俳句を「遺産」として扱うことについて
ベンヤミンのテクストとその翻訳を手掛かりに
福田若之
坪内稔典は、俳句をユネスコの無形文化遺産に登録しようという運動に反対して、俳句を「遺産」と呼ぼうとすることを疑問視する意見を繰り返し表明している。たとえば、彼が代表を務める「船団の会」の公式ホームページ「e船団」には「ねんてん今日の一句」というコーナーがあり、彼の鑑賞文が掲載されているのだが、その2017年4月11日から20日までのバックナンバーには次の一連の記述がある。
俳句をユネスコの世界遺産にしようという運動が起こっており、俳人の団体や俳句にかかわる自治体が推進している。俳句には生活文化という一面があり、その点では遺産にふさわしいかもしれない。だが、俳句には現代の今を生きる文芸という一面もある。その一面は現代美術に近く、遺産と呼んではいけない。だから、私は俳句を遺産にする運動に反対である。
(2017年4月14日)
俳句を遺産という言葉でくくろうとする感性というか、言葉のセンスがあまりにも貧弱。俳句の世界遺産を目指す運動に反対だ。
(2017年4月15日)
俳句を世界遺産にしようという運動は、現代俳句協会、俳人協会、日本伝統俳句協会という俳壇の巨大組織が進めようとしているらしい。えっ? と思う。兜太さん、大串章さん、宮坂静生さん、いいんですか、俳句って遺産ですか。
(2017年4月16日)
俳句には生活文化という一面がある。誰でも手軽に作れ、句会、コンテスト、投稿などを通して気軽に楽しむことができる。生活を楽しむこの言語文化は貴重だ。世界遺産になっている和食などに通じている。だが、俳句はそこだけにあるのではない。芭蕉にしても子規にしてもその時代の端的な前衛、あるいは革新者であった。前衛的結晶の一滴が芭蕉や蕪村、子規などの代表句である。俳句を簡単に遺産と呼びたくない。
(2017年4月17日)
世界遺産などという晴れがましいことを敬遠する、そこに伝統的な俳句的精神があるのではないか。俳句を世界遺産にしようというのは、老人たちの酔興、あるいは耄碌としか思われない。
(2017年4月18日)
このところ、俳句をユネスコの世界遺産にしようという運動に反対を表明してきた。私としては、俳人たちが率先してその運動を進めようとしていることが不可解。みっともないと思う。
(2017年4月19日)
さらに、彼は、こうした自らの考えを整理したうえで、あらためて文章にまとめている。2017年8月に発行された『鬣』第64号の特集「俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進を巡って」に収められている「俳句は「遺産」ではない」と題された文章がそれである。その主張は、この文章のなかの次の一文に端的に示されている。
俳句は、たとえば現代美術に近い表現であり、それを遺産と呼ぶことはそぐわない。
彼にとって、この問題はまずもって俳句を「遺産」と呼ぶかどうか、俳句が「遺産」であるかどうかの問題なのである。
岸本尚毅は、おそらくこうした意見のあることを多かれ少なかれ承知したうえで、同特集に寄稿した「俳句の「ユネスコ無形文化遺産登録申請」について」に、次のとおり記している。
第三に、俳句は現役のジャンルであり、決して「遺産」のようなものではないという声も聞こえてきそうである。ただしこの点はheritageの訳語の問題であり、和食、珠算、書道などの先例に照らすと、「遺産」という言葉を問題視する必要はなさそうである。
すなわち、「遺産」という言葉は、あくまでも表面的な問題でしかなく、そのことに目くじらを立てても仕方がない、というわけだ。
たしかに、この考えは一見するともっともに思われるかもしれない。そうでなくとも、実質的な事柄が問題になってしかるべきときに呼称についてことさら問題にすることは、実際にはそういうつもりがなくとも、反対行動ありきで些末なことにまでけちをつけてくだらない揚げ足取りをしているかのような印象を与えてしまいかねない。僕が今に至るまでこの「遺産」という語の問題を棚上げにしてきたのは、ひとえにそういう理由による。
しかし、それがどこまでも些末な問題でしかないというのは、本当だろうか。
しかし、それがどこまでも些末な問題でしかないというのは、本当だろうか。
岸本尚毅は「遺産」という語に関しては「heritageの訳語の問題」だと述べている。だが、「遺産」という語が「heritageの訳語」として通用しているということは、まさしく「遺産」という語の問題が、すくなくともある程度までは、"heritage"という語やそれが意味するところの概念の問題と共通しているということではないだろうか。
