2017-04-30

週刊俳句 第523号 2017年4月30日

第523号
2017年4月30日

2016 角川俳句賞落選展 ≫見る
「石田波郷新人賞」落選展 ≫見る

野名美咲 怪獣のバラード 10句 ≫読む
……………………………………………

【俳苑叢刊を読む】
第14回 岩田潔『東風の枝』
水平線と、雲と、そのほか。 
……小津夜景 ≫読む

追悼 中村裕さん
ある日の悟空句会  
 ≫読む

自由律俳句を読む 155
「橋本夢道」を読む〔3〕
……畠働猫 ≫読む

第1回「円錐新鋭作品賞」 結果発表 ≫見る

5月7日「文フリ」に週刊俳句が参加します ≫見る

〔今週号の表紙〕
第523号 展望台……西原天気 ≫読む

後記+執筆者プロフィール……上田信治 ≫読む


新アンソロジー『俳コレ』刊行のごあいさつ≫読む
週刊俳句編『子規に学ぶ俳句365日』のお知らせ≫見る
週刊俳句編『虚子に学ぶ俳句365日』のお知らせ≫見る

10句作品 怪獣のバラード 野名美咲


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怪獣のバラード   野名美咲

芸術で倫理を殴れ殴れ殴れ

シマウマの白に付箋を貼りまくれ

どもれ人間!どおれいんれん!どぉーえにぎぇえ

蝶々は喰いちぎったら少し苦い

パソコンに挟む資料や春のまち

進めなめくじ芸術はお前のために

菜の花と折り畳まれし車椅子

短夜の湯に浮かべたる洗面器

麦茶少し残して席を立ちにけり

どこの毛も伸びっぱなしの夏休み

【俳苑叢刊を読む】 第14回 岩田潔『東風の枝』 水平線と、雲と、そのほか。 小津夜景

【俳苑叢刊を読む】
第14回 岩田潔『東風の枝』

水平線と、雲と、そのほか。

小津夜景

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岩田潔『東風の枝』を一読してまず思ったのが、読みやすい、ということ。  
ギヤマンに葡萄溢れつ祭宿
巻頭句。ギヤマンの縁をすべる輝きと、宿の内部にわだかまる翳り。路上の喧噪と、室内の静寂。こうした〈光と闇〉や〈動と静〉のコントラストは、西洋絵画のパースペクティヴにすんなりと収まるものだ。またギヤマンの表出する精神性、溢れる葡萄の豊穣性、祭という俗世の愉悦といったモチーフも単純明快。解釈の罪を犯すより先に、存在そのものの鮮烈な印象を読者へと開示する。

句集の纏う雰囲気を巻頭の一句でもって定めたあとは、流れるように西欧の風物を感じさせる句を口ずさんでゆく作者。
狭路の空におぼろの塔の灯れる
薫風や上着を腕に行く広場
酒場寝て夜霧渦巻く街の辻
南吹く道を馬車ゆき夕さりぬ 
街は秋フランス國旗煙草屋に
裏町の木沓の音も島の秋

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岩田潔の俳句の特徴のひとつは、モダンからドラマツルギーを差し引いたところにある。道具立てが時にバタ臭くみえながら決して演出過多ではなく、自己をめぐる感傷とも無縁。あくまでも平明な美を好み、一句を書き上げる際は、自身の教養あるいは嗜好のツボ(それはしばしば甘い)だけを残してあとはさっぱりと片付けてしまう。この平明好み  どうやらこの点が、岩田に俳句を書かせる理由かと思われる  は、ときに遊俳の香を漂わせもする。
梅干してとなりの二時はやや遅く 
新刊書手にしてわれも春の人
入海の見えてゐる露地金魚賣り

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岩田潔は俳誌「天の川」に所属しながら〈目=観念〉の人ではなかった。もちろん彼は目で見る。とはいえ彼の見明かそうとするものは意味ではなくマチエールの質感であり、言い換えればそれは〈確かに此処に在りつつ、それでいて記憶に触れるごとき光景〉としての〈存在〉である。
朝刊と牛乳〔ちち〕に夏めく日光〔ひかげ〕かな
麺麭燒くや桃は廚の窓に熟れ 
ジャム作る夕餉の洋燈またたくに
北郊の踏切番に冬の虹

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岩田句のまた別の特徴は、その構成意識の高さにある。平明を真に好む者は、その句の置かれる空間的なバランスにも気を配るものなのだ。例えば、ロシア風ショットのつづく次の箇所。
蒼天に露旗ひるがへり橇の宿 
橇の犬旭〔ひ〕にかがやきつ丘越ゆる
橇を止む馴鹿〔トナカイ〕群るる丘見ゆと
眞日照れば疎林ゆく橇ゆるめつつ
原始林のほとりゆきつつ橇夕べ
居酒屋の灯に雪降れり橇をやる
一片の壁の冬日に酒場出る
靴下をかがりて冬日野に去りぬ
枯野ゆく二枚の銅貨ポケットに
オリオンに粉雪ふりつつ夜會果つ
雪の野の別れきし窓灯を消しぬ 
寒燈の陸橋見えてキネマ裏
寢臺に霜しづくせる枝の影
混石土に日は褪せゆけり冬深く
締めの一句の、全体から適度に距離をとった余韻。その理知的な美しさ。

