俳句の自然 子規への遡行 63
橋本 直
初出『若竹』2016年4月号 (一部改変がある)
前回、前々回の内容に一部重複があった。お詫び申し上げる。引き続き子規の俳句分類「丙号」について検討を続ける。前回の末で、子規は習作期から晩年に至るまで、句末を「か」で止める句を二十四句詠んでおり、そのうち「~か~か」で並立になる句が十句あることを指摘したが、書ききれなかった点を少し補足しておく。以下、子規が写生を称えるきっかけとなった中村不折と出会った明治二十七年以降の八句だけ再度引用する。
山茶花に鉦鳴らす庵の尼か僧か 明治27
今日か明日か炉を塞がうかどうせうか 29
戸敲くは水鶏か八百屋か豆腐屋か 29
夜明から秋立つことかそのことか 29
木の実くふ我が前の世は猿か鳥か 30
鍋焼を待たんかいもを喰はんか 30
そもさんか卯の花か達磨の骨なるか 33
歌ふて曰く納豆売らんか詩売らんか 34
このように、いずれの句も、つい口をついて出た内容を軽い調子で詠んでいるようであり、晩年までそのような詠み方を続けていたことがわかる。俳句と言うよりも、会話の延長や、洒落や語呂合わせを生み出す時の気分に近い印象を持つ。これは、明らかにいわゆる俳句でいうところの写生のような、対象物を描写することに心を砕く創作態度ではない。子規は自ら主張する文学としての俳句においては確かに写生を強調していたけれども、実作においては写生一辺倒ではなかったことがよくわかる。
さて、「か」止めの次は「の」である。九句が分類されている。そのうち八句までが、名詞につく主格や連体修飾語をつくる格助詞の「の」を倒置にして句末においた形である。例を挙げると、
宿からん花にくれなば貫之の 素堂
つもりぬる雪は夢かも春の夜の 素外
一句目は「貫之の宿からん」の倒置であり、二句目は「春の夜の夢かも」の倒置であろう。他もこの調子であるが、一句ある例外は、
そよりともせいて秋立つ事かいの 鬼貫
この句末は、感動や確かめ、念押しなどの意味を持つ終助詞「かい」「の」が連語となっている「かいの」である。それらしい風の吹くこともなくやってきた立秋をつぶやくような口語調で詠んだものであろう。
次は「や(最終字)」である。十三句分類されている。しかし、五十八回で言及したように、子規は「切れ」の分類においても「や」を分類しており、その下五に使われたことで分類された二十三句中の二十一句までが、句末の「や」であった。今回のものと比べて、両者に句の重複はみられないが、分類のカテゴリーが違うものの、分けられた「や」に文法上の差があるわけではないので、ここで子規がこのように分けていて、かつ、重複の句がない理由はよくわからない。おそらく分類の時期と典拠が異なるのでだろう。数句あげておく。なお、五十八回と重複する文法的説明等はここでは省略する。
稲妻の何につかへて折しそや 蛙聲
顔見せの難波の夜は夢なれや 太祇
次に「て(最終字)」。十四句分類されている。数句例をあげると、
月見はや紫式部妻にして 蚊足
辛崎の松は花より朧にて はせを
鶯の鳴やちいさき口あけて 蕪村
口切や五山衆なんどほのめきて 同
現代の俳句で「て止め」は、余韻を残すテクニックというより、短歌を半ばで中断したようなどこか中途半端な表現と感じられることで積極的には用いられない傾向にあるように思う。たしかに、子規の分類でも一句目に引いた句のようなものが多く、その点は否めないけれども、引用二句目以降の芭蕉や蕪村の句をみると、そう緩くはないだろう。
次に「も止」。これは数が多く、下位分類されていて、①「二も字以上入」二十句、②「にも 除数も字入」十句、③「(へも)(とも)除二も」十五句、④「(カモ)(ソモ)(ノモ)(クモ)(テモ)」十三句、」⑤「(形容詞も)(程も)(からも)(迄も)(よりも)(動詞も)(字も)」十二句、⑥「除二も字」二十句となっていて、合計一〇〇句が収集されている。数が多かったためか、かなり具体的に用語で分けてあるので、特に説明は不要かと思うが、「も」の分類であったことでしゃれたものか、子規は「文字」を「も字」と表記している。それぞれから一句ずつ例を引く。
①ひる顔や畠に人も旅人も 孤山
②菊の香や一つ葉をかく手先にも 太祇
③蠟八や痩は佛に似たれども 支考
④鶏頭や花は嵐の明日みても 梅者
⑤老の春初鼻毛抜く今からも 素堂
⑥霜の菊杖かなけれは起ふしも 嵐雪
