福田若之『自生地』刊行記念インタビュー 第2弾
しびれることです。感電すること。それと、本っていうのは物体です。
聞き手:小津夜景
Q●
子供時代の本の思い出を教えてください。
若之●
絵本で強く思い出に残っているのは、『みにくいあひるの子』です。たしか幼稚園のころですけど、繰り返し読んで、読むたびに号泣していました。母に読んで聞かせたりしてたんですよ、頼まれたわけでもないのに。で、蔑まれていたみにくいあひるの子がりっぱな白鳥になるあたりの場面にさしかかると、朗読しながら、いつも、わけもなくひたすら泣く、泣きながら朗読する、そんな感じでした。あれは、まちがいなく、これまでの僕の人生でいちばん泣きながら読んだ本です。ほかには、電車の絵本をたくさん読んだ記憶があります。『ぐんぐんはしれちゅうおうせん』とか。
Q●
電車モノは多くの子供が楽しむジャンルですね。他方『みにくいあひるの子』の方は、はっきりと〈カタルシス〉を得るために読書しているところが面白い。絵本以外にも、楽しんだ本はありますか?
若之●
『鉄道ファン』を幼稚園生の頃から親にねだって購読させてもらっていました。ほんとに、鉄道好きだったんですよ。
Q●
『鉄道ファン』は〈見ること〉の求道的な快楽がありますものね。
若之●
鉄道の、とりわけ正面から撮った顔の写真がすごく好きだったんです。あのころの僕はちょっとした観相学者のようでした。ほかに、もうすこし本らしい本というと、学研の『昆虫の図解』ですね。図鑑ではなく、図解。スズメバチの顔の拡大図とかね、すごいインパクトでした。あとは、『からだの地図帳』。たぶん、いきものの身体の中身がどうなってるかみたいなことに興味があったんです。身体に詰まっているそれぞれの器官が働いてひとつのいのちを動かしている、そういうことに感動する子どもでした。いわゆる文芸を読むようになったり、本をつうじて言葉に関心を抱くようになるのは、もうしばらく先のことです。
Q●
もののしくみの図解本は多岐に渡りますが、昆虫、からだ、などの流れからして鉄道も一種の〈生命器官〉として魅力を感じていたのかな?といった印象を受けました。
若之●
そうですね、〈生命器官〉として。そして、ある種の色見本のようなものとして。魚類の図鑑もそうですね。鉄道と魚には色彩のよろこびがありました。
Q●
なるほど。色見本というお話は『ぐんぐんはしれちゅうおうせん』の裏表紙にも通じるかも。スタイルブックみたいな感じ。
2. 小学校時代
若之●
小学校のころに読んだ、いわゆる児童文学で印象深いのは、原ゆたかさんの「かいけつゾロリ」シリーズや斉藤洋さんの「なん者ひなた丸」シリーズ、それから、五味太郎さんの絵本です。『るるるるる』や『ビビビビビ』といった音の絵本シリーズや2冊の『ことわざ絵本』は、僕にとって、ことばのよろこびの原体験のひとつです。
加藤治郎さんに《にぎやかに釜飯の鶏ゑゑゑゑゑゑゑゑゑひどい戦争だった》という歌がありますけど、あの歌を初めて読んだときに連想したのは、やはり五味さんの絵本でした。
あ、夜景さんには前にすこしだけお話ししたかもしれないのですが、実は、五味さんには『俳句プラスアルファ象』という句集があるんですよ。数年前に、とあるブックセンターいとうで発見して、思わず買ってしまった。
Q●
「かいけつゾロリ」シリーズはしっかりしたストーリー。「なん者ひなた丸」シリーズは言葉や物語のウィット。そしてウィットといえば五味太郎。私、なぜか本人のブロマイド持ってました。あとアトリエに取材が入った号の『ELLE DECO』とか。
若之●
ブロマイドとかあるんですか! 知らなかった……。
Q●
ううん、さすがにないと思います(笑) 周囲にいた誰かがつくったんじゃないかな。プリンタで。
若之●
『象』はね、すごくアマチュア的でいいんですよ。最初の一句からして、《たわむれて熱おびつつ錐の先》、この無季と字足らずのブリコラージュ感! 錐のたわむれっていうのが、またいかにも日曜大工の感じがして。
表題句は《象が居てのそりのそりと伽(おとぎ)する》、これは下五で物語が一気にゆたかになりますね。
逆に、上五で世界の無限のひろがりを感じさせてくれるのが、《法則の西瓜は井戸に冷えてあり》。この句は「の」がすごい。ほかに、《草喰めば己が歩みの滞る》のそれこそ自らが象になってしまったかのような感じや、《ぎざぎざと草はこの世に繁りたり》の、絵本に描かれた草を思わせるような「ぎざぎざ」。
「プラスアルファ」という書名のとおりいくつものイラストと短いエッセイが七本収められているんですが、そのなかの「俳句」と題されたエッセイに、俳句をトランジスタラジオの組立てキットに喩えた一節があります。
俳句もぼくなりのひとつの行為、そして作業ではある。説明書も組立て図もどこかで何度か見た憶えがある。ハンダ付けまがいの技術というやつも、それなりにあるのだろう。そしてなんとなく組み立った十七文字に右往左往する。うん、なかなかいい、本当かね、いや本当だ、でもね、ま、いいか、うん、これでいい、などとなる。そこが堪らない。そこでやめられない。だから俳句なのだ。まさしくブリコラージュ。
Q●
つくることの喜びですね。ところで当時の福田さんは「ことばのよろこび」に触れつつ、子供が漫画を書くみたいに、ご自分でも言葉による創作めいた遊びをしたのでしょうか?