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岩田潔が新興俳句を懐疑していたことは、ちょうど『東風の枝』の刊行と同時期に書かれた彼のさまざまな評論から知ることができる。さらにそこでは自らの句集も次のように自己批判される。
いきなり妙なことを書き出すやうであるが、こんど私は自分の小句集を編んで、その文學的な噓に滿ちた句々にしそぞろに飽き飽きする念ひがした。自分の歩いて來た文學的道といふものがこんなにも空々しいものかと何がなし糞いまいましいやうな感じさへしたのである。「文學は繪空事か」とのきは屢々文學者たちの衝き當る壁らしいが、この壁の感じさせるうそ寒さといふものは、所謂「冩生」を忠実に遵奉している人たちには恐らく理解の出来ぬ性質のものではないかと思ふのである。*1

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視点を少しずらして。

桑原武夫「第二芸術」には、初出に存在していたのに、そのわずか半年後桑原自身の手によって削除されてしまった重要な箇所があった。長谷部文孝「消された俳句 第二芸術論争の空白」によるとそれは《俳句に新しさを出さうとして、人生をもり込まうといふ傾向があるが、人生そのものが近代化しつゝある以上、いまの現實的人生は俳句には入り得ない。俳諧修業は人格の完成であり『俳句に人格の光あれ!』などといつてみても、今日の世に風雅などに遊んでゐる者からの光のさしやうはないのである。たとへば俳壇の名家の世界認識とはどういふものであるか。》といった桑原自身の文章につづく次の一節である。
言挙げぬ国や冬濤うちかへす   かけい

岩田潔氏の解釋がある。「……はつきりと言挙げせぬ國日本が浮び上つて來る。禪にしろ、茶道にしろ、俳句にしろ、すべて批評よりも實踐を尊ぶ日本文化を物語るものである。理論無用の國日本をめぐつて冬濤はたゞ默々と打ち寄せてゐる、云々。」これ以上付け加へる必要はないが、たゞ冬濤が何の象徴であるかが解釋されてをらず(恐らく、小うるさい西洋合理主義であらうか。聯合國ととるとあまりに不穏だから)、また「踐」といふ文字があまりにも輕みをもつて使はれてゐることに注意するにとゞめる。*2

.
岩田潔は桑原武夫の「象徴読み」を気の毒に思ったようだ。『宿雲』昭和23年2月号に寄稿した論文では、上掲の一節を指して曰く《この一節は、『現代日本文化の反省』に収録した「第二芸術」の中では削除してあるが、これは氏のために賢明な処置であったと言はざるを得ない。事は私に関することなので気がひけるが、「第二芸術」の主旨には殆ど賛成である私にも、この部分は拙く、氏のためにとらない。かけい氏の句の『冬濤』を『小うるさい西洋合理主義』の象徴とみるなど、俳句の『読み』方を知らぬと言われても仕方あるまい(……)冬濤は冬濤として、それのみで鑑賞していたゞきたい。俳句は象徴の芸術だからといって、何でも象徴と結びつけて考へようとするのは、それこそ『小うるさい西洋合理主義』に災ひされてゐるのではなからうかと書いた。*3

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また「俳句には近代的精神を盛り込めない」という桑原の思いつきに対してはこのように書く。
芭蕉の傑作と云つても、當時の、西鶴や近松が素材としたところの「現實」や「社會」は、直ちに素材とは爲し得なかつたのである。*4

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詩人でもあった岩田潔は「意味を求める若者は詩を書け」と言う
生活探究派が意圖するやうな「動物的生」或ひは「動物生」を詠ひたいのであれば、何故、十七音定型と季題といふやうな窮屈千萬な殻の中に自らを閉ぢこめてゐるのであらう(……)親の遺言でこの窮屈な俳句を作つてゐる釋でもあるまい(……)自分の心の中に湧きたぎつ詩的感動(詩精神)が大事か、偶々自分の擇んだ俳句といふ詩形式が大事か、生活探究派は大いに熟考してみる必要があると思ふ。*5

10.
閑話休題。弟を戦地へ送り、父親を失った岩田潔は、この句集の後の章で父親のふるさとに戻って来る。表面上はなにもかわらない毎日。
秋風の町行けば會ふ人親し 
日記にはけふも落葉とあるばかり
波寄せて冬あたたかき乳母車 
春を待つこころよ砂に身を起す
囀りや紅茶の後の支那煙草 
手にとりてみなみかぜ吹くメニューかな

