BLな俳句 第19回
関 悦史
関 悦史
『ふらんす堂通信』第154号より転載
黄泉も又暖かならむ君ありて 能村登四郎『有為の山』
「相馬遷子逝く」の前書きを持つ四句のうちの一句目で、この「君」とは相馬遷子のこと。
相馬遷子は長野の医師で俳人。登四郎と同じく水原秋櫻子に師事した「馬酔木」同人で、石田波郷の「鶴」同人でもあった。〈冬麗の微塵となりて去らんとす〉が辞世の句として知られる。
この頃、登四郎自身も胃潰瘍で手術、入院しており、句集のなかではこの四句後に退院したらしい句〈人の世に戻りての息また白し〉が出てくる。遷子が死んだのが一九七六年一月十九日。登四郎が退院したのが二月なので、病床から詠まれた追悼句であったようだ。
相当に気がめいる状況での訃報だったことになるが、句の言葉は美しい。言葉にしていく際に、認識を変えていくことによってしか得られない豊かさを実現することが詩的言語の役割なので、この句もその一例であるといえる。
寒いさかりであるはずの一月に「冬麗の微塵」となって消えた遷子に寄り添うに、「黄泉も又暖かならむ」と暖かさをもってし、その理由が「君」がいるからだという。ただ故人を慰めているというよりは、もっと踏み込んで、登四郎自身も遷子のいる黄泉にいずれ行くであろうことを思い、そこでの清らかな再会を期待しているようである。
『蒼穹のファフナー』というアニメが十年以上前にあり、そこでは少年たちの肉体が結晶化し、砕け散って死ぬという特異な死に方のビジョンが示されていた。
遷子の「冬麗の微塵」や、それを介しての登四郎との想像上の再会のビジョンに少し通じるところがあるが、アニメ作品での破砕死が、とりかえしのつかない痛切な出来事の表象であったのに比べ、遷子の「冬麗の微塵」は浄化の色が濃い。その浄化され、消滅した遷子に、ふたたび人の身体のイメージを取り戻させるのが登四郎の句で、光そのものになりはてたような遷子に「君」として認知できるまとまりを与え、暖かい黄泉へと誘いこむ。かなり親密な、人臭い幸福さのイメージにまで引き戻されているあたり、残された登四郎側の、まだ整理がつききるには程遠い心情というふうにも取れる。
なお、この連作四句の二句目には〈死顔の紅顔信ず冬つばき〉という句が並ぶ。
「紅顔」といえばまず「美少年」に結びつく形容だが、実年齢がいくつであれ、登四郎にとって遷子は「紅顔」であった、というより「冬つばき」のような「紅顔」でなければならない存在だったのだろう。「信ず」の一語が、登四郎のそうした思いを担っている。
男壮りのすぎし気配の雲の峯 能村登四郎『冬の音楽』
「男壮りのすぎし」は自分のこととも、「雲の峯」のこととも取れる。
伝記的にはこの句が詠まれた一九七九年には登四郎は六八歳を迎えていることもあり、まずは前者と取りたくなる。盛んな雲の峯を見上げながら、自分にもかつてあのような時期があったと、やや淋しく懐かしんでいる自愛の風情となる。ただし、そう取った場合でも、ありきたりの回想や郷愁の句とはやや異なる。自分の体験ではなく、身体に執しているからであり、またその身体への顧慮も具体的な体の部分などではなくて、精気において捉えられているからである。
この場合、男壮りのすぎたらしい語り手の身体を、精気みなぎる雲の峯が圧倒するような力関係となる。BL用語でいえば「下剋上」風ということにもなる。
強いて性愛的なものに結びつけなくともよい、自分の身の衰えと自然の運行を取り合わせて対照させただけの句ではないかと取ることももちろんできるのだが、例えば芭蕉の〈この秋は何で年寄る雲に鳥〉が直截に「年寄る」という認識を詠んでいるのと見比べるとき、加齢からすらもまず「男壮り」なる語を引き出し、しかもそれがすぎたことすらも断定はせず「気配」なる語と結びつけてしまうあたり、登四郎句ならではの色気へと大きく重心が移っていることは隠しようもない事実なのだ。
衰えきっているわけではない。いまだ、さかりをすぎた「気配」のうちに留まる身体は「雲の峯」に迫られることで、まだふんだんに残る色香を引き出されもするのである。この「雲の峯」は芭蕉句の「雲に鳥」のような、老いをつきつける冷厳な自然の運行といったことには主眼がない。「男壮りのすぎ」た身体との間に照り、艶を組織するために現れているのである。まさに男壮りであり、羨望をそそる「雲の峯」に迫られるという力関係を形成することになるのであれば、「男壮りのすぎ」ることも決して悪くはない。そうした理路がひそんでいることが、この句の自愛の雰囲気につながるのである。
