2018-03-25

句集を読む 福田若之『自生地』を読む 高山れおな

句集を読む 
福田若之『自生地』を読む 

高山れおな


『自生地』(二〇一七年 東京四季出版)を読んで、一種、別格の感じを持った。過去三十年の間にいろいろな新刊句集に触れたが、別格などという空疎とも取られかねない大仰な言葉をあえて使いたいと思った句集は、安井浩司の『句篇 ―終りなりわが始めなり―』(二〇〇三年 沖積舎)くらいなものだ。あまりに唐突な比較と思われようが、これは当方の素朴な実感に過ぎないからまずはご海容を請う。

いちおう、両者が確実に似ている点をひとつだけ指摘しておく。それはその規模で、『句篇』が千八十二句を収めるのに対して、『自生地』は千七十六句。もちろん『句篇』は安井の十四冊目の句集であり(その後、千句以上を収録する句集がさらに四冊出ている!)、他方『自生地』は福田若之の最初の句集なのだから、上記の事実をもって両者がその多産性において共通するなどというわけにはいかない。福田が俳人として今後どんなふうに歩を進めてゆくのかは、全く予想もつかないというのが正直なところだ。ただ、とにかく『自生地』の福田の、ほとんど読者の都合などおかまいなしに、作り手としてのエネルギーの奔出に身を任せている姿には、安井のそれをさえ思わせるものがある(繰り返すが先のことは知らない)。

『自生地』の、では何が筆者に別格とまで思わせたのか。自己の人生の感情の劇を総体として書ききっていること、そしてそれが同時に俳句の言葉の冒険として完遂されていること。概括してしまえばなんでもないようだが、人生の感情の劇を総体として書ききるなどという志向性は、少なくとも三十年来の(ということはつまり平成の)俳句には基本的に無かったはずだ。福田も参加したアンソロジー『俳コレ』巻末の合評座談会で、岸本尚毅が福田の〈最近の句〉について〈ちょっと古い感覚の青春かな〉と述べているのはだから、平成の俳句の主導的な作者の一人が福田の句に対して口にする感想として、とても自然である。『自生地』には、岸本たちの世代によって回避された古い青春、あるいはもっと汎用性の高い言い方をすれば古い主体(文学的な主体!)が回帰してきたようなところがあるからだ。

複数の評者(相子智恵・青木亮人・上田信治・関悦史・トオイダイスケ)が本句集をめぐって「切実」「シリアス」といった言葉を漏らしているが、この句集の主体を提示することへのひるみのなさに対する感銘があってこそだろう。病苦とも貧苦とも老苦とも無縁の現代の若者の句集にこうした語が向けられるのを、当方は初めて見たような気さえする(最晩年の森澄雄が、角川春樹の句集を「切実」と評している現場になら居合わせたことがあるが)。その一方で、福田の作品がたとえばかつての人生探求派的な表現と似ても似つかないものになっているのは、言語で表現する行為自体が表現の俎上に乗せられる、メタ的な水位が一貫して意識されているからである。メタテキスト性がはらむ空虚と、その空虚を通じてしか触れえない現在が、広大なモザイクと化して、作者の生の、感情の軌跡を織りなす――いや、ほんとに別格だと思います。

福田は集中に大量の詞書を組み込み(句集中盤にはエッセイと呼ぶべき長いものも出現する)、●によって全体を細かく分節してゆく。分節された句の塊りは、強い連作性を帯びる場合もあれば、そうでない場合もある。詞書の主たるモティーフとなっているのは、句集編集の過程そのものであり、一巻は、〈孵る。それは、二度と戻れない仕方で帰るということだ。別の自生地に。〉という詞書と、

 やわらかいかまきりのうまれたばかり

という、句集誕生を告げる句と共に閉じられる。この枠組はプルーストの『失われた時を求めて』を参照したものだろうが(集中には〈母の日の転がって読むプルースト〉なる句も見える)、しばしば過去(それもかなり遠い)の記憶の薄明の中から句を紡ぎだす身ぶりを見せるこの句集は、枠組のみにとどまらず、もっと端的な意味でも福田版「失われた時を求めて」なのかもしれない。