11.
しかしまた、次のような句集中の記述も。
毎日、眞青なを眺めながら生の憂愁にされてゐた。死の誘惑と闘ひつゝ、懸命に生きてゐた當時の私の面影が、句に現はれてゐないことを、人は非難するだらうか。

障子張りて雲あたたかき日なりけり
三月のマントさびしき砂丘かな 
木蓮の散りて裏町朝闌けぬ 
松かげに歸帆遠のく墓参かな
鯉のぼり見えて街道海に沿ふ

12.
『東風の枝』は1933(昭和8)年から1940昭和15年夏までの句をあつめた岩田潔の処女句集。岩田は1911(明治44)年函館生まれ。父の職業(船員)の関係で横浜、神戸、大阪に住む。中学卒業後は大阪伊勢名古屋の税関につとめ1939 年(昭和14年には碧南市で煉炭会社役員に。「青垣」「詩風土「コギト」などの詩誌の同人を経て昭和初期の山本梅史主宰の俳誌に投句し以後「天の川」「雲母などに参加戦後は無所属。大浜練炭会社に勤務中ガス中毒にて50歳で死亡。
春惜しむ人に水平線と雲


*1岩田潔高野素十論『俳句静思』臼井書房, 1946, p.43
*2桑原武夫「第二藝術」世界1巻第11,  岩波書店, 1946, p.62
*3長谷部文孝「消された俳句 第二芸術論争の空白」『炎環』1998年1月号,p.86 なお引用箇所の仮名遣い表記は当論文ママ。
*4岩田潔俳句の運命『現代俳句論』, 潮社, 1947, p.143
*5同上, p.133

ある日の悟空句会

ある日の悟空句会


『弦』39号より転載

悟空句会について

三橋敏雄は生前、主宰誌などは持たず、俳壇的勢力拡大にはほとんど興味を示さなかった。だからその薫陶を受けたものは意外と少ない。その数少ない、敏雄を直接間接に師と仰ぐ遠山陽子、中村裕、佐藤文香の三名が集ったのが悟空句会。句会といってもこの人数だから、気軽に言いたいことを言い合う合評会のようなものである。

名称の由来は、芭蕉、敏雄、陽子がそろいもそろって申年生れだという発見に由る。(ちなみに白泉と文香は丑年、三鬼と裕は子年)。加えて白泉が孫悟空を憧憬する一文を残していること。さらに芭蕉が新風を興したのは「猿蓑」。また孫悟空のもとになったインドの猿神・ハヌマーンは詩人でもあった等々、様々な縁ゆかりによって、この名しかないと思われた。

平成二十六年十一月二十二日が第一回目で、ほぼ月一回のペースで続けている。言い忘れるところだったが、年齢的にメンバー三名でほぼ三世代をカヴァーしている。
(中村裕)


二〇一六年九月二十一日の句会より
二〇句出句の中から、各六句選
(○は入選句、◎は特選)

遠山陽子の作品
                   角低くくる坂東の甲虫
裕○            逃亡の汽車の横揺れ夏の月
文○            よぢれ出る栄螺の腸や目に青葉
                   眼を病んでをりあぢさゐの白き頃
                   亡き父が自転車でくる夜釣かな
文○            青鷺の一度みじろぐ淫雨かな
                   風死せり蛇の消化器などおもひ
裕○            わが死後の本の崩るる夏の月
                   露のままでゐる蛍にはもうなれず
                  湛々と火口湖せつせつと青葉木菟
                   葦の中気管支炎の行々子
裕○ 文○    瀧の落差見上げ尽してうすれけり
裕○          桃と桃かすかに触れてゐてこはい
                  めしどきに戻らぬひとり原爆忌
文○            盆がくる抱かれ嫌ひの猫でして
文◎            わが髪より白きものなし大花野
裕◎            敗戦日順路あるけば出口かな
                   秋風を舐めとり山羊は哲学者
裕○ 文○    背高きまま老いたれば花野見ゆ
                   作用点力点糸瓜は垂るるのみ
                   秋の夜の秒針に合ふ鼓動かな


瀧の落差見上げ尽してうすれけり

裕 「うすれけり」っていう漠とした言い方がいいよね。意識が遠のく感じ。

文 下から上へ視線の移動があって、そこからそのまま空を見て、自分がうすれていく、というのが面白いと思います。

裕 瀧といえば水が落ちる句が多いけど、下から上へ、というのが新鮮。

背高きまま老いたれば花野見ゆ

裕 そのままといえばそのままなんだけど。飯島晴子の「寒晴やあはれ舞妓の背の高き」を思い出した。「花野見ゆ」が強気だよね。

陽 「花野」はかなり象徴的に働くでしょ。これ以外にはないと思ってつけた季語なの。

裕 いいんじゃないですか。

文 今回は「わが髪より」の句とこの句が、陽子さんの自己描写の句ですよね。陽子さんの年齢だと、背が高いことで苦労されたことも多かったと思いますが、まわりが老いてより小さくなっていく中で、ひとり巨塔のように花野を見はるかせる今、という感じでしょうか。かっこいいと思いました。

