【空へゆく階段】№2
わが冬蔵さん
田中裕明
「宇佐美魚目傘寿記念文集」(2005年)掲載
「青」で俳句の勉強を始めた頃、大きな大会では、宇佐美魚目さん、大峯あきらさんが来られて、その話を聞くのが楽しみでした。俳句の話にはちがいありませんが、それよりも広く人間と芸術についての話を聞く思いがしました。こちらもまだ学生だから、全身耳にして、二人の顔を見つめていたのを覚えています。
あるとき、会のあと、魚目さんの席の前に坐ることがあって、最近どんな風に俳句を作っているかと尋ねられました。俳句を作ること、たくさん作ることが楽しくてたまらない時分だったので、そのように答えました。魚目さんは、私の顔から少し視線をはずして、もうじき俳句を作る道がつらく厳しいものになる、そうなってからが正念場だと強く言われました。遠いところを見ている目でした。
句集も、まず宇佐美魚目さんの『秋収冬蔵』と大峯あきらさんの『紺碧の鐘』を読んで勉強しました。爽波先生の『湯呑』はまだ上木される前です。俳句を始めたころに読んだ句集は、やはり独特の思いがあります。この二冊は私にとって特別な意味を持っているようです。魚目さんも「青」に書かれた文章で、『秋収冬蔵』のことを冬蔵さん、『天地存問』のことをお問さんと人呼ぶように親しげに呼ぶのだと照れていました。それだけ思いがこもっているということでしょう。
『秋収冬蔵』からいくつかの作品について触れていきます。
朧夜を泪のごとく湧きしえび
泪のごとくが、魚目さん独特の比喩だと思われます。大峯あきらさんが自作の「子規読めばまた力わく」という句を示して、冗談に、魚目なら「子規読めばまた涙わく」というところだと言われたことを思い出します。
あかあかと天地の間の雛納
自解の文章の中で香月泰男のシベリヤ・シリーズと響きあう作品であることが書かれていました。雛納という季語が強い衝撃を持っています。
良寛の天といふ字や蕨出づ
夏闌けて硯やすらふ水の中
書家宇佐美魚目の横顔のあらわれた作。ゆったりとした気息が二句ともに好もしい。
夏柳風に吹き割れ古人見ゆ
魚目さんのはなしに登場する芭蕉は、つねに「芭蕉さん」で、人としての陰翳を備えていて魅力的です。考えてみると、古人に語りかけるその語り口に惹かれるのだということがわかります。
冷ゆる戸を出でてはさくら下苅に
宵闇や墓へ置ききし海の砂
あたりの景を叙することを一切省略して、一気に詩の核心に迫る速度があります。そこに叙情が生まれています。
巌あれば巖に手をつき晩稲苅
しぐれては居(ゐ)のまぎれては畝づくり
作者のねんごろな思いのあふれた作品。読者をもやさしく包んでくれます。
馬もまた歯より衰ふ雪へ雪
負ふ柴も白くうごくや雪の中
『秋収冬蔵』には、雪の句がたくさんあります。木曾、吉野、京、伊吹山、賤ヶ嶽など現代の歌枕と呼びたい地名が詠みこまれています。その中でも、きわだって雪そのものの描かれた作品が気持にしっくりと落ちつきます。
男に男らしさ八方氷る木曾
落日を境に氷り鷹ヶ峯
現代の歌枕とさきに書きましたが、魚目俳句の土地の名前は、過去と現在が二重写しになるという、歌枕本来のはたらきをしています。
悼むとは湯気立てて松見ることか
読み込んでいくと、呼吸が落ち着いていくのが感じられます。やはり『秋収冬蔵』は私にとっても冬蔵さんと呼びかけたい句集です。
当時、「青」の新人たちの「がきの会」で稽古会と称する合宿のときなど魚目さんにゲストとしてきていただき、じっくりと話を聞くこともありました。
そのときの印象に残っている言葉は、
「人の句を直す、俳句修繕屋にはなりたくないなあ」
「俳句は、一字一字あまり正確には覚えてないんだよ」
また、別の機会に魚目さんが吉本伊智朗さんに、「若い頃はもっと、会えたけれどなあ、年を取ったらもっと会えるようになると思っていたけどなあ。」と嘆いていたのを思い出します。今になると、私も友というものについて身にしみて感じますし、それが人の本然の嘆きだということも理解できます。
最後にもうひとつ。
奈良であった会の後、「僕らは、ただの鑑賞者でいることはできない。たとえ俳句のように小さなものでも自分で作りたいという希求がある。」と言われたのを覚えています。この言葉も、聞いたときにはそれほど思わなくて、後々になって深くうなずかされるものです。
≫解題:対中いずみ
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