ここで僕が取り上げたいのは、しかしながら、そもそもは日本語で書かれたテクストでも英語で書かれたテクストでもない。それは、そもそもはドイツ語で書かれたヴァルター・ベンヤミンの『パサージュ論』の一断片である。その断片は、ベンヤミン自身によって[N9, 4]という番号を割り振られている。
ここで僕が取り上げたいのは、しかしながら、そもそもは日本語で書かれたテクストでも英語で書かれたテクストでもない。それは、そもそもはドイツ語で書かれたヴァルター・ベンヤミンの『パサージュ論』の一断片である。その断片は、ベンヤミン自身によって[N9, 4]という番号を割り振られている。
なにから現象は救われるのだろうか。その現象が悪評を被ったり、軽視されたりしている状態から救われるだけではない。いや、むしろその現象が伝承される一定の仕方、すなわち非常にしばしば「遺産として尊重」するという伝承の仕方が引き起こす破局[カタストローフェ]から救われるのである。――現象はそのうちに潜む亀裂を明らかにすることによって救われる。――破局である伝承が存在する。
ここで、日本語版の訳者である今村仁司らによって「遺産」と訳されているドイツ語は»Erbe«である。「遺産として尊重」は»Würdigung als Erbe«だ。»Würdigung«は動詞»würdigen«を名詞化したもので、「価値を認めること」を意味する。»Würdigung als Erbe«は、直訳すれば「遺産として価値を認めること」である。ハワード・エイランドHoward Eilandとケヴィン・マクラフリンKevin McLaughlinによる英訳(書名はThe Arcades Project)では、これを"enshrinement as heritage"としている。»Würdigung«にあてられた"enshrinement"という動詞は、「(聖人の遺骨や遺物などを祭る)聖堂」なり「聖骨箱」なりを意味する"shrine"――知られているように、日本では「神社」の英訳として通用している――の関連語で、ここでは遺物を大切に保管することを意味している。
このようにして、»Erbe«という言葉にかかわるところでベンヤミンが提起した問題は、二人の英訳者たちによって、英語の"heritage"にまで響きわたるものとして受け取られているのである。それは、日本語の「遺産」についても同様である。
さらに確認しておくと、「無形文化遺産」は英語で"Intangible Cultural Heritage"といい、これは»immaterielles Kulturerbe«とドイツ語訳される。»Kulturerbe«は、日本語で「文化」と訳される»Kulture«と、同じく「遺産」と訳される»Erbe«の複合語である。要するに、「文化遺産」が「文化」と「遺産」の複合語であるのと同じだ。
さらに確認しておくと、「無形文化遺産」は英語で"Intangible Cultural Heritage"といい、これは»immaterielles Kulturerbe«とドイツ語訳される。»Kulturerbe«は、日本語で「文化」と訳される»Kulture«と、同じく「遺産」と訳される»Erbe«の複合語である。要するに、「文化遺産」が「文化」と「遺産」の複合語であるのと同じだ。
これによって確認できることがひとつある。すなわち、「遺産」、"heritage"そして»Erbe«という三つの語には翻訳上の強い結びつきがあり、それはこの「無形文化遺産」についても例外ではないということだ。
もちろん、「訳語の問題」を扱うときにベンヤミンに言及するとなれば、「翻訳者の使命」と題された彼のテクストがもろもろの問題を喚起せずにはおかないところではあるが、それらの問題については、煩雑になるのでここでは割愛する。
ひとつ断っておくと、いまここでは、ベンヤミンのテクストについて、いわゆる学術的な読みを実践しようとしているわけではない。狙いはあくまでも、ベンヤミンのテクストとその翻訳を手掛かりにしつつ、俳句を「遺産」として扱うことについて考えることにある。ここで提示するベンヤミンのテクストについての読みは、ひとまずそこに射程を絞ったものであることをご了承願いたい。
さて、『パサージュ論』の断片に戻ろう。いま、重要なのは次のことだ。すなわち、ベンヤミンとそのテクストの訳者たちによれば、「破局」は、非常にしばしば、何らかの現象を»Erbe«として、"heritage"として、「遺産」として扱うことによって、引き起こされるのだということ、そして、現象が救われるというのは、むしろこうした「破局」から救われることなのだということである。だが、これだけでは、ベンヤミン(たち)が何を言わんとしているのか判然としないだろう。
