまた、なにひとつなし得ないわたくしたちの慰めのひとつである。

俳句はそうではない。わたくしたち俳人にとって、俳句とはただ手慰みに、公認された価値を再生産することではない。また誰かに任せられることでもない。俳句によって、わたくしたちは、どこか深いところへといたる。常にとは言わない。これまでできたためしもない。古今の名人には敵わない。しかし、できるのだ。これまで誰ものぞき得なかったくらやみ、そのいわくいいがたい手触りを、得たりと気づいた時にはすでに儚い胸騒ぎが残るのみだとしても、それはわたくしたちみずからが行うしかない。

なるほど。われながら立派なこころがけで、ならばそれを堂々と誇ってはいけない道理もない。ではなぜ俳句の遺産登録を受け入れられないのか。俳句は遺産で、古臭い趣味だと、世間には思わせておいて、自分ひとりはまだ見ぬ少数の理解者に向けて、詩歌の精髄を極めんと邁進すればよいではないか。いやはや、しかし。

ここまで槍玉に挙げておいてなんだが、遺産登録云々にかかわらず、そもそも俳句そのものがはずかしいのであり、俳人であることがはずかしいのだ。いやそうではない、俳句は結構だし俳人であることは立派だと、そこになんらの屈託もないにんげんを、善人だとこそ思うが、信用することはできない。なぜなら俳句とは、その形式においてはじめから不自由なものなのだ。その不自由をこそよろこんで、いやこれは逆説的には自由な天地を得ているのだと、それはいいわけでしかない。まずしさをゆたかさと誇って、それは厚化粧の一人芝居か、さもなくは錯覚である。そこに、世界遺産の、文化登録のと、深々と彫り付けてしまっては、うしろめたくて仕方がない。俳句定型について回る、どうあっても言い繕うことのできないまずしさを、どこで担保すればよいのか。言い換えれば、恥を知るにはどう振る舞えばよいのだろうか。わたくしたちは、手足を縛られ、檻に入れられる。道化を見てやろうと幕が上がる。張り詰めた糸を渡り、荷物を詰めて転がり、そのあやうい芸で見るものを青ざめさせる以外に、なんの見栄があるというのか。

なお、俳句が登録されようとしているのは、正確には「無形文化遺産」であり、和食に関してもそれは同じだが、引用した記事などでも誤用が多くみられ、また世間でも世界との語を冠して受け止めることが少なくないので、いささか迷いながらも、本文中では「俳句の遺産登録」とお茶を濁した。ご寛恕いただければさいわいである。

2016-05-01

ふてぶてしい季語 吉田竜宇

ふてぶてしい季語

吉田竜宇


季語とはなにか。おれは俳人だぞというにんげんならもちろん一家言あるところだが、乱暴に括ったもののなかのひとつとして、季語により季感をあらわすというものがある。つまり季語とは、俳句を前にしたときの俳人ならではの了解として、ある共通の感覚を呼び起こすものであり、その共感を土台として、そこに込められた思いだとか、情景だとかを読み解くというのである。伝統的な情緒であれ、現代的な風物であれ、梅ならこんな、桜ならあんなと、裏切られることのないものを前提にして、それをどう丸めこむか、あるいはひっくりかえすか、それは俳句の楽しみのひとつである。

もちろん問題がないこともなく、技術的な枝葉末節にとらわれがちになったり、いわゆる季題趣味に陥って、本質論を語る機会を失ったりすることもありうる。また、同時代的な感覚を過去にまで拡大し、俳句は日本人の歴史だ伝統だというような色を帯びた論調にもなるが、これにはいろいろな注意を要する。旧暦からの移行に伴うごたごたや、「~忌」などに代表されるような人工的な季語の問題もあるが、それはそれとして、季語すなわち季感との理解は、実際わかりやすく、俳句のなかでなにが描かれたか、あるいは描かれようとしたか、巧拙は別として、大筋の理解が外れることはあまりない。例えば句会などの場においては、議論をさばきやすく、また、有季無季の議論においても、別になくてもいいけれどあったほうがわかり良いよと、上からの折衷案でお茶を濁すこともできる。

わたくしも、文句があるわけではない。しかしこれは、季語を仲介とした、俳人同士での約束であろう。俳人であるただひとりが、ただひとつの俳句、つまりその定型とどうやりとりをするか、というところで、また別の約束があるはずである。