若之●
それこそ漫画を描いたりもしたのですが、小学校のころにやった言葉の創作めいた遊びというと、だじゃれとなぞなぞです。
だじゃれは、落語の小噺なんかを絵入りの物語にした本が岩崎書店からたくさんシリーズになって出ていて、それを読んだりしながら惹かれていったんじゃなかったかと思います。落語の下げは、だじゃれというか、掛詞になってることがけっこうありますよね。「鹿政談」の「きらずにやるぞ」、「まめでかえります」みたいなの。なぞなぞも掛詞をよくつかいますから、ふたつの遊びは僕のなかではひとつながりになっていました。
とりわけ落語の本を繰り返し図書館で借りていたのが、たしか中学年から高学年くらいのことでしょうか。このころ、実は、小学校の図書室にあった禁帯出資料を、そしらぬふりして借りまくってました。恐竜をテーマにした科学漫画とか、すごくいいのがあって。もちろん「禁帯出」のシールが貼ってあるんだけど、貸し出しはクラスから選ばれた図書委員の子たちがやってるわけです。みんな、「禁帯出」の意味なんて分かってなかった。昼休みにカウンターに持っていけば、借りられたんです(よいこはマネしないでね!)。
Q●
あはは。わかってやってたんだ!
若之●
もうちょっと小さい頃は、架空の鉄道の路線図を描いたりもしてました。それが低学年から幼稚園くらいのことですね。これがどうして言葉遊びに含まれるのかというと、路線名とか駅名とかを、漢字辞典を引きながら捏造するんですよ。例えば、海辺の路線の駅名はさかなへんとさんずいの漢字をふんだんに盛り込んだりして。
Q●
「漢字辞典を引きながら捏造する」といったアイデアはご自分で思いついた? それとも何かの影響?
若之●
子どもの頃は、実際の路線図を眺めると、それだけで知らない漢字とたくさん遭遇できたわけです。それで、漢字の調べ方を、あれはたしかお母さんに教えてもらって。漢和辞典は、中学校のときにはすでに引き慣れていましたね。
Q●
すごいなあ。一見子供らしい話に聞こえて、実は内容の極め方が半端じゃない。他にもまだあったりして。
若之●
妖怪に興味を持ったのも小学校のころです。図書室にあった落語の本と同系列の本で、怪談とか奇譚の本もあったので、手が伸びたんです。それから、近くの図書館にあった常光徹さんと飯野和好さんの『妖怪絵巻』をよく眺めていた記憶があります。
鳥山石燕を知るのはもっと後のことですが、水木しげるの妖怪たちにはたしかこのころ出会いました。水木さんの妖怪図鑑や、それからウルトラ怪獣図鑑とかも大好きでした。正義の味方に対してよりも、怪獣や宇宙人たちに対して、はるかに強いあこがれと親しみを感じていたんです。ウルトラの星のひとたちがずらっと並んでいても殺風景でしょう? でも、怪獣たちは違う。夏休みの自由研究に、自分ででっちあげた怪獣の図鑑を提出したこともあります。
その翌年には、たしか、やはりでっちあげのポケモン図鑑も。初代のポケモンの数に合わせて151匹描きました。妖怪や怪獣たちの姿かたちは個性的で、造形的で、それぞれの物語と、固有名詞の名付けの面白さがあった。物語といえば、小学校のころに出会って読み切ることのできた小説はウェルズの『タイムマシン』と漱石の『坊っちゃん』でした。ほかには、エジソンの伝記や、ファーブルの『昆虫記』のフンコロガシの話などにも触れた記憶がありますが、それ以上長いものは読めなかった。
Q●
ただ造形や背後の物語に惹かれるだけではなく、コンテンツ、ひいては体系を把握したいという情熱がつねにあったのですね。これは以前、福田さんにお話したことがあるような気がしますが、私は福田さんの知的嗜好の土台を知る重要なエッセイとして〔ためしがき〕の「植樹計画」が外せないと思っているんです。そしてあのエッセイも、体系化しえないような体系、すなわち真なる体系について語ったものでした。
若之●