陽 自分では、かなり「あはれ」な感じなんだけど。(笑)

わが髪より白きものなし大花野

文 花野って、花が咲いてはいますけど、必ずしも女性らしいわけではなくて、草も生えてて広くって、現世を代表する景色のようなところがあります。そのなかに花だったり蝶だったり白の要素は多くあるんだけど、でも私の髪が一番白い、と言い切るのが、これもかっこいい。

陽 そう言ってもらえると嬉しいわ。こういう自分をさらけ出した句ってあんまりつくらないから。

裕 さらけ出し方がめんどくさくないよね。

敗戦日順路あるけば出口かな

裕 「弦」を出してこられた陽子さんらしい句だと思った。「順路あるけば出口かな」は面白いね。こういう客観的なのがいい。僕は「聖誕祭出口へいそぐカタコンベ」という句をパリでつくったことがある。

陽 「順路あるけば出口かな」は自分でも気に入ってるんだけど、「敗戦日」で意味が出ちゃわない? なんでもつくのよね、上五に。

裕 それは社会がこうだからしょうがないんじゃない。敏雄の弟子として間然するところがない。

陽 文香さんが取らなかったのは「敗戦日」のせい?

文 そうですね。私も中七下五はいいなと思ったんですが、季語を「敗戦日」にするとどうしても「敗戦日」の句になっちゃいますよね。アイロニーに見えてしまう。

陽 そうそう、そういう風に読ませる句には、本当はしたくないのよ。意味や理屈がついてしまって、判りやすくはなるんだけど。

逃亡の汽車の横揺れ夏の月

裕 いろんな連想があるよね。

文 ドラマチックな句ですね。

裕 また自分の句で恐縮だけど「ひかり号過ぎ横揺れのこだま号」っていうのをつくったことがある。師匠が同じだとモチーフも似てくる。

陽 その句も面白いわ。

よぢれ出る栄螺の腸や目に青葉

文 栄螺の腸って黒くて、部分的に緑光りしてますよね。その緑と、青葉の緑の、タイプの違う生命感の対比が面白いと思いました。

裕 「よぢれ出る」が面白い。

文 「目に青葉」の唐突な感じもいいです。

青鷺の一度みじろぐ淫雨かな

文 陰鬱な雨のなか、杭のように一羽佇つ青鷺が、一度身じろいでまたその景色に戻る。「一度」が効いていると思いました。

陽 「淫雨」という言葉一度を使ってみたかったの。

裕 「淫雨」があとをひくかんじ。

文 「みじろぐ」「淫雨」でちょっとエロティックにも見えます。

わが死後の本の崩るる夏の月

裕 切実ですね、私なんかも。

陽 生きてても崩れてくるからね。

裕 最後の本を書き終わった途端全部処分するとかしたいね。

文 本崩れ系俳句だと「木犀やくづれてぜんぶ君の本」という句をつくったことがあるんですが、崩れるほど本がある人は素敵ですね。書斎に差し込む月の光もいい。

裕 敏雄の小田原の書棚に『チボー家の人々』全五巻があって、八王子から持ってきたんだからやっぱり大切な本だったんだろうな。

桃と桃かすかに触れてゐてこはい

裕 怖いよね。「こはい」の平仮名が効果的で、「ゐて」が「こはい」をより強めている。

陽 「触れてをりこはし」とどちらがいいかなって、随分考えたんだけど。

文 旧仮名口語が効いていると思います。若手だと生駒大祐とかがつくりそう。

陽 若手の句の影響を受けているかもしれない。

盆がくる抱かれ嫌ひの猫でして

文 お盆なので本家に集まったりして、その家の猫をみんな可愛がろうとするんだけど、愛想がなくてすっとどこかに行ってしまって、家主の方が「抱かれ嫌ひの猫でして…」と恐縮してる。「でして」が面白いです。

陽 そう、そうなの。伝わってよかった。


中村裕の作品
陽○ 文○    手のとどくところ手摺りや辣韮掘り
                   人工芝の円陣くづれ夏の風
                   夕凪も朝凪も凪きのふけふ
                   夏の月声出し点呼の駅員と
陽○          差金の胡蝶はいつか去りにけり
                   片陰や人撥ね走り去るクルマ
                   手を濡らし棒立ちの友よ夏休
陽◎          故人と観る近未来映画暗澹
                   急湍へずり落ちてゆく蟻の道
文○          鉄よりもアルミ柔らか花火の夜
                   我忘却す苺潰さるるよ
                   地に足のつかぬベンチや天の川
                   貨物車は仮末代の栖かな
                   終夜工事は安全第一渡り鳥
陽○          鷲は爪狼は牙案山子竹
文◎          滑らかな路面に轢死露の秋
文○          ロボットアームが捏ねゆく肉の粘りかな
文○          迂󠄀回する陥没道路雁のこゑ
陽○          乳母車越す車椅子草の花
陽○ 文○    全館空調冬のシベリア鳥瞰図