では逆に「男壮りのすぎし気配」が自分ではなく、「雲の峯」にかかる形容であるとしたらどうか。
この場合も「男壮り」は決して「すぎ」きったわけではない。むしろ、わずかな衰えに着目されることで、まだまださかんであるという面のほうが強調されることになる。何といっても季語「雲の峯」なのだ。
壮年たるべき「雲の峯」に兆したわずかな衰えは、圧倒されるような一方的な関係から、親しく手をさしのべられるような関係へと力の配分を変えてしまう。この場合も、衰えた「気配」が語り手と雲の峯を、より親密な関係へと引き込んでしまうのだ。
そう取ると隠微な関係性ばかりを探った句と見えてしまいかねないが、衰えているのが語り手と取るにしても「雲の峯」と取るにしても、全ては夏のまばゆいばかりの空気のなかでのことある。
高階に青年と見る涼夜景 能村登四郎『冬の音楽』
「高階」は念のための辞書を引くと、姓の高階氏と、あとは地名くらいしか出てこないのだが、俳句では単なる高層階の意味で使われることが多いようだ。
その意味であれば句意は明瞭で、高層階から涼しい夜に青年と夜景を見ているという、それだけのこととなる。
それだけのこととはいうものの、やはり何か違和感のようなものは残る。登場人物としては、語り手と「青年」の二人だけしかいないらしい。女性と見ているならばともかく、若い男性と二人きりで夜景を眺めるという事態がそうあるものなのか。
いや、そういう事態は、べつにあってもいい。
しかしそれが「友人」でも「部下」でもなく、そうした社会的関係から引きはがされたただの「青年」として現れたとき、わずかながら登四郎句特有の色気がさしこんでくるのである。「青年」とはまず何よりも外見上、実年齢上の若さを示す語であり、そこからは、語り手といかなる関係を持っているとも知ることのできない、若々しい身体のみが立ち現れるのだ。二人きりで夜景を見るというドラマじみた状況が、相手を「青年」にしてしまったというべきか。
その関係の不明瞭さはそれとして放置したまま、二人は地上を離れた高みに涼しく夜景を愛でている。
人の身のままでありながら、半ば天界に入っているような風情でもある。
ことによったらこの青年と語り手の間には何の関係もなく、たまたまマンションのベランダに夜景を見に出てみたら、別室からも知らない若い男が出てきていて、青年のほうは全く気付いてすらいないのを、妄想的に句のなかに巻き込んでしまったといった程度のことなのかもしれないのだが。
曙色となり若者の初湯出づ 能村登四郎『冬の音楽』
これまでに取り上げた登四郎句のなかに〈夕焼けや濡れ緊りたる海士の褌〉とか、〈シヤワー浴ぶ若き火照りの身をもがき〉とか、〈月ありて若さを洗ふ冬の僧〉というものがあり、裸詣りの一連もあった。
海であれ、シャワーであれ、行水であれ、男の体が濡れたら詠まずにはいられなくなるようである。
さてここでは「初湯」である。
今まで水は何度も出てきたが、意外なことに、温かい風呂というのは初めてなのではないか。
「褌」とか「裸」とかいったフェティッシュで断片的な肉体の捉え方ではなく、「若者」というキャラクター付けで、一人の人間まるごとのまま描かれるケースも、水と絡めた句においては、あまり見られなかったのではないか。
温まって初湯からその身を出した「若者」は、「赤く」でも「ピンク」でもなく、「曙色」となる。
これは温まって赤らんだ皮膚の形容ではなく、大浴場における朝湯で、浴槽から出るなり、若者の身が、射し入る朝日に包まれ、染め上げられたということなのかもしれない。「曙色」がただの比喩的な言い方であった場合、「初湯」と少々近すぎ、どちらもある時間の枠の初めをあらわす言葉であることから、「若者」の若々しさとまでハレーションを起こしてしまって、一句全体の像がややぼやけ気味になる。
そう取ったとしても、この句が若々しく、めでたいイメージが並べられることから成っているという事情にはさほど変わりがない。湯のなかにたゆたって、その屈折率ゆえにぼやけていた「若者」が、不意に立ちあがり、足を踏みしめた、はっきりした肉体として、その全てを視点人物の前にさらした、液体から固体に相変化したかのような瞬間は、初日そのもののように輝かしい。
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