2019-04-07

【空へゆく階段】№9 雑詠鑑賞 田中裕明

【空へゆく階段】№9
雑詠鑑賞

田中裕明
「青」1982年4月号・掲載

単純な対比というものを考えるならば、楽譜は作者の原稿に、指揮者あるいは演奏家は編集者あるいは装釘者に、そして聴衆が読者にたとえられる。突然音楽の話を持ちだしたのは、久しぶりに小林秀雄の「モーツァルト」を読みかえして、二、三日のちにレコードで四〇番と四一番を聴き不思議な感情にとらえられたからである。もちろんその感情というものはここでの本題にはまったく関わりがない。少し無駄口をたたけば、レコードで音楽を聞くことを嫌っていた人があって、気に入った役者の芝居なら何度見ても飽きることがないけれども、レコードは同じ映画を何度見ても違ったことを見せてくれないから二度は見ないのと同じ理由で御免こうむると言う。では何故わたしたちは同じ本を繰りかえし読むのだろうか。そして違った読み方、違ったことをその度に読む。

話をもとに戻せば、音楽は聴くものであって読むものではない。すくなくとも現在のところはそうであって、楽譜を眺めても音楽を聴いたときと同じ感動を味わうことはない。かつては詩も(そのころ文学と言えば詩を意味した)読者は存在せず聴き手がいて、作り手でありまた語り手であった詩人のまわりに坐った。音楽と詩の中間にあるものが演劇であって、わたしたちは芝居を見にゆくし、また戯曲を読むこともある。その二つのことがらは全くべつのことであると言えて、脚色という手が加えられたことを言う必要もない。

媒介者というものを考えてみれば、音楽では指揮者と演奏家が作曲家と聴衆の間のそれであるし、演劇では演出家あるいは俳優がそれに当たると言える。いずれものその分野で重要なものとされていて、わたしたちはベートーヴェンやモーツァルトを聴くと言わずにオザワやベームを聴くと言うことがある。文学の世界では編集者や本づくりに携わる人が媒介者であるけれども、わたしたちはそれほどその存在に注意することはない。

俳句が活字になじみにくいというのは単なる偏見かもしれなくて、俳句と活字のつきあいもずいぶん古くまで溯ることが可能なのだが、短冊を掛けてある部屋に入るとまさに俳句が掛けてあるという感じがする。そのときのわたしたちを俳句読者と呼ぶことはできなくて、それよりもずっと作者に近い存在である筈である。

近代的読者の誕生とは作者と読者の分離を意味する。分離してしまえばその間に何かが介在するのが当然で、それをエディターシップと呼んでもかまわないが、それが注意されないのはオリジナリティーを尊重しすぎるわたしたちの性癖いんその原因があるのかもしれない。もし俳句が活字になじみにくいとすればそれは、俳句が固定した形を嫌うからではないか。いくつかの原本で異なる形として伝わる古俳諧は、テクストの改変作用を示すのではなく俳句本来の流動性を示しているように思える。これは明治以後も事情は変わらない。

近代読者はエディターシップを意識するものだと言えば、音楽や演劇におけるエディターシップはそれよりも重要に考えられてきたので、聴覚から視覚への進化論はつじつまが合わなくなって比較芸術のべつの方法をさがさねばならない。

吾が息は廃屋の前烏瓜  琢哉

ロジック的思考とレトリック的思考という言葉は三木清が「レトリックの精神」という文章の中で使っていたもので、ロジックとロゴスとのそしてレトリックとパトスとの対応が面白く思われるけれども、そのロゴスなりパトスなりがいつも相手のものであるところがレトリックの意味をあまりに狭めて使っているように感じられる。レトリックが相手の人間性の理解と同義ならば、またレトリック的思考によってはじめて真に読者に対する呼びかけが可能となると言うならば、何故自己に対して語りかけるようなレトリック的思考あるいは読者のレトリックを想定して一元的なるものを実現しないのだろうか。

俳句は私小説であるという命題を以前は納得することができなかったが、自己を知ってそしてそれを表出することがいかに困難であるかに気づいた人のかなわぬ夢を言う言葉だと思えば承服できないこともない。つまり俳句において自我の概念は中途半端なままにひとつのスタイルをとってしまったのである。


解題:対中いずみ

0 comments: