俳句の自然 子規への遡行 62
橋本 直
初出『若竹』2016年2月号 (一部改変がある)
引き続き、子規の俳句分類「丙号」の句末の「止め」について検討する。次は「を」である。分類には「を(最終字)」と題され、十九句所収。そのうち九句が終助詞の「ものを」の句。名詞に続くものが八句。活用語の連体形につづくものが二句である。数例あげると、
関守の宿を水鶏にとふものを はせを
行く秋や二度咲く花もあるものを 右幸
銭矢立空に三五とよふ声を 嵐雪
若水や冬は薬に結ひしを 野坡
このうち、一句目の芭蕉句の下五は、正しくは「とはふもの」である。子規が典拠とした『ゆきまるけ』は誤伝で、このままでは切れもなく平句調になってしまう。「ものを」は「~のになあ、~だなあ」などの意味で、強い詠嘆をあらわす表現であり、用例としては、百人一首六十五番、相模の歌「恨みわびほさぬ袖だにあるものを恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ」がよく知られていよう。この歌の上の句末で使われていることからも分かるとおり、「ものを」は主要な切れ字ではないけれども強い詠嘆であるがゆえに、俳句で使うと下の句を呼び込むような表現ともなってしまう。そのためか、現代の俳句では、これを句末に用いるのはまれであるように思われる。確認した範囲では子規も一句も詠んでいない。なお、この野坡の句は辞世とされる。
次に「か止」。二十六句あり、子規はこれを「(名詞ヨリツヾク)がナシ」(七句)、「最終字」(十二句)、「(動詞ヨリツヾク)除るか・がナシ」(七句)の三つに分けて分類している。この分類中では、どういう意図かはっきりしないが、変則的なものがあり、
長き夜や若きは若き夢見るか 百明
いたいけな君や小松にひかるゝか 真蘇
これらのように、動詞のうち語尾が「る」になるものは「最終字」の方へ分類されている。また、前回に指摘したのと同様で、この「(動詞ヨリツヾク)」の分類も、動詞の後に助詞・助動詞を伴い「か」に接続するものが分類されているので、現在の文法で考えると状況が異なる。これも数句例をあげると、
箒木の育立やそこら掃とてか 和各
鶯は高い梢はきらひてか 涼花
時鳥加茂はこさじと誓ひしか 宰馬
このように、接続助詞「て」や過去の助動詞「き」の連体形「し」があって動詞に接続している。
なお、文法的には句末の「か」は終助詞であり、意味用法的には、疑問・反語・詠嘆・他者への願望がありうる。また、「~か~か」の形で、選択・並立の疑問の形にもなる。この観点でいうと、先に挙げた五句をはじめ、分類された句は総じて疑問の形で詠嘆のニュアンスをこめているように思われる。名詞に続く形の句でも、例えば
須磨の秋の風のしみたる帆筵か 鬼貫
のように、同様である。他に、
青柳や我大君の草か木か 蕪村
子規声はよかろかわるかろか 貝錦
これらは選択・並立の疑問の形である。
ところで、この句末の「か」については、子規も習作期から晩年に至るまで、二十四句詠んでいる。
※雪の跡さては酒屋か豆腐屋か 明治22
※白魚かそも〱氷のかげなるか 25
時鳥御目はさめて候か 25
その角を蔦にからめてなく鹿か 25
蟷螂も刀豆の実にくみつくか 25
帰る雁朧に奈良や見ゆらんか 26
闇の夜を鵜飼の妻の泣く頃か 26
草餅や実業団子召すまいか 27
喃お僧初瓜一つめすまいか 27
※山茶花に鉦鳴らす庵の尼か僧か 27
蓬莱に俳句の神を祭らんか 29
※今日か明日か炉を塞がうかどうせうか 29
※戸敲くは水鶏か八百屋か豆腐屋か 29
筍を剝いて発句を題せんか 29
※夜明から秋立つことかそのことか 29
水仙の露に眼の塵を洗はんか 29
※木の実くふ我が前の世は猿か鳥か 30
※鍋焼を待たんかいもを喰はんか 30
鯨突きに日本海へ行く舟か 30
合点ぢや萩のうねりの其事か 31
我心猫にうつりてうかるゝか 32
※そもさんか卯の花か達磨の骨なるか 33
※歌ふて曰く納豆売らんか詩売らんか 34
畑モアリ百合ナド咲イテ島ユタカ 35
特徴的なのは、※印をつけた句で、二十四句中十句が「か」をもちいた選択・並立の形である。この場合、軽快な口語調になり、内容も俗っぽくなるように思う。その意味では、明治二十七年の「写生」導入以降もこの詠み方をしているのは注目して良いだろう。一般に子規は写生一辺倒と思われがちだが、必ずしもそうではないことがこのようなところからもうかがえる。
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