気がつくと、ふたたびひどい部屋のありさまで、僕はそこに棲んでいる。
 梅雨の自室が老人の死ぬ部屋みたいだ

句集はまず現在ただ今の事実そのものと信じられる光景で幕をあける。万年床ないしベッドがその中心を大きく占めているだろう寝室(兼居間兼書斎?)の提示で記述をはじめるのも、ベッドの中での回想からはじまる『失われた時を求めて』のもどきとも考えられる。「老人の死ぬ部屋みたいだ」という比喩は、乱雑と荒涼の描写として的確だが、同時に部屋の住人が老人ではないことを告げ、「僕」の若さを言わずして誇示してもいよう。また、このフレーズには老人の孤独死のニュースや「長寿という悪夢」といった言葉が意識を脅かす時代の刻印もはっきりと捺されているわけだ。

「梅雨の自室」の句の後に置かれた最初の●に続く詞書には、句集の制作を、〈六年前にとあるアンソロジーに収められた僕自身の作品をこの手で書き写すことからはじめることにした。〉と記されていて、事実、二句目以降、十八頁にわたって『俳コレ』からの再録がなされる。ただし、『俳コレ』所収の百句全ての再録ではなく、同書で「あをにも染まず」の見出しのもと、最後に纏められていた十九句(高校生時代の作だという)は略されている。代わりに途中四か所に、前後を●で挟む形で、『俳コレ』には無かった作が挿入されている。

 かまきりが網の目をすりぬけて来る
 枯れ芭蕉俳諧安らかに眠れ
 夢に着けば先客がみな小岱シオン
 小岱シオンの表面上の夏の雨


このうちかまきりは、すでに引いた巻軸句にも登場していたように、かまきりもどきとも名を変えながら句集の各処に二十六回にわたって出没する。コノタシオン(コノテーション、共示)を女性名化した小岱シオンは、何やら思わせぶりなキャラクターとして十一回の出演を数える(詞書と俳句に連続して言及される場合は一回として)。コノタシオンはそもそも記号学用語だが、かまきり/かまきりもどきもまた、言葉をめぐるなんらかの比喩的な存在であるらしい。そしてここにしか登場しない「枯れ芭蕉」は、明らかに松尾芭蕉を意識している。前後の句と詞書ともども、もう一度引いてみよう。

 門松が対空砲のようにある
 ●
やがて青む眠りのあいだに、書くことの一切は夢でしかないのだろうか。「あの冬はもう来ないよ」と、それは声のような気がした。
 枯れ芭蕉俳諧安らかに眠れ
 ●
書くことは、いつだって、何かのまちがいからはじまる。
 春はすぐそこだけどパスワードがちがう


門松・パスワード両句の秀逸ぶりに比べると「枯れ芭蕉」の句は見劣りがするが、「俳諧安らかに眠れ」とマニフェストすることこそが福田にとって重要だった。詞書にある「あの冬」は、門松やパスワードの句によって記念される作者の個人的な「あの冬」であると共に、芭蕉が大坂で死んだ元禄七年の「あの冬」でもある。とすれば、〈やがて青む眠りのあいだに、書くことの一切は夢でしかないのだろうか。〉という一文は、〈旅に病で夢は枯野をかけ廻る〉を受けてのものに他ならない。書くこと自体、そして書かれた一切は夢だという位相を芭蕉と共有しながら、芭蕉の名に象徴される俳句性のある部分を峻拒することが、福田のマニフェストの内実だったと考えてよいだろう。自分の世界は、芭蕉の世界とは「パスワードがちがう」のだ――。

ここで念のために言い添えれば、パスワードの句を単独で鑑賞する場合の解釈と、この句集の排列の中でする上記のような解釈は基本的に別のものであり、かつ両立するものだ。詞書や排列によって文脈をずらすことで解釈が変わるのは短詩型にとっては通常の摂理であることは確認しておきたい(〈夏草や兵共がゆめの跡〉の「兵共」は『おくのほそ道』の文脈では源義経主従や奥州藤原氏の人びとをさすが、いちいち義経を思い出さなくても鑑賞できるからこそ、この句は一種のことわざ性を帯びるに至った)。見落とすべきでないのは、ここで作者が芭蕉を自分の土俵に引き込んで堂々わたりあっていることで、この気組の大きさもまた当方のいう別格感の根拠になる。後はその気組を維持して、最後まで走り切れるかどうかだ。