手のとどくところ手摺りや辣韮掘り

陽 手の届くところに手摺りがあるっていうのは発見だわね。でも辣韮掘りがどうしてここにくるのかしら。

裕 辣韮って一株にたくさんついていて、わりと浅いところにあって、手でとるんだよね。手でとる動作からの連想なんだけど。

陽 飛躍しすぎじゃないかしら?もうちょっといいものがあるでしょう。映像として見えてこないところが残念なのよ。

文 私も上五中七がいいと思いました。「辣韮掘り」は手からの発想としてはむしろ近すぎる気もしますね。

全館空調冬のシベリア鳥瞰図

陽 映画館とかかしら。空調の効いた館内で広大な凍りついた冬のシベリアの映像を見ている情景がはっきり見えてきていいです。

文 私は百貨店を想像しました。全館に空調を入れるということは、目を行き届かせるということで、それは鳥瞰と通じるなと。

裕 空調って言うかな? 冷房とか暖房の方がいいか。

陽 空調って言うとどちらもあって、とにかく快適な空間な訳だから、この句はそれでいいんじゃないかしら。

裕 博物館なんかでマンモスとかがいてもいいかもしれない。

故人と観る近未来映画暗澹

陽 今よりちょっと先を映している映画を、ちょっと前に死んでしまった人と見ているというのは面白いと思いました。ただ、暗澹って言っちゃっていいのかなあ、面白いけれど。たとえば暗転としても暗澹の感じは出るんじゃない。

文 私、「故人と観る近未来映画」まではすごく好きだったんですが、暗澹で答を出してしまっている気がして取れなかったんです。

裕 あんまりこれから世の中いいことないよなぁって敏雄の口癖だったでしょ。 「ブレードランナー2」がこの夏から撮影に入ったそうだけど、敏雄と一緒に見たらさぞやこういう気持ちになっただろうなって。「暗澹」はあえて答を出すようにつくりました。

陽 ほんと先生が亡くなってから嫌なことたくさん起きたわね。先生は大地震が起きることも、戦争がまた起きるだろうことも作品で予言していたからね。あ、この句二重丸にしてよかった。

滑らかな路面に轢死露の秋

文 なめ「ら」か、「ろ」めん、「れ」きし、このラ行音に惹かれました。轢死っていうと本来グロテスクなはずですが、この書き方だとつるっと平たくなって死んじゃったみたいな感じ。コミカルですよね。

陽 面白いんだけど、「露の秋」にちょっと引っかかって。

文 「露の秋」の美しさによって、この作者がこういう死に方をしたい、というように見えます。

陽 なるほど。

差金の胡蝶はいつか去りにけり

陽 差金という言葉が面白かったです。その差金が見ているうちに目に入らなくなって、ほんとに蝶が飛んでいるように見えてきて、そしてその蝶もいなくなってしまう。好きな句でした。

裕 ああいうのって気づかないうちにいなくなってるんだよね。

文 私も取ろうか迷った句でした。「さし」がね、「さ」りにけり、の音もいい。

鉄よりもアルミ柔らか花火の夜

文 金属で花火とくると、花火の光の色を思わせますよね。

陽 「花火の夜」って言われても、前半との関係が見えてこない気がするの。

文 私は上五中七は触覚で感じる内容なので、そんなに見えなくてもいいかなと思いました。

陽 二つの金属の感触は感覚的によくわかるので、前半は好きだったんですけどね。

鷲は爪狼は牙案山子竹

陽 鷲は爪で闘って、狼は牙で闘って、案山子は竹で闘っている。鷲、狼から案山子にすとんと落とした面白さが抜群。

裕 よくある案山子って竹の弓矢を持ってるでしょう。

陽 「かかし・たけ」なのか、「かかしだけ」というものがあるのかがちょっとわからなかったけど、やっぱり私の解釈でよかったのね。

ロボットアームが捏ねゆく肉の粘りかな

文 ハンバーグを機械がつくってるんでしょうか。ロボットアームに、挽肉がねっとりとついている。金属と肉の質感の違いが面白かったです。

陽 ロボットが、でいいんじゃないかしら。

文 ロボット、というと人間の形をした全体のような印象もあるので、腕が見えた方がいいかなと思って。

陽 そう言えば確かにそうね。腕の動きが見えてきます。

迂󠄀回する陥没道路雁のこゑ

文 そのままの句ですが、陥没道路という視覚的なノイズと、雁のこゑの対応がいいと思いました。

陽 熊本の地震の現場を思い出すわね。雁の声が俳句的。

乳母車越す車椅子草の花

陽 赤ちゃんを乗せる乳母車と、怪我した人や老人を乗せる車椅子、どちらも弱者が乗る車ね、逆でもいいんだけど、車椅子が追い越した方が救いがあるわね。「く」るま・「く」るま・「く」さでまとめて、ちゃんと言いたいことも言ってていい句です。

