【週俳4月の俳句を読む】
相和丘陵にて
瀬戸正洋
石田波郷は「続俳句愛憎」に、
近頃「生活真実主義」といふやうな俳句が方々に論議されかけてからさういふ俳句に作用された形で、本の累積から下積みになつた葛西善藏全集を出してこの二三ヶ月愛読した。と書いている。それで気になったという訳ではないが、私も葛西善藏を読んでみようと思った。文庫本ぐらいなら持っているだろうと思って捜したが見つからなかった。そのかわり、筑摩現代文学大系28「宇野浩二、葛西善藏、牧野信一集」が出てきた。背表紙は白色となり文字は判読不明である。牧野信一が読みたくて手に入れたものだと思う。「哀しき父」「子をつれて」「馬糞石」「椎の若葉」「湖畔手記」「酔狂者の独白」の、六篇が収められている。「年譜」は、榎本隆司。「人と文学」は、臼井吉見が執筆している。「月報62」には、木佐木勝が「『風狂の父』葛西善藏」を書いている。また、月報付録の「現代文学事典」には、「新興俳句」が取り上げられている。
葛西善藏が亡くなったのは昭和三年である。昭和三年といえば、石田波郷は十五歳。大友柳太朗に勧められて俳句を作りはじめた年であった。
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根のやうなものがくるりと薄氷に 金丸和代
くるりとは、「かるく一回転するさま、ものを包んだりとり除いたりするさま、まるく愛らしいさま、急にようすが変化するさま」である。ようするに「さま」なのである。それは「根」ではない。「のようなもの」なのである。氷のしたの根のようなものがかるく一回転して薄氷にふれる。薄氷は壊れるのかも知れない。薄氷にとっては余計なことなのかも知れない、薄氷は何も変わらないのかも知れない。
室内墓所の列ヒヤシンスの列 金丸和代
納骨式なのかも知れない。墓参なのかも知れない。季節の花が並べられている。ただ、それだけのことなのである。
私は墓に入らなくてもかまわないと思っている。死後のことなど信じていない。それにしても、ヒヤシンスは、どのように並べられているのだろうか。それだけが気になるのである。
ドライヤーで乾くブラウス桃の花 金丸和代
桃の花というと段々ばたけに咲く花をイメージする。つまり、ひな飾りである。段々ばたけには桃の花が咲きほこり、お内裏さまがいらっしゃる。なつかしい風景である。ブラウスはお日様が乾かすのである。ところが、段々ばたけには電源もないのにドライヤーで乾かせているのである。
ブラウスを乾かせなくてはならないなどという惚けたはなしなのではない。乾かせるということは忙しないことなのである。段々ばたけの桃の花とは、そんなひとびとに対して唯一の救いなのである。
春寒の蝋燭点せば声変はる 金丸和代
蝋燭を消そうが点そうが声の変わることはない。だが、春寒の蝋燭だから声が変わるなどといっているのかも知れない。それは、やさしい声になるのか、それとも、かなしい声になるのか、どちらなのだろうか。
半世紀以上も前、漁師小屋に住み、蝋燭を点し、そのあかりで小説を書き続けた男がいた。手をかざすと蝋燭のほのおは暖かくもあったと書いている。
フリージア働かぬ日の君の耳たぶ 金丸和代
フリージアをながめていると、こころがおだやかになる。乱れているこころを慰めてくれるのだ。休みの日ではないのである。働かぬ日なのである。フリージアがやさしくしてくれたので、君の耳たぶを、ゆっくりと見ることができたのである。
整形外科の床の拭き跡春の朝 金丸和代
まいにち、老人はどこかが痛いのである。リラクゼーションマッサージは、気もちがいいが、そのときだけのものである。治療にはならないのである。
作者は腰が悪いのかも知れない。だから、視線が下に向いていたのかも知れない。朝の待合室の床にはモップで拭いた跡がのこっている。名前が呼ばれたので視線を上に戻して診察室のドアを開ける。