かまきり/かまきりもどきと小岱シオンに戻る。正直に言えば、かまきりの跳梁跋扈は、当方にはいささか鬱陶しかった。もちろんかまきりに絡めての詞書の省察には興味深い内容もあれば、句集読解のヒントもちりばめられているのだし、俳句にも面白いものはある(〈かまきりを地に置く植字とは違う〉〈言葉は葉かまきりはざわめきに棲む〉〈声なくずっとかまきりは声なくずっと〉など)のだが、その都度、句集を読む流れが堰き止められるような感触は否めなかった。一方の小岱シオンにそうした否定的な印象を受けなかったのは、気持ち悪い昆虫と美少女(?)キャラの差、なのかどうか。ただ、出演回数の違いからしても、小岱シオンの方により満を持しての感があり、登場の仕方にも華があるのは確かなようだ。

 年が明けたのかケータイ閉じて寝る
 ●
「もしわたしが三人いたら、ひとりを仲間はずれにするだろうなって思う。四人でも」と、彼女、小岱シオンは言った。
 夢に着けば先客がみな小岱シオン
 ●
速度が上がっていく。ひとつひとつを置き去りにして、思い出が思い出を振り切っていく。
 初詣に行こうよぶっ飛んで、いこう

これが小岱シオンの最初の登場シーン。『俳コレ』では、ケータイの句と初詣の句がふつうに並んでおり、それはそれで当節の若者の生活スケッチとして魅力的だが、小岱シオンの句と二つの詞書の挿入によって、リズムに満ちた快活な転換が生まれている。それこそ芭蕉時代の付合を見るかのように。

この箇所に限らず、『俳コレ』から再録された八十一句は何と言っても粒ぞろいで感心する。すでに引いた以外でも、次のような作は初見の時から忘れがたいものがあった。

 歩き出す仔猫あらゆる知へ向けて
 僕のほかに腐るものなく西日の部屋
 むにーっと猫がほほえむシャボン玉
 チュッパチャップスなめらかに夏は近づく
 君はセカイの外へ帰省し無色の街
 ヒヤシンスしあわせがどうしても要る


このうちヒヤシンスの句については、「週刊俳句」に発表された直後にやや詳しく読み解いたことがあるので参照されたい(「詩客」2011.5.31)。これらは比較的派手めの句と言ってよろしかろうが、もう一段おとなしい地味な句であっても、なにがしかの面白さが無いということがない。もっとはっきり言えば、全くつまらない句というのは句集の全体を通じてほとんどないと当方には思えた(そりゃ少しはあります。なにせ千七十六句ですから)。全体の規模の大きさや過剰なまでの仕掛け、しばしば強く出る連作性のために見えにくくなっているかもしれないが、この作者の一句一句を作る地力の高さは改めて強調しておきたい。しかもそれを、従来的な上手さとは一線を画す形でやり遂げているのである。

ただ、途方もない句数のことを思えば、全くつまらない句がごく少ない理由を、地力の高さ(それは結局、技術の高さの謂いだろう)だけに帰するわけにはゆくまい。むしろ、作者の感情の豊富さの方が決定的なはずである。これは逆に、我々がそれなりの手練れの句集を読むに際して、しばしば退屈を嚙み殺しながら、僅かな佳句・秀句との出会いを待ち続けなくてはならない理由と、裏腹の関係にある事実であろう。感情が豊富な詩人は感情が希薄な詩人より偉いというのは、富士山は高尾山より標高が高いというのと同じくらい簡明な真理である。

ところで、『俳コレ』から再録された八十一句は、先に述べた新規の句や詞書の挿入がある他は、排列も変わっていないが、表現に手が入ったものが幾つかあるので確認しておく。