「破局」はドイツ語で»Katastrophe«であり、英訳者たちはこれを"catastrophe"と逐語的に訳している。何かを「遺産」として扱うことが「破局」を引き起こすというベンヤミンの主張を理解するためには、まず、「破局」という日本語や"catastrophe"という英語に訳されるこの»Katastrophe«という言葉によって、ベンヤミンが何を言わんとしていたのかを押さえておく必要がある。
もちろん、「訳語の問題」を扱うときにベンヤミンに言及するとなれば、「翻訳者の使命」と題された彼のテクストがもろもろの問題を喚起せずにはおかないところではあるが、それらの問題については、煩雑になるのでここでは割愛する。
ひとつ断っておくと、いまここでは、ベンヤミンのテクストについて、いわゆる学術的な読みを実践しようとしているわけではない。狙いはあくまでも、ベンヤミンのテクストとその翻訳を手掛かりにしつつ、俳句を「遺産」として扱うことについて考えることにある。ここで提示するベンヤミンのテクストについての読みは、ひとまずそこに射程を絞ったものであることをご了承願いたい。
さて、『パサージュ論』の断片に戻ろう。いま、重要なのは次のことだ。すなわち、ベンヤミンとそのテクストの訳者たちによれば、「破局」は、非常にしばしば、何らかの現象を»Erbe«として、"heritage"として、「遺産」として扱うことによって、引き起こされるのだということ、そして、現象が救われるというのは、むしろこうした「破局」から救われることなのだということである。だが、これだけでは、ベンヤミン(たち)が何を言わんとしているのか判然としないだろう。
「破局」はドイツ語で»Katastrophe«であり、英訳者たちはこれを"catastrophe"と逐語的に訳している。何かを「遺産」として扱うことが「破局」を引き起こすというベンヤミンの主張を理解するためには、まず、「破局」という日本語や"catastrophe"という英語に訳されるこの»Katastrophe«という言葉によって、ベンヤミンが何を言わんとしていたのかを押さえておく必要がある。
[N9a, 1]と番号が振られた断片に、次のとおり日本語訳されている一節がある。
進歩の概念は、破局[カタストローフェ]の観念のうちに基礎づけられるべきである。「今までどおり」というのが破局である。破局とは、これから来るものではなく、その都度すでにあるものである。
ドイツ語では次のとおりだ。
Der Begriff des Fortschritts ist in der Idee der Katastrophe zu fundieren. Daß es »so weiter« geht, ist die Katastrophe. Sie ist nicht das jeweils Bevorstehende sondern das jeweils Gegebene.
この一節が言わんとしているのは、三つのことだ。ひとつは、破局とはこれより先もそのままで行くということだということ。それから、こうした意味での破局はそのつど間近に迫ったものとしてあるのではなく、すなわちこれから起こるものとしてあるのではなく、むしろ、そのつど現にすでにもたらされているものだということ。そして最後に、進歩の概念はこうした破局の観念のうちに基礎づけられるべきだということだ。
ところで、英訳者たちは、日本語では「今までどおり」と訳されている»so weiter«という一節にラテン語由来の"status quo"という成句をあてている。そのうえで、それを含んだ一文を"That things are "status quo" is the catastrophe."と訳している。
この"status quo"という成句は、『パサージュ論』の別の断片を想起させるものである。
歴史の基本概念の定義。破局とは機会を逸したことであり、危機の瞬間とは現状〔status quo〕が続きかねないことである。進歩とは最初の革命的措置である。
[N10, 2]
ドイツ語では次のとおりだ。
Definitionen historischer Grundbegriffe: Die Katastrophe - die Gelegenheit verpaßt haben; der kritische Augenblick - der status quo droht erhalten zu bleiben; der Fortschritt - die erste revolutionäre Maßnahme.
[N10, 2]
ベンヤミンは、破局とは機会を逃してしまったことだとしている。もはや変わらないということ、いつまでも現状のままであるということは、しかるべき機会に救いがもたらされることのないままに終わったということだ。それゆえ、破局とは何かが失われることではなく、むしろ今の状態がそのまま続いていくことなのである。そして、危機の瞬間とは、そうした破局がこれからも存続することがそのつど決定づけられてしまいそうになっている、この瞬間のことである。これが、ベンヤミンの記述からひとまず汲み取れることだ。
そして、おそらく、これらのベンヤミンの記述から「歴史の概念について〔歴史哲学テーゼ〕」のテーゼIXまではそう遠くない。
「新しい天使[アンゲルス・ノーヴス]」と題されたクレー(一八七九‐一九四〇年。ドイツ(スイス系)の画家、版画家)の絵がある。それにはひとりの天使が描かれていて、この天使はじっと見詰めている何かから、いままさに遠ざかろうとしているかに見える。その眼は大きく見開かれ、口はあき、そして翼は拡げられている。歴史の天使はこのような姿をしているにちがいない。彼は顔を過去の方に向けている。私たちの眼には出来事の連鎖が立ち現れてくるところに、彼はただひとつ、破局[カタストローフ]だけを見るのだ。その破局はひっきりなしに瓦礫のうえに瓦礫を積み重ねて、それを彼の足元に投げつけている。きっと彼は、なろうことならそこにとどまり、死者たちを目覚めさせ、破壊されたものを寄せ集めて繋ぎ合わせたいのだろう。ところが楽園から嵐が吹きつけていて、それが彼の翼にはらまれ、あまりの激しさに天使はもはや翼を閉じることができない。この嵐が彼を、背を向けている未来の方へ引き留めがたく押し流してゆき、その間にも彼の眼前では、瓦礫の山が積み上がって天にも届かんばかりである。私たちが進歩と呼んでいるもの、それがこの嵐なのだ。
これは、『ベンヤミン・コレクションI』(浅井健二郎編訳、久保哲司訳、筑摩書房、1995年)に収められた日本語訳である(ただし、エピグラフとして置かれたゲルショム・ショーレムの『天使の挨拶』からの引用は省いた)。
まず、ここではっきりさせておきたいのは、「破局」はなぜそう呼ばれるのか、ということである。何事かを「破局」と呼びなすことには、何らかの価値判断が伴っている。ベンヤミンは、なぜそれを「破局」として価値づけるのか。それは、これが救いのないことだからだ。それでは、いったい何が救われなければならないのか。現象だ。だが、それはいったいいつの現象なのか。
そもそも、「破局」はいったい誰にとって「破局」なのだろうか。それは、ここでは誰よりもまず「歴史の天使」にとっての破局であると語られている。では、歴史の天使とは何者か。彼は「死者たちを目覚めさせ、破壊されたものを寄せ集めて繋ぎ合わせたい」と望む者である。救われなければならないもの、それはいまや過去のものとなった現象である。だから、「破局」はなぜそう呼ばれるのかという問いについては、次のとおり答えることができる。それは、この「破局」が過去を脅かすものであるからだ。
つぎに、ここに描き出されている「私たちが進歩と呼んでいるもの」としての「嵐」は、ベンヤミンが「進歩Fortschritt」と呼びたいものとはおそらく別のものであるという点に注意する必要がありそうだ。ベンヤミンは、先に確認したとおり、『パサージュ論』の一断片に「進歩の概念は、破局[カタストローフェ]の観念のうちに基礎づけられるべきである」という考えを記していた。しかしながら、「歴史の概念について」のテーゼIXに描かれたこの「嵐」を「進歩」と呼ぶ「私たち」は、歴史の天使にとっての「破局」を「出来事の連鎖」としてしか見ない「私たち」なのである。したがって、この「私たち」の思い描いている「進歩」の概念は、結局のところ、破局を破局として見ないところに成り立っているものでしかない。その進歩の概念は、破局の観念のうちに基礎づけられていないのである。
そして、『パサージュ論』には、「進歩Fortschritt」という語の真正な定義についての断片が収められている。その断片は、次のとおり日本語訳されている。
そもそも、「破局」はいったい誰にとって「破局」なのだろうか。それは、ここでは誰よりもまず「歴史の天使」にとっての破局であると語られている。では、歴史の天使とは何者か。彼は「死者たちを目覚めさせ、破壊されたものを寄せ集めて繋ぎ合わせたい」と望む者である。救われなければならないもの、それはいまや過去のものとなった現象である。だから、「破局」はなぜそう呼ばれるのかという問いについては、次のとおり答えることができる。それは、この「破局」が過去を脅かすものであるからだ。
つぎに、ここに描き出されている「私たちが進歩と呼んでいるもの」としての「嵐」は、ベンヤミンが「進歩Fortschritt」と呼びたいものとはおそらく別のものであるという点に注意する必要がありそうだ。ベンヤミンは、先に確認したとおり、『パサージュ論』の一断片に「進歩の概念は、破局[カタストローフェ]の観念のうちに基礎づけられるべきである」という考えを記していた。しかしながら、「歴史の概念について」のテーゼIXに描かれたこの「嵐」を「進歩」と呼ぶ「私たち」は、歴史の天使にとっての「破局」を「出来事の連鎖」としてしか見ない「私たち」なのである。したがって、この「私たち」の思い描いている「進歩」の概念は、結局のところ、破局を破局として見ないところに成り立っているものでしかない。その進歩の概念は、破局の観念のうちに基礎づけられていないのである。
そして、『パサージュ論』には、「進歩Fortschritt」という語の真正な定義についての断片が収められている。その断片は、次のとおり日本語訳されている。
真の芸術作品ならかならず、その作品に沈潜しようとするものに向かって、作品がまるで明けわたる朝〔Frühe〕の風のように涼やかに吹きよせる場所を有している。このことから明らかになるのは、しばしば進歩への関わりに無縁と見なされる芸術が、進歩の真正な定義に役立つということである。進歩は時代の連続性にではなく、その連続性への干渉のうちに宿っているのである。そこでは、真に新しいものがはじめて夜明け〔Frühe〕の冷澄さを伴って感知される。[N9a, 7]
進歩は時代の連続性への干渉のうちに宿っているというのがベンヤミンの考えである。これに対して、「歴史の概念について」に描き出されたあの「嵐」は、むしろ、歴史の天使が「出来事の連鎖」としての「破局」に干渉することを阻むものだった。だから、「歴史の概念について」のテーゼIXにおける「私たちが進歩と呼んでいるもの」は、やはり、ベンヤミンの考えるところの進歩の真正な定義にそぐうものではないのである。それゆえ、テーゼXIIIにも、次のとおり訳される一節がある――「歴史のなかで人類が進歩するという観念は、歴史が均質で空虚な時間をたどって連続的に進行するという観念と、切り離すことができない。この歴史進行の観念に対する批判こそが、進歩そのものの観念に対する批判の基盤を形成しなければならないのだ」。それは、『パサージュ論』のある断片に「「進歩」という概念を克服すること、および「衰亡の時代」という概念を克服することは、同じ事柄の両面に過ぎない」[N2, 5]と述べられている、この克服されるべき「進歩」なのである。さらに別の断片は次のとおり日本語訳されている。
進歩の概念は、それが特定の歴史的変化を計るために当てられる尺度ではなくなって、歴史の伝説的な始まりと伝説的な終わりの間の緊張をはかるものになってしまった瞬間から、歴史の批判的理論と必然的に相反するものとなった。別の言い方をすれば、進歩というものが、歴史の経過全体を表わす印になってしまうと、進歩の概念は批判的な問題設定のコンテクストの中にではなく、無批判に進歩を実体化してしまうコンテクストの中に登場するようになる。批判的な問題設定のコンテクストというものは、具体的に歴史を観察する場合に、進歩というものを視野に入れるのと少なくとも同じ程度に、退歩についても明瞭に輪郭づけているかどうか、という点でわかる。(たとえばテュルゴやヨッホマンの場合がそうである)
[N13,1]
こうした歴史的背景を持つゆえに、「進歩」の概念は、克服されることによって、真正な定義を改めて与えなおされることがおそらくは必要とされているのである。だから、しばらくあとに言及することになるベンヤミンの「歴史的唯物論者」は、一般的なマルクス主義のそれとは違って、いわゆる「進歩主義的」なそれではない。
