俳句の自然 子規への遡行 59
橋本 直
初出『若竹』2015年12月号 (一部改変がある)
引き続き「や=かな」の分類について追う。次は「(夏)(秋)(冬)」十三句。春の句は二十七句が三つに下位分類されていたが、他季は数が少なくひとまとめになっている。
常磐木や水も色そふ紅葉哉 紹巴
夕顔や秋はいろ〱の瓢かな はせを
など。四季を合わせると、子規は近世の俳句からちょうど四十句、切れ字「や」「かな」の重複した、いわゆる二段切れの句を収集していることになる。これは子規が集めた句の総数から見れば数多くはないけれども、作者には肖柏、紹巴、宗牧、宗因、芭蕉、嵐雪、其角ら、連歌・俳諧の時代の代表作家達が並んでいる。現代の俳句ではすっかり禁忌となっている二段切れについて、このような側面があることは興味深いことではないだろうか。
「や=かな」の次は、「やけり」の分類がされている。二十一句収集されていて、下位分類はない。
行年や親に白髪をかくしけり 越人
夕立やよくも男に生れけり 蓮之
苗代や鞍馬の櫻ちりにけり 蕪村
五月雨や田毎の闇となりにけり 同
など。特徴的なのは、蕪村の句が六句入っていることである。
ところで、引用した「五月雨や田毎の闇となりにけり」は蕪村没後まもなく刊行された『新花摘』から録られているのであるが、この頃の子規には知る由もなかったけれども、子規の死後に発見、刊行された蕪村の『自筆句帖』では「や」を抜いて「さつき雨」と推敲しているため、現在出版されている岩波文庫の『蕪村俳句集』等では、後者の句形で掲載されている。
また、蓮之の「夕立やよくも男に生れけり」は、おそらく其角の「夕涼みよくぞ男に生まれける」の模倣作であろう。子規がこの句の典拠とした『百番句合』は其角の死後の出版だが、編者の一人中川(雪兎庵)宗瑞は其角の門人でもあった。そうなると現代の感覚からすると違和感を覚えるのであり、当時も模倣が良いこととされていたわけではないはずだが、其角は『句兄弟』という自句を含む類似作を並記する体のアンソロジーを編んでいる張本人であるので、その系譜の俳人達の意識の中では許されていたのかもしれない。
上五を「や」で切る二段切れの分類につづいて、上五に「や」があるが五音目ではないものが十四句分類されている。これは現在ではあまりみない用法であり、かつ子規の代表句にあるものなので少し丁寧に確認したい。
①萩や聲鼾東西々々と 兒斎
②月や聲聞てそを見つる子規 宗牧
③菊や酒漬山椒を茱萸の房 一有
④香やとんて下戸胸躍る菊の淵 常矩
⑤山や雪麓の烟人の息 圓斎
⑥花や孕む大原山の雲の帯 重供
⑦花や雪橋よりわかる道の数 柳川
⑧北や雪汐風寒し磯の松 宗因
⑨沖や雪入舟白しゆふ嵐 同
⑩山や雪ふらぬ日つもる都哉 前左大臣實
⑪花やさく遠山人のつても哉 専順
⑫をしや春旅せて過し我は猶 鷺喬
⑬よしや菊いはぬ色にも片よらず 蓼太
⑭日や西に尾越の鴨の腹白き 花珉
いわゆる切れ字の「や」はもともと詠嘆の間投助詞(または終助詞)の発展した切れの用法であるが、ここにおける「や」はいずれも一句の「切れ」としては働いていない。
①「萩や聲」②「月や聲」③「菊や酒」⑤「山や雪」⑦「花や雪」⑧「北や雪」⑨「沖や雪」⑩「山や雪」の「や」の用法は、たとえば「吾が心なぐさめかねつ更級や姥捨山に照る月を見て」(『古今和歌集』詠み人知らず)の「更級や姥捨山」の「や」のように、上の語を下の体言に結びつける、「の」と置き換え可能な間投助詞の用法であろう。句中に他に切れ字がある句もあるが、結果的にこの用法があると上五で切れが生まれることになっていると思う。
④「香やとんて(飛んで)」の「や」は疑問反語の係助詞「や」による係り結びが流れた用法かと思う。⑥「花や孕む」や⑪「花やさく」は疑問反語の「や」による係り結びであろう。⑫「をしや(惜しや)」の「や」は詠嘆の終助詞。⑬「よしや」は一語の副詞。⑭「日や西に」の「や」は調子を整える間投助詞。この中でもっとも用例の多い「や」と同じ使い方をしていると思われる句を、子規は明治二八年、日清戦争従軍の頃に三句詠んでいる。
①春や昔古白といへる男あり
②春や昔十五萬石の城下哉
③春や千代君と北斗と南山と
①は従弟の藤野古白が自殺したのを悼んで詠んだもの。②は子規の代表句の一つであり、JR松山駅の前に大きな句碑が建っている。③は「北斗挂城邊南山倚殿前」と前書がある句。これは杜審言の「蓬莱三殿侍宴奉勅詠終南山」(蓬莱三殿にて宴に侍し、勅を奉じて終南山を詠ず)という五言律詩の首聯であり、句中の「千代」は、この詩の結句が「長此戴堯天(とこしえにここにぎょうてんをいただかん)」の「長」を踏まえていよう。こうして見くらべると、子規の②の句は、上記の⑩の句の用法に似ていることが分かるであろう。
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