俳コレ 建設現場の涼しい陰の下で撮る
自生地 土を撮る建設現場の涼しい陰


俳コレ 裏庭に捨て置く玩具葛の花
自生地 裏庭に捨て置くでんしゃ葛の花


俳コレ 同胞たちに噴水のまぶしい夜
自生地 みんなで胞子になって遊ぶ噴水のまぶしい夜だ


俳コレ 花虻の丘が俄かに風となる
自生地 花虻の丘がにわかに風となる


一句目、二句目はそれぞれ「土」「でんしゃ」を出して像を具体化させている。四句目は表記の変更に過ぎない。三句目の改変はめざましい。噴水のある公園か駅前広場のような場所での友人たちとの夜の語らいといった場面であることに違いはないとして、表現の密度と高揚感には格段の飛躍がある。「同胞」の「胞」の字が「胞子」を呼び出すまで待ちこらえた手柄だが、あるいは同じ『俳コレ』所収の

 新樹なにやら私語する夜だ油断するな 林雅樹

の、独りジュブナイルといった感じの弾けっぷりが参照されている可能性もあろうか。原句のままではそう悪くもないというレベルにとどまるところ、推敲によって傑作になった。当方には先日亡くなった金子兜太の

 きょお!と喚いてこの汽車はゆく新緑の夜中

の塁を摩すものに思える。……と、ずいぶん書いたが、まだ句集の冒頭である。読みどころは数々残るものの果てしもないこととて、今回は以下、二つのパートを読むにとどめてまとめに入りたい。二つのうち一つは一句一句個別にも読めるゆるやかな連作、もう一つは各句の独立性の弱いより完全な連作である。前者は五三頁、句数でいえば二百二十三句目からはじまる十四句。「クプラス」第一号に発表されたもので作品に異同はない。初出時のタイトルに句点を入れて、〈悲しくない。大蛇でもない。口が苦い。〉とした詞書を前に置いている。

 起床して自然ではない十一月、窓を滑る蜂

先に述べたように、この十四句は一句一句独立した形でも鑑賞できるが、全体を見渡すと、若い「詩作家」の生活の実相と夢を、スチームパンク的な世界観のうちにコラージュしたものとして読める。「詩作家」の世界に対する過敏な意識は、単なる覚醒と起床をいちいち「自然ではない」環境への回帰と捉えさせる。たいへん面倒な奴である。なるほど自然物ではありえない窓ガラスに冬の蜂が弱々しく打ち当り、横滑りするのが見える。

 産業革命以来の冬の青空だ

ともあれ今日は晴れている。頃は最もすごしやすい十一月。だが、この青空だって素の自然などでありはしない。あくまで「産業革命以来」の汚染された「青空だ」。わざわざ平泉まで旅をしなくても、「詩作家」の窓からは歴史が見えるんだぜ。

 髭剃りさえもが石炭をがつがつがつがつ喰う

電気シェーバーで顔を当たる。一日一回、朝の数分だけ使うささやかな道具だが、その数分のためにどれくらいの石炭が燃やされているんだろう。もちろんこの「詩作家」は環境運動家ではない。ただ、肌に接しながらぶるぶる振動する機械が、はるかかなた、自分が知りもしない場所にある発電所で燃える石炭と結びついていることに興がっているだけだ。「がつがつがつがつ喰う」という荒っぽい比喩的な表現が、「産業革命」「石炭」という語との連想のうちに、何やらアニメーション的なイメージを喚起しはじめる。

 木枯らしが孵化し火山帯を進む

外に出ると意外にも「木枯らし」が冷たい。「詩作家」が住んでいるのはこの国の最も広大な沖積平野を縁取る台地であって「火山帯」ではない。しかし、この木枯らしは北や西の火山帯の方から吹いてくるのだ。「孵化」「進む」といった語が「木枯らし」を擬人化し、前句からのアニメーション的なイメージを加速する。

 掘削機械に引っ掛けてあるコートの煤

「詩作家」は掘削の現場でなど働いたことはないだろう。どこかの工事現場でこんなシーンを見たのかもしれないが、現実と「詩作家」の夢想はだんだん区別のつかないものになりつつある。鉱山で働く少年が、空中海賊に追われる美少女を助けるなんてアニメはなかっただろうか。少年の名は福田若之ではなかったし、美少女の名も小岱シオンではなかったと思うが。

