2018-10-14

角川俳句賞とその時代〔中篇〕激動の一九六〇年 西澤みず季

角川俳句賞とその時代〔中篇〕激動の一九六〇年

西澤みず季

『街』第126号(2017年8月)より転載

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一九五一年に凍結された日米安保条約は、一九五七年、岸信介首相が安保改定に乗り出し、米側と話し合いがもたれ、新安保も現実味をおびた。だがやがて反対デモが活発化し、一九六〇年五月一九日には新安保条約が強行採決される。

これに反対した社会党・労働組合・学生(全学連)及び一般市民は「日米新安全保障条約」に抗議し、六月十五日、国会議事堂の周りを大規模なデモ行進をした。八千人を超える学生を動員した全学連は、機動隊と衝突しながらも国会内に突入し中庭を占拠した。この騒動で、東大生・樺美智子(二十二歳)が死亡するという痛ましい惨事が起きる。六月二十二日、六百万人を超える大規模なストや集会が行われ、同日、岸首相は責任を取り辞任を表明した。

またこの年は全国で労働組合によるストライキ、デモが行われ、その最たるものは三井鉱山の三池鉱業所の無期限ストであったと言われている。この時も参入してきた暴力団により一人が殺害されるという悲劇が起きている。

十月十二日には日本の左傾化を危惧した右翼少年山口乙矢(十七歳)が立会演説中の社会党浅沼稲次郎委員長を刺殺、翌年にはやはり左傾化に危機を覚えたメンバーによるクーデター計画・三無事件も起こっている。

折しも今、自民党の圧倒的な数による強行採決によって、数々の法案が通ってしまっている現実。安倍晋三首相は岸信介首相の孫にあたる。歴史は繰り返すということか……。

こんななか、第六回角川俳句賞が決定する。

第六回角川俳句賞「与へられたる現在に」 
撰者 石田波郷・大野林火・加藤楸邨・中村草田男・山口誓子

受賞者 磯貝碧蹄館 三十六歳(萬緑)。

碧蹄館は東京出身。豊南商業学校(現・豊南高等学校)中退。十代から川柳を村田周魚、自由律俳句を萩原蘿月に学び一九五四年から中村草田男に師事。角川俳句賞受賞後、一九六六年には「握手」で俳人協会賞受賞。一九七四年俳誌「握手」を創刊し主宰となる。二〇〇四年句集「馬頭琴」で第五回雪梁舎俳句大賞特別賞受賞。書を金子鴎亭に学び創玄展審査員を務めた。二〇一三年三月二四日肺癌のため死去。八九歳であった。

  生涯旅僧たりし亡父の墓を訪ひて
泥鰌つ子鮒つ子寺を持たざる父を愛せ

  妻、過労のために喀血し、五歳のヒデオと
  われを残し逓信病院四階に入院する。
子と見る神輿遠くの妻は安静時

南瓜煮てやろ泣く子へ父の拳やろ

  わが職は郵便配達なり
臍が源泉百日汗せむ日焼けせむ

喜雨の突端肺ごと走る郵便夫

梅酒と麦飯水が生命(いのち)のたなご見つつ

夜間飛行機子と七月の湯屋を出て

病む妻(め)に笑いを与ふわが鼻日焼の鼻

台風圏飛ばさぬ葉書飛ばさぬ帽

  手術二日、神楽坂にて菊と梨を買へり。嘗て
  日劇にて「火の鳥」を舞ひし妻なり。
飛べぬ火の鳥梨のスープを受唇に

導尿終へし妻が低声「月がきれい」

地べたで鮭焼く昨日も今日もつまづきどうし

  年賀郵便繁亡期は、母に病まれし吾子と
  遊びやる寸暇なし……
「いろはにこんぺいと」地を跳べ地が父冬日が母

賀状完配井戸から生きた水を呑む

  わが晩年はゴッホが描ける「郵便夫ルーラン」
  の如く在りたしと思う。
髭のルーラン雪の空ゆく吾は地をゆく

  妻、自宅療養をゆるされる。
郵便配るこの身が時計の時の日よ

現在(いま)も稚拙な愛なり氷菓を木の匙に 

実は選評の過程で、五人の撰者全員が採っていたのは「部落」阿部浪漫子であった。「与へられたる現在に」は加藤楸邨と山口誓子が点を入れていなかった。しかし最終段階において、「部落」は一句一句がいいから採らざるを得ない。難がない最大公約数的な作り方。この人でなくてはならんというものがない。「与へられたる現在に」は色々欠陥はあるかもしれないが、ただこの人だけのものということが、非常に強く出ている。(石田波郷)類型だけで安心しているのではなく、それを突き抜けて、自分のものでいこうという力が感じられる。(大野林火)結果、「与へられたる現在に」の受賞が決定する。

作者の受賞の言葉の中に「伝統にダッコされたり、前衛の名にオンブしたりすることは僕にはできない。根本的には、〈何よりも人間的であること〉と、〈はだかのこころ〉を磨いたものに、僕は僕流に文学本来の命脈があると思っている。日給二百八十円の臨時集配員に僕は誇りをもって任じた。妻子の活殺を預かって……」とある。いかにも激動の年にふさわしい磯貝碧蹄館の受賞と言える。

(つづく)

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