BLな俳句 第18回
関 悦史
関 悦史
『ふらんす堂通信』第153号より転載
男ゐる遠景に未だ冬去らず 能村登四郎『幻山水』
男は遠景として眺められている。登四郎句にしばしばあらわれる、一方的に視るだけの関係である。登四郎句をある程度読みつけてしまうと、この視線のあり方が出てきただけで、ゾクリとする。
さらに「未だ冬去らず」という。冬の寒さはまだ遠景を満たしていて、男は全方位から冬に囲い込まれているのだ。自身に向けられている視線に気付くこともない男は、寒気のなかにその身をおいているというよりは、寒気に圧迫され、固くやせ細るようでありながら、しかしむしろ逆に、荒野のなかの一点の華ででもあるかのように、まわりの風景を身にまとう。無論、当人のあずかり知るところではない。登四郎的な視線のなかでのみ成り立つ華である。
硬質で厳しい絵柄の句でありながら、一方、冬と登四郎の視線が触手のように男めがけて充満しているような気配もある。
「未だ冬去らず」には、男を早く春のあたたかさのなかに置いてやりたいという気づかいと、逆に、このまま冬のなかに置いてじっくり鑑賞したいという願望がいりまじっている気がするが、この句では、手を触れず、気付かれもせずにじっくり堪能したいという腐女子的な欲望が勝っているようだ。「未だ冬去らず」の冬が、分厚いガラスのように男と視線の主を隔てているからである。いや、視姦を堪能したいというよりは、触れることができないという事態へのマゾヒスティックな自足が冬景色へと放散され、清らかに昇華されていると取るべきか。
燕来てより艶めける橋の反り 能村登四郎『幻山水』
男なり少年なり同性愛的な何らかの要素なりが全く詠まれていない句を、むりやりいわゆる「BL読み」してしまうということは基本的にやらないことにしているのだが、それでもこの句には少々立ち止まってしまった。
べつに「燕」を年下の男性愛人の隠語として取ったわけではない(俳句の読み方としてその手の寓意はもっともつまらないものだろう)。燕は燕である。
しかし「橋の反り」が「艶め」いてしまったのは、その燕の到来によってであると、句のなかで両者の関係が明示されてしまっているのだ。
あえてこれを禁欲的に、ただの修辞と取れば、燕との照応によって「橋の反り」が異化され、不意に新鮮に見えたというだけのことに過ぎなくなるのだが、それで済ますには「艶めける」に色気がありすぎる。だいたい「反り」が怪しい。なぜこの橋は直線ではないのだ。ふしだらな。
この句の燕と反り橋の照応は、必ずしもアニミズムや擬人法、BL的な意味での擬人化といった回路を必要としていない。燕と反り橋それぞれがもたらす視覚的心理効果、形態と質感同士のみから成り立つ無機的なエロティシズムに、この句は足を踏み入れつつある。無論、一方が燕という紛れもない温血動物である以上、無機物性に特化した句ではない。「橋の反り」に潜んでいた艶めきは燕の一閃を得て、不意に顕在化し、生きたものとなったのだ。この無機物が不意にあらわにしてしまった艶めきは、擬人化的なものというよりは、身体を延長したところから得られる感覚的なものである。燕との出会いと、登四郎の視線によって、「橋の反り」はあたかも男性器のような充溢を不意に見せる。ただしそれは「橋の反り」が男根の隠喩だという意味ではない。ここには寓意性も隠喩性もない。そうした鈍重さを身軽にすりぬけることによって初めて、「橋の反り」は句中において艶めきを得ることができるのである。
月ありて若さを洗ふ冬の僧 能村登四郎『幻山水』
清冽であでやかな句で、なおかつ関心のありどころが極めて直接的に詠まれている。この辺になるともう鑑賞文の類も要らず、何も言わずに黙って句だけ見て、溜息をついていればそれでいいのではないかといった気になってくる。
燕と反り橋の句のように、視線や認識で意想外なエロスを引き出したという句では、一見ない。僧が冬の月のもと、その若い身を洗っている、その素材だけで充分に美しいという句に見えてしまうのだが、むしろこうした句にこそ措辞の精妙さが必要なのだ。
精妙さとはまず中七の「若さを洗ふ」である。普通に叙述すれば「若き身を洗ふ」としかならないところで、俳句に特有の微妙に飛躍した捉え方でありながら、それがしなやかで悪目立ちしていない。全体の語順、言葉の配列も非常に注意深くなされている。季語分類的にはこの句は「冬の月」の句となるはずなのだ。その「冬」と「月」を割って用いている。敢えて同じ題材による改悪例を出せば、この句は「冬の月僧若き身を洗ひけり」といった、ごくつまらない句になってしまう可能性もあったのである。この場合、「冬の月」や「若き身」は粗大な既製品であり、題材となった光景がどうであれ、句はほとんどただ事と化してしまう。