朝顔や百たび訪はば母死なむ  永田耕衣

二つづつ乳房牡丹を通り抜け  宇佐美魚目

かあさんはぼくのぬけがらななかまど  佐藤成之

近い無限がまた遠くなり蛞蝓  竹中宏

これらの季語は、共感や理解とは程遠いところにありながら、身をひるがえして驚異を見せつけるでもなく、句のなかにふてぶてしい顔をさらしている。

たとえ優れた柔道家であっても、道着をつけない相手には、襟首も袖もつかめず、技をかけることができない。そして俳句定型は、俳人に向かって、かまえも見せず、まはだかで佇んでいる。季語とは、そこに着せる道着であり、あるいはいっそ、攫んでひきずり回す鼻づらである。取組はあざやかに仕組まれる。わしづかみにしていたはずが、気づけばつかまれて、その軌跡を目にしたわたくしたちもまた、もろともにひきずり回される。

2016-04-10

未来にめりこむ俳句 「円座」創刊五周年記念シンポジウムをきいて 吉田竜宇

未来にめりこむ俳句
「円座」創刊五周年記念シンポジウムを聞いて

吉田竜宇

四月のふつか、「円座」創刊五周年記念シンポジウムが名古屋にて開かれ、わたくしもだれに誘われたわけでもないが、衆のうちにまぎれた。

尾張の桜は満開であった。なだたる金城には、国内外からの花見客がつめかけていたようだが、こちらもかなりの大部屋にかかわらず、ひとつの椅子をふたりが分けあうような盛況であり、そして社員の家族か教え子かであろうか、制服の女子学生や、まったくの子どもの姿も見られてた。

武藤紀子主宰は、聞いた話なので間違いがあるかもしれないが、もともとは宇佐美魚目に師事し、さらに飴山實と交流し、やがて長谷川櫂の門に入ったようであり、俳句における伝統なるものがどう移り変わっていったのか、ひとつの流れが見えておもしろい。

さて、シンポジウムには「未来にめりこむ俳句」との題があり、青木亮人、松本邦吉、関悦史、中田剛、中村雅樹の各五氏(予定されていた清水良郎氏は当日欠席)それぞれの話しぶりは参加者の興を誘っていた。なお、各氏がそれぞれ「未来にめりこむ俳句」として引いたのは次のとおり。

・青木亮人選
 をりとりてはらりとおもきすすきかな  蛇笏
 墓のうらにまわる           放哉
 人類に空爆のある雑煮かな       関悦史
 7は今ひらくか波の糸つらなる      鴇田智哉
 レタス噛む帽子の動く子供かな     彌榮浩樹

・関悦史選
 避暑楽し指名手配の写真見て      岸本尚毅
 なにもかも天麩羅にする冬の暮     鳴戸奈菜
 南から骨の開いた傘が来る       鴇田智哉
 君はセカイの外へ帰省し無色の街    福田若之
 あたしのくしやみで文明畢るけど    竹岡一郎
 雪の窓料理に皿も尽く頃の       生駒大祐

・中田剛選
 いろいろな泳ぎ方してプールにひとり  爽波
 西日さしそこ動かせぬものばかり    同

・松本邦吉選
 去年今年貫く棒のごときもの   高浜虚子
 天の川わたるお多福豆一列    加藤楸邨
 虚空より定家葛の花かをる    長谷川櫂
 春着の子激しき水のことをいふ  武藤紀子
 八九間空で雨降る柳かな     芭蕉

・中村雅樹選
 箒木が箒木を押し傾けて        爽波
 いつまでも花のうしろにある日かな   あきら
 虚子の忌の大浴場に泳ぐなり      桃子
 一陣の落花が壁に当たる音       岸本尚毅 

・清水良郎選
 鶏頭の十四五本もありぬべし      子規
 あなたなる夜雨の葛のあなたかな    不器男
 母の手にみかんを置けば剥きにけり   清水良郎
 すれちがふ電車の客の昼寝かな     同
 竹馬のひと追ひかけて来たりけり    同


なにか結論が出るようなものでもなく、それを目的としてもいないが、聴衆としてこのテーマに接し、思うところがないでもなかった。

そもそも未来とはなんぞやと考えるとき、浮かんでくるのは、テクノロジィ、子どもたち、このふたつの顔である。今日、わたくしたちの日々は、かつてないほどの科学技術の発展にさらされているが、その原理はいかなるものかと問われて、自らのあまりの無知に愕然とするほかはない。煌々として注ぐ照明も、星を覆う企業のネットも、電気であろう電子であろうと雑なあたりをつけ、とりあえずそれでわかったつもりになってはいるが、深淵なる数学や物理学はまるでこの世の埒外にあるようであり、街中でふと、わたくしたちはとんでもないところにいるものだと、おそれを抱くことがしばしばである。十年後、百年後、いや既に千年の昔から、科学は想像を絶する高みの座にいたり、わたくしたちに、あまねく奇跡を配給している。今あるものは、かつてありえなかったものであり、いづれありうるものは、今はまだないものである。わたくしたちを置きざりにして、テクノロジィは彼方へのあゆみを止めない。