文 「越す」だけでも正確かな、「追ひ越す」と言いたいような、と、ちょっと迷いました。


佐藤文香の作品
裕○            雁わたるモルタル壁の理髪店
陽○            手招きのうちがはにある花野かな
                   乗りかへの駅の芒や喩のにほひ
                   すむうずにふれてわかれて蜻蛉かな
                   秋風よサラダの偽物の蟹よ
裕○            文旦や膝のにほひの膝の骨
                   巻尺のもどるはやさよ彼岸花
陽○            折り返す電車は鉄で草の花
裕○            渋柿熟れて病院にバスが着く
陽○            犬に差す秋の光の粉つぽく
陽○ 裕◎    イヤフォンの土まで垂れて葛飾区
                   烏龍茶母の灰色のワンピース
陽○ 裕○    神の皮膚やはらかからむ蘆の花
                   家柄にはりついてゐる蔦かづら
裕○            屋上に子の側転と毛の犬と
陽◎            秋高しそこらの子らを色で呼ぶ
                   踊子よ近くの山の見えなくて
                   左手は風をたたんで昼の景
                   渡り鳥今が雨上がりに見える
                   空に雲滲む日暮の一部始終


イヤフォンの土まで垂れて葛飾区

裕 インパクトがあるよね。葛飾区が案外あってるっていうか。音のせいかな。地名の面白さと今時の風景で、すごくいい響き合いをしてるなと思いました。

陽 戸外で音楽を聴きながら歩いている人をよく見るわ。ときにイヤフォンのコードを扱いかねて下まで垂れちゃうという。近頃の風俗がわかるわね。都会のアスファルトじゃなくて、土なのね。葛飾という地名が微妙に合っていて面白い。

裕 葛飾区といえば寅さんだよね。葛を飾ると書くのもいいのかな。

神の皮膚やはらかからむ蘆の花

裕 神話的な感じがしました。蘆って水辺で、稲作と関係があるよね。古事記とか日本書紀の匂いがしたな。

陽 「神の皮膚やはらかからむ」なんて言った人ははじめて。ここまで自分の触覚で神を親しく捉えてるのはね。原初的な蘆と取り合わせたところがよかったと思います。

裕 字配りもきれいだよね。

手招きのうちがはにある花野かな

陽 手招きというからには誰かが呼んでいて、手招きしているその内側に花野があるのね。それがその人の明るさや広やかさを表していて、花野の中に招き入れられるような、気持ちのいい句だなと思っていただきました。

裕 文香さん独特の空間把握だよね。「知らない街の吹雪の中は知っている」みたいな。具体的にはっきりその空間がわからないところがいいんだと思う。

陽 こういう表現は、私らにはできないわよね。従来の言い方なら、「手招きの人立つてゐる花野かな」になってしまう。

秋高しそこらの子らを色で呼ぶ

陽 「そこらの子ら」が良かった。そこらで遊んでいる、いろんな色の服を着た元気な子らが、澄んだ光の中で跳びまわっている光景が見えてきて。名前は知らないけど青ちゃんとか白ちゃんと親しみを込めて呼んでいるのね。とても健康的で楽しくて、好きな句でした。

裕 文香さんらしいね。虚子の「苔寺を出てその辺の秋の暮」なんかをつい思い出したけど、そんなふてぶてしさは、この句にはないね。すっきりしたいい句です。

雁渡るモルタル壁の理髪店

裕 無駄なことを言わず、端的に昭和の感じを出している。

陽 昭和の初めの頃の家の外壁は木だったのよね。それが火事で延焼しないようにって、戦後にモルタルが流行りだした。今はまたモルタルは流行ってないから、これはまさに昭和なのね。文香さんが「雁渡る」みたいに俳句的な収め方するなんて面白いわ。

文 簡単な構造の俳句が書きたかったんですよね。

のりかへの駅の芒や喩のにほひ

陽 この句、いただかなかったんだけど、「のりかへの駅の芒」だけで面白いから「喩のにほひ」まで言わなくてもよかったんじゃない。鈴木六林男の「わが死後の乗換駅の潦」も、「潦」だけで伝わってくるものがあるでしょ。