この句はそうではなく、「月ありて」と空や空間全体にゆきわたるものとして「月」を「あ」らしめ、そのなかに「若さを洗ふ」という、使いようによっては臭みを帯びかねないひねりによって対象を絞りこみ、最後に「冬の僧」と「僧」に帰着させる。ことさらに身とか裸とか言わなくともよいというよりも、そうした常識的な即物性をつきぬけたところに句の言葉が届いているのだ。「冬の僧」とは、単に「冬の月」を分解した結果「冬」がこちらについてしまったというものではない。「冬」という属性が総身に浸透した結果、ただの人ではない光や澄明さを帯びた、やや妖しげな存在なのである。
洗っているにもかかわらず、「水」の一語が句中に登場しないことにも注意すべきだろう。
「月ありて若さを洗ふ」という語順には、月でもって身を洗うというイメージが忍びこんでいるし、「身」ではなく「若さ」が洗われているとなれば、そこに現れるのは、月に透けるような非実体感と聖性を持ちつつも、確かに若々しい肌を持った、エロスの体現者のような「僧」なのである。
美男にて白丁雨と花まみれ 能村登四郎『有為の山』
「やすらひ傘 京都今宮神社にて安良居祭を見る」と前書きのある、九句ほどの連作のうちの一句。
安良居祭とはいかなるものかを『大辞林』から引くと以下のごとし。
《京都市北区の今宮神社で4月第2日曜日(もと陰暦3月10日)に行われる、疫病の神を鎮める祭礼。桜や椿で飾った風流傘を中心に、羯(かっ)鼓(こ)を持った少年と鬼が「やすらい花や」の囃子(はやし)詞(ことば)に合わせて踊りながら町を練る》白丁(はくちょう)は白布の狩衣を着た仕丁で、傘持、沓持、馬丁などを務める。
祭のなかでは白丁は脇役であるはずなのだが、登四郎はこれにも目をとめる。登四郎が見た日は雨が降っていたらしい。白丁は雨と落花にまみれている。そして、この白丁は「美男」である。目をとめないわけにはいくまい。
格助詞「にて」は場所、時、手段などいろいろなものを表すが、この句の場合は理由・原因である。美男だから雨と花にまみれているというのだ。むかし『ザ・ベスト』という雑誌が表紙で女性モデルに毎号、水をぶっかけていたが、同じ水をかけるにしても、あの暴力性はなく、こちらはごく静かな濡れ方。無理に水をかけたりしたら登四郎句の性質が変わってしまう。
この句には暴力性はないとはいえ、他の参加者も同じく「雨と花まみれ」になっているはずなのに、ことさら「美男」だけに目が行ってしまう選別性はある。そうした俗気をも雨や花と同じく「白」が吸い取り、鎮めている。
菊慈童さめし瞼も菊の中 能村登四郎『有為の山』
「菊慈童」は中国の伝説上の存在で、不老不死の童子。能の演目にもなっているが、観世流以外では枕慈童と呼ばれるらしい。ついでにいえば円地文子に『菊慈童』という長篇小説があり、老いと芸道を絡めた傑作だった。
この菊慈童、七百年も生きているにもかかわらず、見た目は少年のままなのである。
能の解説や事典などを検索すると、元は周の穆王に使えていたが、誤って王の枕を跨いでしまった咎により、酈縣山というところに流される。穆王が慈童を哀れんで普門品にある二句の偈を与え、慈童がこれを菊の葉に書きつけて毎朝唱えていたところ、そこから滴った露が不老長寿の霊薬となった。魏の文帝がその術を受け(周から三国時代になって慈童はまだ生きているのだ)、宴を催したと、大筋そういった話になっている。
一応、不老長寿の術を授かるめでたい話となっているのだが、それを授ける慈童の方は流刑先の深山で人間にはふつう味わうこともできない長年月にわたる孤独を閲している。単なる美少年の類ではなく、元は人でありながら、その限界を超えて長生することになってしまった神仙なのである。
句はそうした慈童を描くにあたり、覚醒と眠りが分かたれる目覚めの瞬間に、「瞼も菊の中」と身体性と植物特有の永生性を添わせることでもって、人の意識と神仙の法外な時間感覚を共存させている。菊の香気に埋もれた「瞼」の柔らかい生々しさが素晴らしい。
*
関悦史 記憶
押入や兄弟籠り春の汗
イソギンチャクとクマノミ 俺を食はぬお前
絵筆あり初夏少年ら肌撫ぜあふ
玩具種々青年に挿(い)り七変化
とめどなくあふれまつはりところてん
※ところてん=性器に触れない前立腺への刺激のみによる射精
六月の相棒不在なる一日
寝る子らの膝すべりあひ光琳忌
美少年に水かけて虹生みにけり
炎帝の性具のやうに飛行船
二少年の声記憶せり夏館
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