【空へゆく階段】№1
詩情の復権
田中裕明
「俳句研究」2000年8月号掲載
近所の水無瀬川に螢が飛ぶ時期はごく短い。今年は六月はじめの十日間くらい。
その或る夜、子どもを連れて河原まで出ました。ここ数年で螢の数も少なくなったといいます。それでも数えきれないほどの青い光が、中学校の前の橋から下流にかけて見えました。
じっとその光を見つめていると、王朝時代の詩人たちが螢火をもの思う人の魂だと信じたことが、ごく自然なことのように思えます。
また、かぼそい光そのものが、俳句という小さな詩を象徴しているようにも思えました。
ああ、草かげで明滅する日本の短詩よ。
*
「ゆう」という俳句雑誌を創刊して半年になります。創刊のことばに次のように書きました。
俳誌「ゆう」を創刊します。
波多野爽波先生の目指した季語の本意と写生を軸に、日本の伝統詩としての俳句を作ってゆきたいと考えています。
そこで大切にしたいのは詩情ということ。
孤独な創作の産物である俳句が、人に伝わるのも詩情がそこにあるからです。
いまあらためて、俳句とは何だろう、俳句にとって自分とは何だろう、そう問いかけてみることを私自身も、また皆さんにもお願いしたいと思います。現代の社会の一員として生きていると同時に、詩人として生きているのですから。
そして、この「ゆう」が二十世紀の俳句と二十一世紀の俳句を結ぶ架橋になればと考えます。
新雑誌をはじめて自分の俳句が変わったかと自問してみると、どうもおぼつかない。
眼高手低の嘆きはあいかわらずです。
とは言え、詩情を大切にすることによって、俳句の詩としての復権を果たしたいという気持もなんらかわりません。
歴史的なものの見方、広い空間的なものの見方で、小さなこの詩を見つめていきたいと思います。
≫解題:対中いずみ
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