そして子どもたち、あるいはともかく、わたくしたちの死後をいちにちでも生きるものたちは、そのいちにち、一年、ひと世において、わたくしたちが決して目にすることのできないものを見ることになる。今、足元をはい回る赤子たち、汗のにおう学生ら、酒に浮かれ騒ぐ若者ども、かれらが見ることになるどれほど些細なものであれ、あるいは世界を変えるものであれ、わたくしたちがそれを目にすることは絶対にない。不思議というよりなく、うらみは尽きないが、永遠の謎として残されて、ひも解くすべはない。

つまり未来とは、わたくしたちにとって、絶対に理解することができなく、絶対に見ることのできないものである。彼岸へと去る他者である。そして、理解できず、見ることさえできないものを、俳句はときに、軽々と描いてみせる。それは、謎を解いて見せるのではない。ひとくくりの謎がほどけて、あらわれるのは別の結び目、新たな謎である。謎がなぞとして姿を変えつづける限り、それは滅びない。


 百日紅釈迦の阿難のわれ彳つも     槐太
 白昼を能見て過す蓬かな        魚目
 紅梅や木乃伊も見られずば舞ふまい   竹中宏


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2014-12-14

【俳句を読む】 柘植史子の受賞一句について 吉田竜宇

【俳句を読む】
柘植史子の受賞一句について

吉田竜宇


戦争と野菜がきらひ生身魂 柘植史子


断定は詩歌の華である。

直情に基づいた偏見は、時に鋭く世情を穿つ一徹となる。しかし紅旗征戎非吾事と嘯いた貴族には支配階級としての屈託も矜持もあったと察せられるが「戦争と野菜がきらひ生身魂」の句には、どうか。

批評がない、という評がまるで意味を成さないほど、ここに描かれたものはあまりにもそのままでありすぎる。型と中身の違和によって生まれるゆがみが俳句の妙味であろうが、ここで俳句に注がれたものは、注がれる前もそのまま同じかたちで存在したであろうし、また隙間無く注ぎつくされたであろう。周囲からなにかを呼び込む空虚も、型に嵌らず抹殺されたなにものかもない。

ところで、野菜を嫌うのと同じ基準で戦争を嫌うのであれば、野菜は健康に良いのだから味が嫌いでも、と同じ理屈で、外交戦略上不本意ながら戦争を遂行する、との決定に逆らえないはずだ。

これは理屈といっても屁理屈だが、そういった批判を誘発することにまるで無自覚なように見えるのはなぜであろうか。季語がなんらかの相対化の役割を果たすかと思えば、それも覚束ず、単に感覚を是認しているだけである。

いや、巧みな斡旋と言えなくはない。長寿を敬うことにより、戦争から距離を置いてきたこれまでの経験を、ひとつの可能性として提示してはいる。しかしそれは、追従ではないのか。これまでまったく野菜を絶つ食生活が営まれてきたとはとても思われず、であれば句中において戦争の立ち位置は明白である。

にも関わらず全く屈託を感じさせない寿ぎで済ませるのは、なにか不気味なものさえ感じられる。

おそらくそれは戦後民主主義的ともいうべきもののある側面、国家の現実が単なる市民意識に左右されることを是とし、理想とさえする根拠なき自信であろう。そしてその自信は、あまりにも普遍的なものとして取り扱われ、それに反する一切を目撃すらしていない。

かつて台所俳句と誹謗された句群は、しかし生活という人間の生身に関わる細部から切り込んで世相を明らかにした。優れた句作は素材の反映たるにとどまるを乗り越えて、表現と呼ばれる領域に昇華した。

では前掲の句はどうか。これが単なる素材の反映かといえば、そうでもないように思われる。しかし表現かと問われれば、もっとそれ以前のものであろうし、型の一言で済ませたくもある。

とはいえひょっとすると素材そのもの、現実そのものであるのかもしれなく、ならば優れた作品というべきであろう。これほど直截な発露、不意に露わになってしまった現実は時代の刻印となり得る。

野菜を嫌うのと同じように戦争を嫌う、心優しい市民たち。優しい心は、なんの衒いもなく、そうするのがこの世で最も自然なことであるかのように歌われる。

それが受け入れられ、顕彰されるには、どれほどのものが必要であったか。どう褒めても皮肉で言っているようにしかならないはずなのに、なぜかそうはならない。

時代の花はやがて枯れ、その思い出をどこかでふり返る日が来るだろう。けれど、この句を前にして、いったいなにを悼み、どう弔えばいいのか見当もつかない。

掲句は(「俳句」2014年11月号 角川俳句賞受賞作「エンドロール」より)

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吉田竜宇
1987生。第53回短歌研究新人賞受賞。
「翔臨」所属、竹中宏に師事。