体系化しえないような体系に共通する性質は、それが開かれてあるということだと思います。バルトの『記号の国』についてはまたのちほどお話しすることになると思いますが、そこでは、開かれた体系のことが繰り返し語られていますね。これはいま言われて気づいたことですが、怪獣もポケモンも妖怪も、伸び、増え、枝分かれしつづける「植樹計画」の注釈と同じように、それぞれ開かれた体系をなしている。
Q●
ところで、長い物語が読めないとおっしゃいましたけど漫画は?
若之●
漫画は別です。児童館にあった『ドラゴンボール』や『地獄先生ぬ~べ~』、三年生のころ先生が学級文庫にしていた『ブラック・ジャック』や『はだしのゲン』も、たしか読破した記憶があります。もうほとんど忘れちゃいましたけど。
3. 中学校時代
Q●
中学に入ると環境ががらりと変わったと思います。新しい世界を知ったという意味で印象に残っている本はなんでしょう?
若之●
環境について、ひとつ誤解のないように言い添えておけば、僕が開成に入ったのは高校からで、中学は公立校に通っています。
Q●
あ。そういえば、そうでした。
若之●
その中学校の教材で、いまでも大事に取っておいているものが1冊だけあります。それは国語の便覧です。言ってみれば、僕はこの本で近現代の俳句や短歌と遭遇したんですよ。
俳句は、《いくたびも雪の深さを尋ねけり》(正岡子規)、《春風や闘志いだきて丘に立つ》(高浜虚子)、《曳かれる牛が辻でずつと見廻した秋空だ》(河東碧梧桐)といったものから、《果樹園がシャツ一枚の俺の孤島》(金子兜太)、《じゃんけんで負けて蛍に生まれたの》(池田澄子)や《ソーダ水つつく彼の名でるたびに》(黛まどか)に至るまで。《棹さして月のただ中》(荻原井泉水)や《こんなよい月を一人で見て寝る》(尾崎放哉)、《あるけばかつこういそげばかつこう》(種田山頭火)といった自由律俳句もちゃんとカバーしてあります。
もちろん取りこぼしもあって、例えば自由律なら中塚一碧樓がいないのはいま見返すと実にさびしいものですが、それでも、僕は俳句とこんなふうに出会うことができた。それは、おどろきとよろこびでした。
Q●
ここでもう俳句の話! 早すぎる(笑)。
若之●
ごめんなさい、でも、嘘をつくわけにもいかないし(笑)。便覧の俳句がどれだけ充実していたかお伝えしたいので、ここで出会った俳句で当時強く惹かれたものをいま挙げた句のほかに挙げると、《春ひとり槍投げて槍に歩み寄る》(能村登四郎)、《雪だるま星のおしゃべりぺちやくちやと》(松本たかし)、《青蛙おのれもペンキ塗りたてか》(芥川龍之介)、《水すまし水に跳て水鉄の如し》(村上鬼城)、《をりとりてはらりとおもきすすきかな》(飯田蛇笏)、《海に出て木枯らし帰るところなし》(山口誓子)、《ピストルがプールの硬き面にひびき》(同)、《万緑の中や吾子の歯生え初むる》(中村草田男)、《美しき春潮の航一時間》(高野素十)、《いなびかり北よりすれば北を見る》(橋本多佳子)、《金粉をこぼして火蛾やすさまじき》(松本たかし)、《ねむりても旅の花火の胸にひらく》(大野林火)、《咳の子のなぞなぞ遊びきりもなや》(中村汀女)、《木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ》(加藤楸邨)、《鮟鱇の骨まで凍ててぶちきらる》(同)、《子に母にましろき花の夏来る》(三橋鷹女)、《バスを待ち大路の春をうたがはず》(石田波郷)、《水枕ガバリと寒い海がある》(西東三鬼)、《摩天楼より新緑がパセリほど》(鷹羽狩行)、《湾曲し火傷し爆心地のマラソン》(金子兜太)、《銀行員ら朝より蛍光す烏賊のごとく》(同)そして《少年の机に地図と空蟬と》(大木あまり)。ほかに、竹下しづの女、森澄雄、水原秋桜子、杉田久女、星野立子、川端茅舎、芝不器男、富安風生、飯田龍太などの句も載っています。いったい誰がこれらのページをつくったのか、書いていないからわからないのですが、いまでもずっと気になっています。
Q●
その充実を充実と捉えうるのは、もっぱら福田さん側の感性の力でしょう。国語便覧ので内容が充実していたのは、おそらく俳句だけではなかったと思います。にもかかわらず、こと俳句に惹かれた理由はわかりますか?