話を戻そう。俳句を「遺産」として、"heritage"として、»Erbe«として扱うことは、ただひたすら瓦礫のうえに瓦礫を積み重ねつづけるだけの、救いのない状態、すなわち、「破局」を引き起こすだろうことなのである。いや、むしろ、そのつど現に引き起こしているだろうこと、と言わねばならないのだろう。俳句を「無形文化遺産」として登録しようという動きは、少なからぬ人々がそれを当然のように「遺産」として扱っているところでしか、およそ起こりえないものに違いない。たとえば、西村和子は『俳句年鑑2018年版』に巻頭提言として掲載された「昭和も遠く」において、 「「遺産」というと、絶滅危惧種的なもの、保護しなければ存続が危ぶまれるものといった印象が拭えないが、世代から世代へと受け継がれて来、今後も受け継がれるべき文化として、日本の俳句が名乗りを上げることは、決して的外れなこととは思わない」と述べている。まさしく「決して的外れなこととは思わない」という反応を返しうるような認識を土台にして、この動きが起こっているのだ。西村和子にとって、「日本の俳句」は当然のように「世代から世代へと受け継がれて来、今後も受け継がれるべき文化」としての「遺産」なのである。この認識は、あの「今までどおり」ということ、すなわち、破局をそれとして維持することにつながる。したがって、ベンヤミンに従うなら、ここに見てとれるのは要するに「危機の瞬間」にほかならない。
話を戻そう。俳句を「遺産」として、"heritage"として、»Erbe«として扱うことは、ただひたすら瓦礫のうえに瓦礫を積み重ねつづけるだけの、救いのない状態、すなわち、「破局」を引き起こすだろうことなのである。いや、むしろ、そのつど現に引き起こしているだろうこと、と言わねばならないのだろう。俳句を「無形文化遺産」として登録しようという動きは、少なからぬ人々がそれを当然のように「遺産」として扱っているところでしか、およそ起こりえないものに違いない。たとえば、西村和子は『俳句年鑑2018年版』に巻頭提言として掲載された「昭和も遠く」において、 「「遺産」というと、絶滅危惧種的なもの、保護しなければ存続が危ぶまれるものといった印象が拭えないが、世代から世代へと受け継がれて来、今後も受け継がれるべき文化として、日本の俳句が名乗りを上げることは、決して的外れなこととは思わない」と述べている。まさしく「決して的外れなこととは思わない」という反応を返しうるような認識を土台にして、この動きが起こっているのだ。西村和子にとって、「日本の俳句」は当然のように「世代から世代へと受け継がれて来、今後も受け継がれるべき文化」としての「遺産」なのである。この認識は、あの「今までどおり」ということ、すなわち、破局をそれとして維持することにつながる。したがって、ベンヤミンに従うなら、ここに見てとれるのは要するに「危機の瞬間」にほかならない。
俳句を「遺産」と呼ぶことについて、いま一度立ち止まって考える必要のあることがあるとすれば、おおよそこのあたりのことではないだろうか。だが、この観点から見れば、俳句を「無形文化遺産」として登録しようという動きは、要するに、もっと根本的な問題に由来する徴候のひとつでしかないということになるだろう。
ベンヤミンは「破局である伝承が存在する」と述べていた。もし俳句を「遺産」として扱うことがそうした「破局」に関わっているとするなら、それは俳句の伝承の仕方に何か根本的な問題があるからだ。
だから、この「遺産」という言葉を問題にするなら、僕たちは、俳句における伝統について繰り返し考える必要がある。とりわけ、連続性ではなく、連続性への干渉という観点からその伝統を考えることが必要になる。そのときには、ベンヤミンが『パサージュ論』の断片[N19, 1]で指摘していることを意識する必要があるだろう。すなわち、翻訳者たちの仕事によって日本語で言われるところの「伝統」に反響させられた、ラテン語由来の»Tradition«という語にまつわる断片[N19, 1]に述べられていることを、意識する必要があるだろう。この断片は次のとおり日本語訳されている。
だが、そのような事態を回避するために、どのような伝承が可能なのだろうか。たとえば、「歴史の概念について」のテーゼXVIの一節には、そうした来るべき伝承のありようの素描を見てとることができるかもしれない。その一節は次のとおり訳されている。
とはいえ、それらの経験を、どのようにつかまえればよいのだろうか。ベンヤミンの「歴史的唯物論者」は、何を手掛かりにそれをつかまえるのだろうか。このことにまつわるテーゼIIの一節の日本語訳は、次のとおりである。
≫有馬朗人氏に反対する 俳句の無形文化遺産登録へ向けた動きをめぐって