チューリップ散つて校舎の影が凸 金丸和代
校舎の影は「凹」ではない。いかなるときも校舎の影は「凸」なのである。チューリップと校舎の影との関係は無関係という関係である。チューリップが咲こうが散ろうが校舎の影は「凸」なのである。つまり、チューリップと校舎との関係も、ひととひととの関係と同じことなのである。
花疲れ駅弁隅の濃紫 金丸和代
濃紫の食材は何なんだろうか。そんなことが気になった。たとえば、蒸かした紫芋、紫キャベツのサラダ。そんなものしか思いうかばない。
駅弁といえば崎陽軒のシウマイ弁当である。私の生まれた年の四月から売り出された。横浜駅構内で買うと「ひもかけ」であり、東京駅の新幹線の売店で買うと「かぶせふた」である。新幹線のシウマイ弁当だから、箱にして高級感を出そうとしたのかも知れない。価格は同じである。500mlの缶ビールとシウマイ弁当を買い新幹線に乗りこむ。ちょうど食べ終えたころ、小田原駅に着くのである。
手びねりの湯呑ぼつてり花粉症 金丸和代
アマチュアだろうとプロフェッショナルだろうと、ひとの手でこしらえたものの方がいいに決まっている。「ぼってりしているところに、よい味がうまれる」などとうんちくをひけらかしたくなる。何もいわないほうがいいのにと思う。
花粉症の顔ぜんたいがぼってりしている。自分の顔を見ることはできないが顔がぼってりしているように感じる。
春山に囲まれてゐる饅頭屋 金丸和代
動植物ばかりでなく何もかもが生気に満ちている。岩や石ころでさえも生気に満ちている。囲まれているというよりも、春の山の中に饅頭屋はあるのだ。旧街道、あるいは参道、温泉街、行楽地、どこにでも饅頭屋はある。当然、饅頭屋も一軒ではない。何軒もあるのだ。
饅頭が爆発している。饅頭屋も爆発している。ひとも春の山も春も何もかもが爆発している。いくら爆発しても春山に囲まれているのだからのどかなものなのである。
四月馬鹿焼豚が吊るされてゐる 常原 拓
四月一日の午前中に罪のないうそをついても許されるという風習を「四月馬鹿」というのだそうだ。何故、ひとは、こんな風習を考えたのだろう。
焼かれて吊るされている豚にとってはとんでもないことなのである。あげくの果てには、ひとに食われてしまう。「四月馬鹿」について、もうすこし考えた方がいいといっているのかも知れない。
亀鳴くや易者の使ふ竹の棒 常原 拓
亀は鳴かない。易者の使う竹の棒は胡散臭い。それらしいことをふたつならべてみたのである。こんな生き方も幸福になるためには必要なことなのかも知れない。亀は何も考えてはいない。だから、鳴くのである。易者も何も考えてはいない。だから、竹の棒を使い占ったりするのである。
スカートの裾を抓みてシクラメン 常原 拓
スカートの裾に違和感を覚えたのである。抓まれたような気がしたのである。だが、誰もいない。気のせいかと思った。それでも、確かに違和感は続いている。確かに誰かに抓まれたような気がしている。この部屋はシクラメンの花が咲いているだけなのである。よく見ると、シクラメンはすこし笑ったような気がした。
虚子の忌の釦の多き昇降機 常原 拓
アンバランスな気がした。釦が多い昇降機とあるから高層ビルにあるものなのである。その場合は昇降機とはよばずエレベーターとよぶのだと思う。昇降機とは、せいぜい五階建て程度の古ぼけたビルを上がったり下がったりするものだというイメージがある。
虚子の偉大さは「アンバランス」であるということなのかも知れない。
春灯しマトリョーシカのうす笑ひ 常原 拓
マトリョーシカは哀しいのである。だから、うす笑いをうかべるのである。ひとは哀しいのである。だから、うす笑いをうかべるのである。だから、自分を隠すのである。だから、他人が諦めるまで自分を隠し続けるのである。この「春灯」からは華やかさも艶めいた感じもしない。哀しみだけを照らし続けている「灯」のような気がする。