③の「蠟八」は「臘八会(成道会)」。仏が句行の末に悟りを開いた日の法要であり、痩せている所だけ仏に似ているという自虐による滑稽句である。句末語の分類は以上である。次回から呼応関係の分類に移る。
山茶花に鉦鳴らす庵の尼か僧か 明治27
今日か明日か炉を塞がうかどうせうか 29
戸敲くは水鶏か八百屋か豆腐屋か 29
夜明から秋立つことかそのことか 29
木の実くふ我が前の世は猿か鳥か 30
鍋焼を待たんかいもを喰はんか 30
そもさんか卯の花か達磨の骨なるか 33
歌ふて曰く納豆売らんか詩売らんか 34
このように、いずれの句も、つい口をついて出た内容を軽い調子で詠んでいるようであり、晩年までそのような詠み方を続けていたことがわかる。俳句と言うよりも、会話の延長や、洒落や語呂合わせを生み出す時の気分に近い印象を持つ。これは、明らかにいわゆる俳句でいうところの写生のような、対象物を描写することに心を砕く創作態度ではない。子規は自ら主張する文学としての俳句においては確かに写生を強調していたけれども、実作においては写生一辺倒ではなかったことがよくわかる。
さて、「か」止めの次は「の」である。九句が分類されている。そのうち八句までが、名詞につく主格や連体修飾語をつくる格助詞の「の」を倒置にして句末においた形である。例を挙げると、
宿からん花にくれなば貫之の 素堂
つもりぬる雪は夢かも春の夜の 素外
一句目は「貫之の宿からん」の倒置であり、二句目は「春の夜の夢かも」の倒置であろう。他もこの調子であるが、一句ある例外は、
そよりともせいて秋立つ事かいの 鬼貫
この句末は、感動や確かめ、念押しなどの意味を持つ終助詞「かい」「の」が連語となっている「かいの」である。それらしい風の吹くこともなくやってきた立秋をつぶやくような口語調で詠んだものであろう。
次は「や(最終字)」である。十三句分類されている。しかし、五十八回で言及したように、子規は「切れ」の分類においても「や」を分類しており、その下五に使われたことで分類された二十三句中の二十一句までが、句末の「や」であった。今回のものと比べて、両者に句の重複はみられないが、分類のカテゴリーが違うものの、分けられた「や」に文法上の差があるわけではないので、ここで子規がこのように分けていて、かつ、重複の句がない理由はよくわからない。おそらく分類の時期と典拠が異なるのでだろう。数句あげておく。なお、五十八回と重複する文法的説明等はここでは省略する。
稲妻の何につかへて折しそや 蛙聲
顔見せの難波の夜は夢なれや 太祇
次に「て(最終字)」。十四句分類されている。数句例をあげると、
月見はや紫式部妻にして 蚊足
辛崎の松は花より朧にて はせを
鶯の鳴やちいさき口あけて 蕪村
口切や五山衆なんどほのめきて 同
現代の俳句で「て止め」は、余韻を残すテクニックというより、短歌を半ばで中断したようなどこか中途半端な表現と感じられることで積極的には用いられない傾向にあるように思う。たしかに、子規の分類でも一句目に引いた句のようなものが多く、その点は否めないけれども、引用二句目以降の芭蕉や蕪村の句をみると、そう緩くはないだろう。
次に「も止」。これは数が多く、下位分類されていて、①「二も字以上入」二十句、②「にも 除数も字入」十句、③「(へも)(とも)除二も」十五句、④「(カモ)(ソモ)(ノモ)(クモ)(テモ)」十三句、」⑤「(形容詞も)(程も)(からも)(迄も)(よりも)(動詞も)(字も)」十二句、⑥「除二も字」二十句となっていて、合計一〇〇句が収集されている。数が多かったためか、かなり具体的に用語で分けてあるので、特に説明は不要かと思うが、「も」の分類であったことでしゃれたものか、子規は「文字」を「も字」と表記している。それぞれから一句ずつ例を引く。
①ひる顔や畠に人も旅人も 孤山
②菊の香や一つ葉をかく手先にも 太祇
③蠟八や痩は佛に似たれども 支考
④鶏頭や花は嵐の明日みても 梅者
⑤老の春初鼻毛抜く今からも 素堂
⑥霜の菊杖かなけれは起ふしも 嵐雪
③の「蠟八」は「臘八会(成道会)」。仏が句行の末に悟りを開いた日の法要であり、痩せている所だけ仏に似ているという自虐による滑稽句である。句末語の分類は以上である。次回から呼応関係の分類に移る。
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