若之●
短歌や近代詩にも惹かれるところは大いにありました。短歌では、《不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心》(石川啄木)、《岡に来て両腕に白い帆を張れば風はさかんな海賊の歌》(斎藤史)、《のぼり坂のペダル踏みつつ子は叫ぶ「まっすぐ?」、そうだ、どんどんのぼれ》(佐々木幸綱)、《観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生》(栗木京子)、《べくべからべくべかりべしべきべけれすずかけ並木来る鼓笛隊》(永井陽子)、《たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか》(河野裕子)などなど。
近代詩では高村光太郎「道程」と「あどけない話」、黒田三郎「ある日ある時」と「海」、谷川俊太郎「かなしみ」、長田弘「鉄棒」、安西冬衛「春」、石垣りん「くらし」などなどです。とりわけ、黒田三郎の「海」と石垣りんの「くらし」は、もう、電流の走るような感じでした。短い詩に惹かれたのは、それらが短く、鮮烈で、シンプルで、しかも、これがいちばん大事なことだった気がするのですが、便覧のページのうえで作品そのものと出会うことができたからだと思います。俳句は、その短さを極限まで突きつめているように感じられました。
Q●
そうか、国語便覧ってハンディ型の事典ですものね。つまり幸運にも、自分にぴったりの媒体で、自分好みの造形をしたことばと遭遇することができた、と。他に新しいジャンルや作家の発見は?
若之●
ショートショートというジャンルを知ったのはこのころです。2年生の頃、朝のホームルームの時間に読書をする日というのが決められて、本を読まなければいけなくなって。読みやすい本を父に尋ねたのか、それとも本棚を勝手に漁ったのかは忘れましたが、とにかく父が文庫本で持っていた星新一の作品群と出会ったんです。芥川をはじめて読んだのも中学生のころでした。新潮文庫版の『羅生門・鼻』。収められていた短編のなかでは、当時は「芋粥」がいちばん好きでした。星新一や芥川は、小説ってこんなに短くてもいいんだ、って思わせてくれた。
Q●
短さはやはり重要なファクターなんだ。
若之●
それから、インターネットを自由に使えるようになったので、web小説に触れるようになりました。自分でも書いてみたくなって、いろいろ調べたんですよ。いまでもありますけど、『ライトノベル作法研究所』とか。そう、ライトノベルというジャンルを知ったのもこのころでした、本では読まなかったですが。このウェブサイトに掲載されていた投稿作品で印象に残っているのは、クッパ「ノンフロン6型冷凍冷蔵庫、と私」という中篇。トップページからは辿れなくなっているようですが、タイトルでググると、いまでも本文が出てきます。
Q●
自分で書いてみたのはどんな作品? ネット投稿とかしてました?