自転車に乗りたる巡査目借時 常原 拓
交番のお巡りさんには自転車が似合う。過疎地のお巡りさんは自転車では仕事にならない。見回る範囲が違うのである。小型のパトカーが山村を走っているとそれだけでほっとする。
毎日の集団登校では列の最後を歩き、集落の行事には必ず参加する。一軒一軒訪問し、留守の家にはポストにメモを残す。数日間、旅行で家をあけるとき、主人が長期出張で家が女こどもだけになるとき、お巡りさんには声をかけるようだ。
集落のあちこちに小型のパトカーが停まっていたりする。過疎地のお巡りさんは蛙に目を貸す時間などないのである。
水筒にうつすら茶渋春の空 常原 拓
必ずあるものなのである。茶渋に限ったことではない。ひとにも、ひととの関係にも、それは必ずあるものなのである。はじめは、ごく薄く。それがいつのまにか汚れとなる。
こころにも垢はたまる。こころの垢は自覚することなく、ある日、突然、汚れてしまっている自分に気づくのである。
散るときの贖罪めきてチューリップ 常原 拓
チューリップの花片がいちまいいちまい落ちていくさまを見て、それが、あたかも贖罪であるかのように感じたのである。過失や罪を補いたいと願うことは、ひととしてあたりまえのことなのである。生きるとは過失や過ちを繰り返していくことなのである。贖罪したことのないひとは、自分のことをもっとよく考えるべきだと思う。
春の蚊を殺めてタイの麺料理 常原 拓
ひとを殺傷することを「殺める」という。蚊取り線香は蚊を選別して駆除するものではない。せん滅するものなのである。てのひらで蚊を叩き潰したくらいなら「殺めて」とはいわないだろう。
タイの麺料理といってもいろいろある。原料により「米」の麺「小麦粉」の麺に分けられるのだそうだ。
旧端午抽斗仕切る鉄の板 常原 拓
明治5年12月3日を、明治6年1月1日としグレゴリオ歴を使うようになった。それ以前の太陰太陽暦を旧暦という。女のひとの節句であった「菖蒲の節句」が、江戸時代に男の子の「端午の節句」となった。
「鉄」の板で抽斗を仕切ることはめずらしいことなのかも知れない。「鉄」使って仕切ることに何かおおきな意味を感じる。世のなかに一筋縄でいくものなど何もない。複雑なことばかりなのである。あまり考えると疲れる。ほどほどに生きていくことも必要なのかも知れない。
#春(ハッシュタグはる)来にけらし人界に 佐藤りえ
暮らしにとって不要なものが多すぎる。データーを集めることが仕事であった時代が懐かしい。現状の知識で十分に生きていけるのだと思う。乗りおくれ続けていくことが、私の人生なのかも知れない。
二ン月のボディビルダー割れて来し 佐藤りえ
自分に何かを課して生きていくことは大切なことである。すべては、筋肉繊維のためなのである。「割れて来し」とは成果があがってきたということだ。それは思いもよらないところで実感したのだと思う。「二ン月」とは、ほどよい月なのである。
ボディビルダーとは精神を鍛えるひとのことである。ボディービルダーとは肉体を鍛えるひとのことである。
眠る猫ひろごり給ふうららかさ 佐藤りえ
うららかさとは、日がのどかに照っているさま、わだかまりがなくおっとりしているさまのことをいう。それを敬意、親しみをこめて表現している。そのはじまりが、「眠る猫」なのである。誰もが苦しみや悲しみを耐えて生きている。不安だらけなのである。ほんのひとときの「うららかさ」は、生きているうえで、なくてはならないものなのである。
浮島に三角ベース流行りけり 佐藤りえ
浮島とは植物の遺骸が積み重なり泥炭化して水面に浮いているものをいう。この場合は地名なのだと思う。三角ベースとは、ひとも少なく、せまい所しかないときにするベースボールのことである。子どものころ、田んぼや空き地でバットを振りまわした記憶もある。