伝統の連続性は見せかけにすぎないのかもしれない。しかし、もしそうだとしたら、絶えず続いているというこの見せかけが恒常的に続いているということが、伝統の中に連続性を作り出しているのだ。このように捉え返された伝統について考えること。そして、いかにして伝承するかを考えること。ただし、このことを、もはや「伝統主義的」でも「進歩主義的」でもない仕方で考えること。「遺産」という言葉が真に本質的な問題に関わるのは、ようやくこの次元においてなのである。とりわけ、次のことに注意する必要がある。「遺産」という言葉が問題となるのは、それが現在の俳句にとって不当なものだからというわけではない。むしろ、真に危機的なのは、過去の俳句を「遺産」として扱ってしまうことによって、本来ならばそれらから引き出され得たはずのアクチュアリティが前もって殺されてしまうことのほうなのである。
だが、そのような事態を回避するために、どのような伝承が可能なのだろうか。たとえば、「歴史の概念について」のテーゼXVIの一節には、そうした来るべき伝承のありようの素描を見てとることができるかもしれない。その一節は次のとおり訳されている。
歴史主義が過去の〈永遠の〉像を立てるのに対して、歴史的唯物論者は過去に関する経験を、それも、いまここに唯一無二のものとしてあるそれを呈示する。歴史的唯物論者は、歴史主義の売春宿で〈昔むかしありましたとさ〉という娼婦に入れ揚げてなにもかも使い果たすことは、他人に任せる。ここでいう「歴史的唯物論者」がいわゆるマルクス主義的なそれとは異なっているという点は先に述べたとおりである。さて、この観点から見た場合に真に必要とされることは、厳密には、俳句を「遺産」として扱う他人に反対することではない。問題は、もはや俳句を「無形文化遺産」に登録することの是非ではなく、俳句の伝承の実践を根本から考え直すことにあるのだ。そして、このとき必要なのは、むしろ、俳句を「遺産」として扱うことに対する抵抗感を、過去に関するいまここでの経験をそのつど繰り返し物語ろうとする能動的な力へとあらためて転化していくことなのである。すなわち、「遺産」という観念に対する消極的な考えを、伝承の実践についての積極的な考えにつなげていくこと。「過去の〈永遠の〉像」がまやかしであることは、過去に関しての、いまここに唯一無二のものとしてある経験を物語るそのたびに、自ずから明らかにされることなのである。
とはいえ、それらの経験を、どのようにつかまえればよいのだろうか。ベンヤミンの「歴史的唯物論者」は、何を手掛かりにそれをつかまえるのだろうか。このことにまつわるテーゼIIの一節の日本語訳は、次のとおりである。
過去はある秘められた索引を伴っていて、それは過去に、救済(解放)への道を指示している。実際また、かつて在りし人びとの周りに漂っていた空気のそよぎが、私たち自身にそっと触れてはいないだろうか。私たちが耳を傾けるさまざまな声のなかに、いまでは沈黙してしまっている声の谺[こだま]が混じってはいないだろうか。私たちが愛を求める女たちは、もはや知ることのなかった姉たちをもっているのではなかろうか。もしそうだとすれば、かつて在りし諸世代と私たちの世代とのあいだには、ある秘密の約束が存在していることになる。だとすれば、私たちはこの地上に、期待を担って生きているのだ。だとすれば、私たちに先行したどの世代ともひとしく、私たちにもかすかなメシア的な力が付与されており、過去にはこの力の働きを要求する権利があるのだ。この要求を生半可に片付けるわけにはいかない。歴史的唯物論者はそのことをよく心得ている。だから、まずは現在に対する感覚を研ぎ澄ませることだ。そして、その現在に対する研ぎ澄まされた感覚によって、過去の出来事の名残りが今日的なものにまで響きわたろうとするその機会を捉えることだ。ほかならぬ過去こそが、そのつどいまここにおいて、そうした聞き分けを要求しているのである。
≫有馬朗人氏に反対する 俳句の無形文化遺産登録へ向けた動きをめぐって
2 comments:
「heritage」と「遺産」には、根本的な、ニュアンスの差の問題もあるのではないでしょうか。
まず、「遺」という字には、(厳密に分かれるわけではないですが)1)死後に残す(遺骨、遺灰、遺書、遺影)、2)後に残ったり尾を引いたりする(遺恨・遺跡・遺物・遺訓)、3)置き忘れたり取り残したりする(遺失・拾遺)、4)大小便や精液を気づかずに洩らす(遺尿)、5)人にやる(贈遺)、といった意味があります。いずれも「メインの何かが終わってしまった後に残ったり洩れたりしている」という「終了感」のニュアンスが伴います。「遺産」には終ったものを後世の人が受け取るというニュアンスがどうしても付きまといます。
「heritage」は、相続するもの、世襲するもの、先祖伝来のもの、古来のもの、という意味で、受け取った人間が継承者として継続させるようなニュアンスがあります。終了感はないのです。cultural heritageは、現在の人も大事に伝えていく文化というニュアンスが強く、メジャーな辞典であるAmerican Heritage Dictionaryという辞書は、(遺産や遺物でなく)米国において昔から現代までずっと使われ続けた権威のある辞書という程度の意味で、収録語彙は常に更新されている一般の英語辞典です。英語的にはtraditional(「伝統的」という意味)やvintage(「昔からある優良な」という意味)に近いです。
「enshrinement as heritage」というフレーズがあったとしても、「enshrinement」はよく英語で使われる一般的な語彙で、語の由来はともかく、よく使われる場合には「(神聖とは限らないものを)いかにも神聖なものとして敬ったり、祀ったりする。ありがたそうにする」という意味で(※悪い意味でつかわれることが多いです)、「enshrinement」とセットで出てきた「heritage」という語彙が出て来たからといって、「heritage」に「遺産」というニュアンスがあるわけではないです。むしろ、その反対で、heritageを遺産・遺物のようにenshrinementしている事が悪しきことであるという意味で、heritageには遺産のようなニュアンスがないからこそ成立するフレーズなのです。heritageに遺産の意味合いがあったら、enshrinementという語彙とあわせず、別の語彙とあわせていたでしょう。
つまり、「heritage」(「Erbe」は「heritage」に近いでしょう)と「遺産」のニュアンス、意味合いは違うのですが、適切な短い訳語(名詞)が他にないのです。cultural heritageにおけるheritageは名詞ですので)、日本語で同様のニュアンスを持つ短い漢語の名詞がなさそうなので、「文化遺産」と訳されてしまっているのです。「遺産」という言葉を回避するとすれば、やや意訳するしかなく、その場合は、形容詞のculturalを名詞のcultureとして、heritageを形容詞としてそれぞれ扱うことになり、「世界承継文化」・「世界古来文化」などとなります。
むずかしいですねぇ。
Kikaさん
コメントありがとうございます。とりわけ、"enshrinement"の日本語訳について、たいへん参考になりました。この文脈では、「まつりあげること」といった日本語訳がニュアンスを汲んだものとして適切かもしれませんね。
ただ、英訳者の意図についてのKikaさんの解釈には、すこしばかり疑問が残ります。»Würdigung als Erbe«を問題とするベンヤミンの文章を、英訳者がもし「heritageを遺産・遺物のようにenshrinementしている事が悪しきことであるという意味」に読みかえているとするならば、そのとき、英訳は"enshrining the heritage"(「遺産をまつりあげること」)といったものになるのではないでしょうか。そうではなく、これを"enshrinement as heritage"(「遺産としてまつりあげること」)としていることには、次のような意図が読み取れるように思うのです。
まず、英語における"heritage"という語、これはKikaさんが指摘する通りのニュアンスがあり、それは一般にはおおむね肯定的な意味合いで受け取られていることと思います。しかし、これが肯定的な意味合いで受け取られているということ自体に、実はベンヤミンが»Erbe«に関して提起しているのと同様の問題があるのではないか。この"heritage"という概念のもとで事物を取り扱うことには、実は悪しき側面があるのではないか。とはいえ、この一語だけでは、それは英語圏の読者たちにそれを理解してもらうことは難しい。そこで、英訳者たちは、英語のみでの思考では見えづらいこの"heritage"という概念の負の側面を引き出すために、ここであえて"enshrinement"という語を呼び出したのではないでしょうか。だとすれば、英訳者たちは、ここで、"heritage"として事物を取り扱うことが実は"enshrinement"としての一面を持っているという考えをベンヤミンから受け取っているのです。
したがって、僕としては、やはりベンヤミンの提起した問題は、英語の"heritage"にまで響きわたるものとして英訳者たちによって受け取られているものと考えます。
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