若之●
自分で書いていたのは、いわゆるロー・ファンタジーです。中学2年から高校1年ぐらいにかけて書いて、最終的には、だいたい8000字ぐらいの挿話が16並びました。投稿はしていません。比喩ではなく、僕は小説を明確に自慰のために書いていたので。品のない言い方をすれば、外から手に入れられるオカズが不足していたので、自分でつくっちゃったというわけです。露骨な性描写はなかったけれど、妄想たくましい中学生が自慰をするのに、かならずしもそうした場面は必要ありませんから。表向きは、超能力を使って、都内に出現する怪物を倒す少年たちの話。それを、薄暗い欲望を注ぎ込むようにして書いていたんです。
やっぱり、人物よりも怪物のほうに凝りました。どうにか完結させたんですけど、大学入った頃に見返して、あまりにひどかったので消しちゃって。いまはもうどこにも残っていません。タイトルも忘れちゃいました。
Q●
それは残念です。
4. 高校時代
若之●
高校に入ってから、すこし長い小説も読むようになりました。たしか、短編集の『新釈 走れメロス 他四篇』を通じて、森見登美彦の小説に出会ったのがきっかけだったように思います。
Q●
森見登美彦、かわいいですよね。
若之●
そう、そしてオモチロイ! はじめて、これなら長くても読めるぞ、ってなった。それから、だんだん、ほかにも現代の小説をすこし読むようになって。
村上春樹をはじめて読んだのが、たしか高校のときです。『アフターダーク』、それから、『海辺のカフカ』。
一方で、海外の文学からは以前にもまして遠ざかりました。というか、正確には翻訳文学から遠ざかったというべきでしょうか。翻訳だからあたりまえなんですけど、ページをひらくと、例えばロシアのひとたちが日本語で日常を送っていたりするわけです。それにすごく違和感を覚えてしまって。要するに、日本語に訳されているということ自体にある種の嘘くささを感じてしまって小説そのものにのめりこめなかったわけです。
Q●
同意です。翻訳って、その中へ入っていきにくい。
若之●
かといって、原典を直接に読むほどの関心も能力も僕にはなかったので、おのずから、僕の興味は日本の現代小説に向かっていきました。あと、評論や随筆なんかを国語の授業以外で読むようになったのもこのころですね。大塚英二『初心者のための「文学」』、米原万里『必笑小咄のテクニック』、大澤真幸『不可能性の時代』の3冊は、高校生のころに読んだものとして、はっきり記憶に残っています。
Q●
評論に関しては、読んでおくと受験に便利なリストが参考書に出ていたりしますよね。私の頃は国語便覧ならぬ人文学便覧として、中村雄二郎『術語集』や橋爪大二郎『はじめての構造主義』などが紹介されていて、はじめて体系的に学問を見渡すことができたという意味でとても新鮮だったのですが、そういった受験勉強を兼ねた本は?
若之●
人文学便覧!? そんなものがあったんですか。
Q●
いいえ、私の造語。あと『イミダス』の人文社会学系の項も、趣味と実益を兼ねて読んでいました。1987年度版が家にあったのですけど、この版は一年で113万8000部という、辞典としては驚異的なセールスだったのです。
若之●
僕はもう、図書館でも本屋でも、棚にいって、タイトルとかカバーとかに惹かれた本を手にとってすこしぱらぱらして、こいつぁいける! ってなったものを読むだけでしたよ。記憶がうすれてますけど、たぶん、雑学的な関心で読み始めたんだと思います。
5. 大学以降
Q●
当初、大学で学びかったのはどういったことでしたか?
若之●
ただ漠然と、僕が俳句に生かせそうなこと、です。それで、文学をやりたいと思ったのですが、親の手前、俳句のことを考えたいので文学を勉強したいです、では通らなかった。経済学部に行け、就職のことも考えろ、と。とりわけ、私立の文学部を受けることは許されませんでした。喧嘩もして、すれちがいもあったけれど、結局、あいだをとって、社会学でならアプローチ次第で芸術についても学べそうだということで、受験のときはそっちに進む道を考えていましたね。
Q●
俳句側から眺めると、ぎりぎりの選択ですね。
若之●
両親が最終的に表象文化論を専攻にすることを認めてくれたのは、結局、僕が大学生になってからのことです。1年次のあいだに最終的な専攻を決定する仕組みだったから、そのあいだにいろいろ自分なりに挑戦して、それを両親に見せたんです。基本的に、うちの教育方針は成果主義でした。やりたいこと言ってるだけでは決して認めてくれないけれど、現にやってみせて、その過程で何かいいことがあれば、それはそれとして認めてくれる、という。そういう意味では、首都大に教養課程があってほんとによかったです。