そんな遊びが流行っているのである。正規のルールを崩して遊ぶゲームが流行っているのである。正規のルールを崩して生きるとは人生そのものではないかと思う。
春すごく吠える犬ゐる金剛寺 佐藤りえ
金剛寺はどこにでもある寺である。金剛とは性質が堅固でこわれないもの、金剛心とはゆるぎない信心のことをいう。
とある春の日、金剛寺には、すごく吠える犬がいたのである。その犬を見て、作者も、すごく吠えてみた。そのとき、何かに思い至ったのである。
くびられて泡吹く赫いコカコーラ 佐藤りえ
缶でもない。ペットボトルでもない。瓶に入ったコカコーラに何らかの思い出があるのである。くびられてとは、瓶の形容のことなのである。コカコーラは、あかるくかがやき爽やかな泡を吹き出している。
くびられてとは、絞殺されるという意味がある。絞殺したり絞殺されたり不思議なはなしだと思う。
をとうとも四十路でありぬチューリップ 佐藤りえ
チューリップの花を見上げている。チューリップのひとつひとつの花は独立して咲いている。
小学生のころ手をつないでチューリップ畑をながめていた弟も姉も初老とよばれる齢になってしまった。姉は、「老い」について、思いを巡らせたときにぞっとしたのである。姉はひとりでチューリップ畑にたたずんでいる。
百代の過客うつそり朝寝して 佐藤りえ
月日は永遠のたびびとであることは知っている。たっぶりと睡眠はとったもののいつまでも寝床から離れることができない。よけいなことに、こころを奪われることもなく、いつまでも、ぼんやりとうつらうつらと寝ていたい。
怠けものの私にとって、これが究極の幸福なのかも知れない。だが、このことに背をむけて歩きはじめたとき、何かがはじまるのかも知れない。
春や百尋に乳酸菌をどる 佐藤りえ
乳酸菌といえば、からだにとってよいものだと思う。からだによい菌が元気に動きまわるのだから、さらに、からだのためになるのだと思う。
百尋が、鯨のホルモンであることを知った。お正月、お祝い、おめでたい席には欠かせないものなのだという。季節は春。おめでたい席で乳酸菌は、どんなふうに踊るのだろうか。
花過ぎて此方の樹下のきほひけり 佐藤りえ
なるべくなら、張りあうことからは避けて生きていきたいと思っている。いつかは、そのときが来るかも知れないとも思っている。だが、幸いなことに、私はその経験はない。このまま、死んでいければ何もいうことはない。「うっそり」と生きていけたら幸いである。
花をほめながら酒を飲むことは人生にとってはいち大事なのである。来年の花を待つ余裕などないのである。そのときは、覚悟を決めて、ちからの限り競わなくてはならないのだと思う。
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臼井吉見の「人と文学」葛西善藏によると、葛西の書くものは心境小説だという。心境小説は、久米正雄の命名であるといい、
心境というのは俳人の間で使われた言葉で、「作を成す際の心的境地と云ふ程の意味」だという。と続ける。
私は、葛西善藏は「私小説」作家であると漠然と考えていた。「心境小説」とは、たとえば、志賀直哉、尾崎一雄の書くものであり、日常生活で目に触れたものを自己の心境を調和のとれた筆致で表現したものだと思っていた。葛西善藏は、孤独、挫折、貧乏、などを題材とする。私は、葛西善藏こそ典型的な「私小説」作家だと思っていた。
久米正雄は、大正十四年一月、二月の文藝春秋社刊行の「文芸講座」に「私小説と心境小説」を書いているという。山を下りて、図書館にでも行って「私小説と心境小説」を探して読んでみたいと思っている。
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