文 さきに「喩のにほひ」を思いついてしまって……余計でしたね。

陽 そういう抽象的な言葉を生かすためには、別の言葉と方法があるはずなのよね。難しいけど。

文旦や膝のにほひの膝の骨

裕 文旦って大きいやつでしょ? あれをどうしたのか。骨とまで言ったのが面白いのかな。それぞれの感触、押した柔かさの違いの面白さ。膝ってあんまり匂いしないよね。

陽 するんでしょう、こう言ってるんだから。文旦、大きいから膝にのせたんじゃない。(笑)これは冗談。文旦やでいったん切って、膝の骨と対比しているんでしょう。膝と同じくらいの大きさの文旦との質感や匂いの違いが鮮明に見えてきて、面白い取り合わせだと思う。

裕 文字の並びの勢いにもよくわからない説得力がある。

折り返す電車は鉄で草の花

陽 これはわかりやすいわね。草の生えてるようなところが終点で、考えてみれば電車は鉄であった、と。山口誓子の「夏草に気罐車の車輪来て止る」の現代版と言えなくもないけど。

裕 折り返すから物質として考えるんだろうね。

渋柿熟れて病院にバスが着く

裕 「熟れて」がね。人間が熟れちゃって病人になるというか。上と下は理屈としては繋がってないんだろうけど。

文 うーん、でも繋がってるように思われてしまうと面白くないですね。

犬に差す秋の光の粉つぽく

陽 秋の光が犬の毛並に差すと、てらてらしないで粉っぽく見えるのね。毛並みが粉っぽく見えるのではなくて、光が粉っぽいという見方をしたところが素敵だと思いました。

文 ちょっとつくりがザツすぎるかなとも思ったのですが……。

屋上に子の側転と毛の犬と

裕 「犬の毛」でなく「毛の犬」と言ってるのが面白い。いかにも屋上らしいね。

陽 「毛の犬」がいいわね。

文 「こ」の側転と「け」の犬、カ行音で揃えたわけです。

陽 文香さんには、音韻に敏感な句が多いわね。

文 今回は陽子さんの、ご自身を詠んだ花野の二句がトピックスですよね。

裕 人徳ってもんです。そのまま詠んで俳句になるんだから。

陽 文香さんの句は内容はさらっとしてるんだけど、何でもないものを見る独特の見方とか、従来の詠み方と違う表現をしようと工夫しているところなど、私にはできないことをやっている句を、いつも感心していただいてるんです。私くらいの齢になると、いやでも自分のことを詠うだけで内容は出てきちゃうわけです。
裕 「モルタル壁」の句は他の人でもつくれるかもしれないけど、「手招き」とか「秋高し」の句はなかなかつくれない。

陽 三人の中で年齢的に裕さんが真ん中だから、両方のよさが良く見えるし、どちらからも理解されやすいんじゃない。いろいろ試せるわね。

文 「差金の胡蝶」の句みたいに、聞きなれない言葉をうまく使うのも裕さんの持ち味です。記名の状態で見せ合うから、それぞれ自分らしさを出せる。

陽 まったく共通点のない三人だから面白い。

裕 この句会だと、普通の句会と選ぶときの感覚が違う。こうきたか、こういう言い方もある、みたいに、選ぶのが楽しいよね。
(記 佐藤文香)

自由律俳句を読む 155 「橋本夢道」を読む〔3〕 畠 働猫


自由律俳句を読む 155
「橋本夢道」を読む3

畠 働猫


 体調不良と仕事の繁忙期が重なり、なかなか投稿できず、1月に始めた夢道句の鑑賞も4月末にようやく3回目となった。
 前回に引き続き、橋本夢道の句を鑑賞していく。



▽句集『無礼なる妻』(昭和29年)より【大正13年~昭和29年】

【二十代】

野菊咲き続く日あたりはある山路 橋本夢道
句集『無礼なる妻』の冒頭に置かれた句であり、「層雲」初掲載の句である。
なんと瑞々しく若々しい句であろうかと思う。
『無礼なる妻』には、二十代から四十代までの句が並べられている。
これにより、句集を通して私たちは夢道の人生を追体験することになる。
本来はそれぞれの句を独立して評価すべきと思う。
しかし、一度でもその人生に触れてしまえば、この句の若さ青さの向こうに、その後たどる数奇な運命が見えてしまう。
そうしてこの句が青年の希望に満ち溢れていることが、かえって読む者の哀れを誘うのである。



さんらんと光りに浴びせられ夜を働く者 同
のちにプロレタリア俳句の中心となっていく夢道の視点は、すでにこの最初期から労働者や貧しき者へ向けられていた。彼自身の境遇に照らせば当然のことであり、読むべき素材はいつも身近にある同じ労働者たちにあったということだろう。
荻原井泉水は、句の魂とは「光」と「力」であると主張した。
夢道にとってその「力」とは、こうした労働であり、「光」とは後述する「恋」であったのだろう。