Q●
そうやって、ゆくべき方角が決まり、それからは殊人文学方面へ目覚めてゆく、と。
若之●
大学に入るまでは、結局、俳句のことで頭がいっぱいだっただけなので、学問にちゃんと興味を持ったのも、やっぱり大学に入って1年目のことでした。もちろん、いろんなことがあって興味が深まっていったのですが、あえて1冊だけ決定的なものを挙げるとすれば、ちくま学芸文庫版のスーザン・ソンタグ『反解釈』でしょうか。
バルトではありません。バルトの本をはじめて読んだのもそのころでしたが、それは石川美子訳の『記号の国』でした。『物語の構造分析』でも『零度のエクリチュール』でもなかったんです。『記号の国』は、バルト自身の言葉を借りれば、あくまでも「ロマネスク」な本ですし、僕をとりたてて学問へ駆りたてることはありませんでした。『記号の国』は、ただひたすら、あたらしく句を書くことへと僕を駆りたてたんです。
Q●
今せっかく2冊上げていただいたので、もう少し踏み込んでお伺いできれば。
若之●
すこしあやうい言い方かもしれませんが、ソンタグは、僕にとって、速度の経験でした。ソンタグの文章は、具体例から具体例へと、次々に思わぬ仕方で飛び移っていくんです。バルトはといえば、もっと素朴に、光の経験だったように思います。『記号の国』は、僕にとって、いきいきした光の空間でした。そこでなら、なにかあたらしいものを書ける気がしたんです。
Q●
なるほど。幼少の頃からの話を伺っていると、最初から福田さんは〈読む人〉ではなく〈書く人〉だった印象を受けます。多くの読書が、ご自分の創作活動を刺激するものとして捉えられているという意味で。中学時代に書いた小説のエピソードも、ふつうなら途中で放棄するような枚数です。当時、作品を完成させられたのは何故だと考えますか?
若之●
高校に入ってから最初の1年のあいだに、強引に結末をつくってとりあえず終わらせたんですよ。基本的に1話完結で、他人を楽しませる必要もなかったからその気になればいくらでも続けられたんですけど、飽きてしまったので、けりをつけたんです。続いたのは、まあ、動機が動機でしたから……。
それと、ファンタジーをうまく現実世界に落とし込むために、設定をつくりこんだんです。実際に小説に登場させた怪物は各話ごとにだいたい1種類ずつくらいですが、たしかその5倍くらいの数の怪物の設定資料集を書いた記憶があります。例の怪獣図鑑の要領で。
Q●
それはやはり書くことに向いていますね。集中力がある。
若之●
それから、実在の都市を舞台にしていましたから、まあ、さすがにわざわざ取材に行ったりはしませんでしたけど、地図などにも頼りました。あとは、そうやって書き溜めたり集めたりした資料を、必要に応じて本文に落とし込むだけです。自分で読むためだけに書いているものですから、読みやすさは二の次。
Q●
大学時代の読書生活では、子供の頃のように集中して「嵌まった」本ないし領域はありますか? また読んでみて「この本は自分に合わないと思った」という本も聞いてみたいです。
若之●
かならずしも「嵌まった」というわけではないのですが、ここでようやく翻訳文学とまともに触れ合う習慣ができます。
ドストエフスキーやカフカにはじまって、ボルヘスやカルヴィーノと出会ったあたりから、いわゆる「実験的」な小説に惹かれていきました。マーク・Z・ダニエレブスキー『紙葉の家』、サルヴァドール・プラセンシア『紙の民』、ジョナサン・サフラン・フォア『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』、ジョルジュ・ペレック『人生使用法』、それから、W・G・ゼーバルト『アウステルリッツ』などなど。
僕は小説に驚きを求めていたんです。また、そうした興味関心が持続するうえでの補助線として、ロシア・フォルマリズムや、ジェラール・ジュネットの『物語のディスクール』をはじめとする物語論の研究がありました。
Q●
英国文学およびアイルランド文学はいかがでしょう? 以前『トリストラム・シャンディ』の話をしていたような記憶があるのですが。
若之●
アイルランド文学ではベケットの『ゴドーを待ちながら』、それから、イギリス文学ではルイス・キャロルもこのころに読みました。スターンは、もうちょっとあとですね。院に入ってからだったと思います。ジョイスも、それから、恥ずかしながらシェイクスピアも学部時代には手つかずのまま。ほかにこのころ読んだイギリス文学だと、たしかオーウェルの『一九八四年』とか。あ、ウェルズは小学校の頃に読んでいました。
Q●
近現代の作品が多いのですね。で、逆に合わなかったのは?