 唾がつめたい灰色している

「詩作家」はもはや完全に少年労働者だ。十九世紀のロンドンの工場街を思わせる光景の中で、動力は蒸気機関であるにもかかわらず、現代文明のそれよりも高性能な機械が稼働している。前句が二十一音、次句が二十七音の長律で情報も過多な感じなので、ここは「唾」に焦点を絞った十五音の短律にしておく。「唾」を「灰色」にしたのは、「産業革命以来」の埃っぽい労働の現場を示唆する効果を考えたからだ。

 真っ白な息して君は今日も耳栓が抜けないと言う

「木枯らし」は吹いていても、基本的には暖かな小春日だったはずだが、いきなり真冬になっている。主人公にはより厳しい環境が与えられるべきだからだ。「君」は工場の同僚で、「詩作家」よりも少し先輩だが、ちょっとおっちょこちょいの気味のある青年だ。実際は、四六時中イヤホンで音楽を聴いている友人と街で出くわしただけだ。

 そんな銛一本で鯨が待っているのか

鉱山だか工場だかで働いていたはずの「詩作家」は、捕鯨船への搭乗を希望する若者に変じている。彼は漁師ではなく、博物学者だった父が探索中に命を落とした一頭の「鯨」を追っているのだ。伝説の巨鯨を追う望みにくらべて貧相な体軀と装備を、港町の酒場の荒くれ者たちが「そんな銛一本で」と嘲笑する。

 蒸気で動く詩作家 枯れ木たちが喘息を患う

「詩作家」は再びあの「老人が死ぬ部屋みたい」な自室に戻ってきたようだ。「蒸気で動く」のは彼が詩を打ち込むパソコンのことで、興の在り処は「髭剃り」の場合と同じ。しかし、「蒸気で動く詩作家」と言ってしまっている以上、そこには機械としての自己のイメージがかぶさるだろう。最も直截なスチームパンク的なシーン。朝、蜂が滑った窓の外で「枯れ木」が風に鳴る音が、「喘息」の発作を思い出させる。それは彼が生きている「産業革命以来」の世界にはつきものの病気だ。

 やっていることは昨日と同じだが汗が凍りはじめた

日々、同じ作業を繰り返す十九世紀の労働者のイメージと、学校に提出する論文と格闘する現実の自分の姿を重ねる。徒労感と高揚感がぐちゃぐちゃに混じり合い、汗をかいているのに寒い。

 濡れた指にも満たない冬の虹立つ

手洗いに立って窓の外を見たら彼方に「冬の虹」が小さく見えたというのだろうか。むしろ次句の「寒い夜」を受けて、洗ったその手のうちに幻の虹を見たとすべきか。どちらにせよ「濡れた指にも満たない」という形容が、「詩作家」の切々とした思いを訴える。

 寒い夜引き出しに隠し持つプロペラ

この「プロペラ」は、発明家兼冒険家だった「詩作家」の父(祖父かもしれない)が残した形見の品に違いない。しかしそれはまた、彼の詩心のメタファーでもあるだろう。たいへんわかりやすいメタファーであり、だからこそ「古い感覚の青春」などと言われてもしまうのだが、ともかくそれは感情の薄いかまきりもどきならぬ詩作家もどきばかりのこの世界にあって、大切に「隠し持つ」べきものだろう。

 白鳥は密かに母を奪い合う

そうとは書かれていなくとも亡き父が呼び出された以上、亡き母もまた呼び出される必要がある(呼び出されたのが祖父なら母はその娘である)。母は当然、美しい人でなければならない。「白鳥」が美女を奪うといえば、白鳥と化したゼウスがスパルタ王の妃レダを誘惑する物語が有名だが、「奪い合う」のだからスパルタ王までが白鳥になってしまったみたいだ。

 結論としては葱だけで満たされやしない

白鳥の句の解釈には釈然としないところが残るものの、男根とも紛う長い首を持つ「白鳥」と若く美しい「母」が織りなす、漠然とエロティックなイメージを受け取っておけばいいのだろう。そもそも夢想から覚めた「詩作家」には「満たされやしない」という思いしか残らないのだから、厳密な意味の確定など無用のことだ。