柑樹色づく貧しき父母の許に帰る 同
肥料問屋に奉公していた頃の作である。
年に数日の休みを父母のもとで過ごすため帰る。
父も母も貧しいが、帰ることのできる喜びがあふれ出ている。
この句もまた若々しく(幼いとさえ言っていい)切ない。



野の虹を帰る 同
短律の句。夢道の句は長律の傾向があり、珍しいと言える。
「層雲」参加後の試行錯誤の中で生まれた句であろうか。
この試行が、のちの「うごけば、寒い」につながっていくのだろう。
この句自体は今見ると平凡ではある。



つる草花もつて工場が閉鎖している 同
雪のガード下で夜の熱いたべものすすらせている 同
これらも労働句と言えよう。
工場の閉鎖は不況や暗い世相を反映しており、ガード下の景は、その中で身を寄せ合って生きる労働者たち、あるいは家族を詠んでいるのだろう。



雪ふるつりがねのちんもく 同
夢道の句の中では異質に思う。
これも試行錯誤の中で生まれたものか。
「物に寄せて詠まねばならぬ」とでも言われたのだろうか。
興味もないのに眺めて作りましたとでもいう、熱のなさを感じる。



僕を恋うひとがいて雪に喇叭が遠くふかるる 同
ふたりに月がのぼり椎の花ちつている 同
恋のなやみもちメーデーの赤旗を見まもる 同
ふたつは桃くりやの水に浮かせてある 同
透明な温泉壺に沈みこませている裸形の恋人も 同
恋である。
「恋」こそが、夢道にとって、井泉水の言う「光」であった。
のちにその生涯の妻となる静子との出会い。
この恋と自身の明るさこそが、夢道の人生を美しく彩り、暗い悲しみから解放している。
夢道の奉公していた奥村商店では、自由恋愛が禁止されており、この静子との恋と結婚のために、夢道は同商店を解雇される。
人生を賭けた激しい恋であった。
特に「ふたつは桃」の句に、二人の若さ純粋な美しさ、身を寄せ合う喜びが謳歌されている。



泣くまいとたばこを一本吸う 同
死顔にもの云えば悲し死顔にもの云わず 同
父とすわり母も来てすわり話すでもない妹も来てすわり 同
これら三句には「弟の死」と添えられている。
対象を詠みこまないことでその喪失の大きさが表現されている。
悲しみに身を寄せ合って耐える家族の姿が、夜に点された煙草の火のように小さく儚く浮かび上がる。



すこし血に染つた言葉で人が人に検束されて行く 同
この集団が動くのだまつかな旗がつづくのだ 同
煙突の林立静かに煙をあげて戦争の起りそうな朝です 同
あつと云う間に死んだ電気工夫の賃銀や生活を誰も知ろうとしない 同
人間が人間にペコペコして組織のねえ俺達が搾取されどうしだ 同
人足の子だからかまわねえのか子供と子供とどこが違うんだえ、え、え 同
プロレタリア俳句群である。
これまで詠まれていた労働句は、あくまでも身の周りの状況を自然に詠んだものだった。
しかしこれらの句にははっきりとした怒りが表明されている。
この時期の栗林一石路らとの交流や活動の中で、夢道の中ではっきりとした思想が結実したのだろう。



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 今回は橋本夢道の二十代の句を鑑賞した。
 その特徴はなんといっても若々しさである。
 希望にあふれる若者の姿がそこにはある。
 この後、三十代、四十代と世相は戦争に向けてその影を深めていく。
 二十代におけるプロレタリア句にも見られる特徴として、おそらくは「実際に目にしたわけではないもの」が詠まれるということが挙げられる。
 労働者階級の句を詠むことは、夢道にとって必要なことであった。
その生活を、真実を伝えることが夢道の使命となったのだろう。
だからこそ、伝えるために自分自身では見ていない景も詠まれたのだ。
それらはただの想像ではなく、同士の経験や見聞に取材したものであったろう。
そしてそうした直接「見ていない」句は、「見えないはず」の句に発展していく。
銃口から覗き込んだ先や、戦場における車輌の動きなど、現在の映画やドキュメンタリーにおけるカメラワークのようにそれらは表現されていく。
こうした手法は夢道の句の大きな特徴と言っていいだろう。
そしてそうした自在に動く視点が、拘禁生活の中で拘束され制限される中で「うごけば、寒い」の句が生まれるのである。



 私の句友に藤井雪兎という俳人がいる。
彼は夢道同様に、映画のような手法をよく用いる。
そこには夢道の影響もあるのだろうと思う。
夢道の鑑賞が終わったら、今度は現代活躍中の俳人の作品を鑑賞していこうと思っている。
まずは彼、藤井雪兎の句を次々回より取り上げたい。



次回は、「橋本夢道」を読む〔4〕。

※句の表記については『鑑賞現代俳句全集 第三巻 自由律俳句の世界(立風書房,1980)』によった。