若之●その一方で、コンセプトには引き付けられながらも、どこか肌に合わないと感じたのは、ジュリア・クリステヴァのテクスト理論です。ジュネットのそれには一種の奇想があるように感じられたのですが、クリステヴァはあまりにも真面目すぎるように思ったんです。文学を、科学的に、かつ面白く取り扱うにはどうしたらいいのか、ということを考えていたのですが、クリステヴァには科学しか感じられなかった。同様の理由で、バルトでも、『モードの体系』は他の著作に比べてそれほど好きになれないんです。
Q●
批評以外で、読んでおきたいのに肌にあわない本は?
若之●
読んでおきたいなって思っている段階では、手に取っていないから、肌に合うかどうか分かっていません。で、いざ読んでみて肌に合わなかったら、読みすすめたいって気持ちは自然となくなってしまう。だから、あてはまる本が思いつきません。
Q●
あの、自分の話をしますと、私って読破できない本ばかりなんですよ。でもその本の存在は気になるので、たまに開いて一行だけ読んだりするんです。聖書の使用法みたいに。読めない本から、すごく影響を受けているんですね。ほとんど読破できないけれど大切な本ってありますか?
若之●
折にふれてつまみぐいして、とてもほっこりした気分になるのは、ちくま学芸文庫から出ている『ベンヤミン・コレクション』のシリーズです。手元にあるのは1巻から4巻まで。話してたらまた読みたくなってきちゃいました。でも、あれを読破したいという欲望は、ありません。そういう本は、いくつもあります。
6. おわりに
Q●
ところで福田さんは基本的に自分自身の興味に沿って本を読む方なのでしょうか? 例えば私は自分の好きな人が面白く読んだという本を読むのが好きなのですけれど、そういう〈あなたまかせ型〉の読書ってします?
若之●
基本はやっぱり自分の興味のおもむくままですね。ひとにお薦めの本をたずねることもありますけど、そういうときも、こんな本が読みたい、というのが先にある場合がほとんどです。あ、もちろん、読書会とかの場であれば話は別ですよ。
Q●
読書にはあくまでも孤独な快楽を求め、好きな人と一緒に映画を見たり、音楽を聴いたりするみたいに、同じ本を読んでほわわんとする、みたいなコミュニケーション・メディアとしての活用法はしないということ? 互いに朗読しあう、とか。福田さんって喋る間合いがすごく良いし、朗読なんか好きそうに見えるんですけど…。
若之●
えっ、ほんとですか!? でも、僕は書かれたものと朗読の関係を自分なりにうまく納得することがまだできていません。朗読というのが、書かれてあるものにとってなにごとであるのかがよくわからないんです。それに、音楽も映画も本も、たしかにそういう意味でのコミュニケーション・メディアになることはあるけれど、僕の場合、それはたまたま同じものにもともと興味があったり、そうでなければ、話しているうちに同じものに興味が湧いたりするからですよ。そうじゃないと、たぶん、僕はあんまりほわわんとできない。
Q●
福田さんにとって、本を読むとはどういうことですか? かつてと現在とに分けてお答えいただければ。
若之●
いまも昔もたいして変わりません。一言でいえば、しびれることです。感電すること。それと、本っていうのは物体です。情報ではなくて物体を、なんだろう、たしかめることでしょうか。それを繰り返すと、だんだんだんだん、その本が自分の棲むひろがりになっていく、そんな、たしかめることです。
Q●
では、これから「たしかめてみよう」と思っている本があれば教えてください。
若之●
じつは、最近、ようやくカントを読みたいと思えるようになってきて、『判断力批判』に手をつけたところです。
Q●
たいぶ広範囲に読書遍歴を語っていただけた気がします。
若之●
いや、実を言うと、まだまだ語りそこなってしまっている本がいくつもあるんです。句集をどう読んできたかについてもお話ししていないし、ほかにも、そう、例えば、バシュラールの『蝋燭の焔』のことも……でも、長くなりすぎてもいけないし、今回はこのくらいで。
Q●
このたびはありがとうございました。
1 comments:
福田若之さん
お久しぶりです。岩田奎です。『蠟燭の焰』を読んでいたら、若さんの〈焚き火からせせらぎがする微かにだ〉がむしょうに思い出されて、これはあるいは実際お読みになっていたんじゃあないだろうかと思って検索したら、この記事がやはり出てたのでやや嬉しくて書き込んだ次第です。「物語としての俳句」連載おつかれさまでした。それでは。
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