一連の、散文的でぶっきら棒な、また、乾いていながらヒロイックな声調に沿って、読解の一案を示してみた。ここで改めて全体を見返すと、起床して何か食べようと思ったが冷蔵庫には「葱だけ」しかなく、さりとて買い出しに行く気も起こらず、焼葱を作って食べたが、やっぱりこれでは空腹は「満たされやしない」という「結論」に至った――という構図が浮かび上がってくる。してみれば、途中のあれこれは「黄粱一炊の夢」ならぬ「葱一焼きの夢」だったのだ。詞書に「口が苦い。」とあったのも、葱を食べた直後の感想としてもっともではないか。情景や主体がきびきびと転換するさまは十四句からなる独吟連句のような面白さだし、一方で統一的なトーンは保たれているから決して支離滅裂な印象は与えない。「満たされやしない」という思いとともに現実に着地する、ちゃぶ台返しのような挙句もみごとに極まっているだろう。

さて、先ほど、この句集はしばしば、遠い過去の記憶の薄明から句を紡ぎだす身ぶりを見せるという意味のことを書いた。その記憶が事実に立脚したものなのか、あるいは記憶を偽装したものなのかはじつははっきりしない場合もあるのだが、これほど執拗に幼年の記憶に向かい、幼年の感覚を回復しようとする作者は、小説はいざ知らず、こと俳句の世界では蕪村や一茶以来なのではあるまいか。具体的には、句集中盤に置かれたエックス山をめぐるエッセイに挟まれた一連三十六句や、句集終盤近く、〈あれは たしか 6さいのころ。(後略)〉という詞書に続いてはじまるポケットモンスターをモティーフにした一連七句がそうだが、今回は一九九頁から二〇二頁にかけて、「のの」という女の子をヒロイン兼ナレーターにした連作を一瞥し、稿を終えたいと思う。

通っていた幼稚園は、坂をあがったところにあった。にわとりとあひると遠藤先生がいたほかに、誰がいたか、僕にはもうほとんど思い出すことができない。けれど、たしかそんな子たちがいたような気がする。記憶のなかのそのふたりに、僕は代わりの名前を付けた。

まずは一連の前に置かれた詞書から。はたしてそんな「幼稚園」があったのか、ほんとうに先生は「遠藤先生」だったのか。そもそもなぜ、「ほとんど思い出すことができない」仲間たちにわざわざ「代わりの名前」を付けるまでして、この一連は書かれねばならなかったのか。最初に述べた、自己の人生の感情の劇を総体として書ききることへの衝迫の強さはここにも明らかだが、実際、総ひらがな書きによって幼女のパロールを仮構した十六句は、奇妙な迫力で読み手に迫ってくる。

 ののはくれよんでなんでもまっかなの
 ばあができなくてののはいないいない


これが連作一句目と二句目。「のの」はこのように冒頭から登場するが、やがて七句目から「たかいくん」がそこに加わる。しかし「たかいくん」はじつはすでに六句目に登場しているとも言える。六句目と七句目を引こう。

 ののたかいたかいはたかいからきらい
 たかいくんがないたすごくまっかだった


上田信治は、「いちばんポップでシリアスな彼」と題した『自生地』の書評で、〈85pからの「あかおに」や、199pからの「のの」の連作など、作者より無垢でいたいけなものが登場するときにあらわになるナイーブネスの、美しさとやさしさには、息を呑むほかはない〉と述べている。まったく同感ながら、この表現には何か先蹤があったような気がしてよくよく考えてみると、それはつまり谷川俊太郎のひらがな表記の詩なのではないかと思われる。実際、『ことばあそびうた』(一九七三年 福音館書店)の冒頭には「ののはな」と題された詩さえ見出すことができるのである。

