2019-05-12

【句集を読む】異形の傾(かぶ)きと軋み  佐藤りえ『景色』を読む 西原天気

【句集を読む】
異形の傾(かぶ)きと軋み
佐藤りえ景色』を読む

西原天気


いわゆる俳句らしい俳句、メインストリーム的な俳句と、措定っぽく、オーソドキシーを仮想することにあまり意味がなく、また危ういことは承知の上で、そうした「俳句」があるとして、いや、まあ、あるだろう、カジュアルにいえば、よく目にする俳句、優劣好悪は別にして、俳句と聞いて世間一般が思い浮かべるような俳句。

一方、そこから遠い位置にある句群はたしかあって、佐藤りえ句集『景色』も、そのひとつ。

一読、この句集は、俳句と思わないほうがいい、といった感想を軽はずみにも抱いてしまったそこに、価値判断の意味合いはない(つまり「これは俳句ではない」といった排他でもなく「俳句を超えたもの」といった礼賛でもない)。

反=俳句、非=俳句とまでは言わないにしても、冒頭に述べた「俳句らしい俳句」からは距離を置いた句群との感想をもったのは、ひとつには、無季の句を少なからず含み、かつ、それらが有季の句に増して秀逸であること。

あるいは、「科学的」な素材。

アストロノート蒟蒻を食ふ訓練  佐藤りえ(以下同)

西方のあれは非破壊検査光

あるいは、マボロシのような美しいシーン。

バスに乗るイソギンチャクのよい睡り

またバスに乗る透明な火を抱いて

あるいは、批評的/メタ俳句的な一句。

ここへ来て滝と呼ばれてゐる水よ

さらには、異形的な事物。

人工を恥ぢて人工知能泣く

人間に書けない文字や未草

かはほりに歌ををしへる女のありき

いずれも、人間の範疇と非=人間の範疇のはざま/境界/閾を思わせる。

人の道すれすれに行く傾(かぶ)きの覚悟は情事の最中にも発揮される。

望月に小便かかる体位かな

雅な季語「望月」へのこの態度・この所業にはちょっとにんまりしてしまう(悪いって素敵ですね)。

つらつらと挙げてきた句群、「俳句の国」から逃亡/脱出するかのような句群を、私自身、たいそう楽しんだのですが、きっと、この句集は、たくさんの善良な俳句(俳句のオーソドキシー)とは、遠い関係でいる、というより、それらとの関係において摩擦や軋みを生じ続けるのだろうな、と思います。

露霜や此の世はよその家ばかり

作者にはこれからもストレンジャーであり続けてほしいと、読者の身勝手として思ったことですよ。


佐藤りえ『景色』2018年11月/六花書林

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