 はなののののはな
 はなのななあに
 なずななのはな
 なもないのばな


この詩はこれで全部である。漢字仮名混じりで記せば「花野の野の花/花の名なあに/薺・菜の花/名も無い野花」となるだろうか。

谷川のひらがな表記は絵本の仕事から始まったらしい。それは、現代日本語が見失いがちな和文脈の音韻の面白さを探りながら、そこに新たな詩の言葉を見出そうとする試みである。ただ、『ことばあそびうた』について言えば、冒頭の詩にたまたま「のの」の文字を見るにしても、福田の「のの」一連とは異なり、純然たる音韻の遊びとしての性格が強い。福田の「のの」連作は、音韻の遊びを豊かに含みながらも、上田が言うところのシリアスさをたぶんに抱えこんでいて、谷川のひらがなの詩でいえばむしろ『はだか』(一九八八年 筑摩書房)の感触に近いように思う。ただし、『はだか』の視点は小学生から中学生にかけての子供のものとして設定されている。そこにはひらがなによる哲学とでも呼びたい思惟があるのに対して、「のの」連作の視点は幼稚園児のものだ。泣くか笑うかでメッセージを発するしかない赤ん坊よりは成長しているにせよ、その語りが可能にするのは見たものそのままの直叙(〈ののはくれよんでなんでもまっかなの〉)でなければ、好きか嫌いかの直情(〈ののたかいたかいはたかいからきらい〉)の発露なのだ。

視点が幼稚園児のものであることは、そういうわけで制約にもなり得るはずだが、福田はこれを巧みな連作に仕上げてみせた。それはいかにもこましゃくれた幼女の発語を装いながら、いわば「ひらがなによる哲学」の、あるいは詩歌のクリシェの、萌芽の萌芽のようなものをあちこちに潜ませている。たとえば連作三句目。

 ののはきょうののなのはなのきぶんなの

人名の「のの」を片仮名表記しつつ漢字仮名混じりに置き換えると、「ノノは今日ノノなの、花の気分なの」となろうか。「ノノは今日ノノなの」から「花の気分なの」へ転じてゆく呼吸がリアルに幼児的であると感じられる一方で、ノノがノノである自分を発見するこの劇も、「花の気分」というこの原型的な比喩も、現実には幼児のものではありえないに違いない。

 なのはなはのののなののののなのはななの

こちらは連作四句目。同様に書き換えると「菜の花はノノのなの、ノノのなの、花なの」となる。「な」や「の」が繰り返される音韻の効果に加えて、仮名書きが読み手にもたらす視覚的混乱と、にもかかわらずじつは過不足ない文を形成しているという落差に、作り手の側の遊びはあるのだろう。「菜の花はノノのなの、ノノのなの」という所有(?)の主張は、それが執拗に繰り返されるゆえにかえって、これが自他の弁別、自己が世界のごく小さな一部でしかないという認識へ至る第一歩であることを読者に感じ取らせる。もちろん、摘み取った一束の菜の花をノノが所有することはできるだろう。しかし、「菜の花は…花なの」というもうひとつの文脈と入れ子になっていることで、この菜の花は一束の菜の花ではなく、菜の花一般と化してしまう。それは「世界はノノのなの、ノノのなの」という主張と同じくらい不可能なのだ。

六~七句目に「たかいくん」が登場して以降、連作は「のの」と「たかいくん」との関係性のドラマを軸に展開する。九句目の

 ののはたかいくんをなかせたわるいふたつのあな

というのは、五句目に

 のののなまえのふたつのあなはきこえない

とあるのを受けているのだが、この「あな」というのは「の」という文字のくるりと巻いた部分を指すようだ。それが「のの」と二つ並ぶから「ふたつのあな」。それにしても「ののはたかいくんをなかせたわるいふたつのあな/ノノは高井君を泣かせた悪い二つの穴」とはなんと不吉に心ざわめかせる言葉だろうか。

 たかいくんはののでものののでもないの
 ののはたかいくんはかせになりたいの
 たかいくんたかいくんばあおりてきた
 たかいくんみどりなのののまたあした


これが最後の四句。「高井君はノノでも、ノノの、でもないの」「ノノは高井君博士になりたいの」「高井君高井君、ばあ、降りてきた」「高井君、緑なの、ノノまた明日」とパラフレーズできるだろう。

「のの」連作の韻律は、いわば棒読みの絶叫調である。驚いたことに、作者はそんな不快なものを、「ナイーブネスの、美しさとやさしさ」として受け入れさせるのに成功している。そこには『はだか』の深い思惟はない一方で、『はだか』に劣らない悲劇性がたたえられている。言葉以前の世界に最も近くいながらすでに言葉を生きはじめてしまった者の、ただ一度だけの時間。それを俳句が、フィクショナルにそしてリアルに捉え得るなどとは考えたこともなかった。こんな悲しい「またあした」があるだろうか。

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