2019-06-09

空へゆく階段 №14 解題 対中いずみ

空へゆく階段 №14 解題

対中いずみ


京都大学を卒業し、株式会社村田製作所に入社した年、22歳で「童子の夢」で第28回角川俳句賞を受賞したときの受賞の言葉である。受賞の言葉は、通常、選者や師筋への御礼等が語られるものだが、そういう前置きは一切なく、ただこの一文だけが掲載された。読者は驚いただろうが、前回まで連載した「雑詠鑑賞」の俳句読者論のつづきのように読むと流れは自然だ。この一文については、『田中裕明の思い出』(四ッ谷龍著/ふらんす堂/2018年刊)で解説が試みられている。これ以上の解説は今後もおそらくは出ないだろう。

受賞作「童子の夢」50句を掲載しておこう(太字は句集『花間一壺』に収録されている)。
  
童子の夢

春昼の壺盗人の酔ふてゐる
あゆみきし涅槃の雪のくらさかな
畦火まだ川の向うのしづけさに
身にしはぬ春の霙とおもひつつ
辛夷咲きたちまち乱れつくしけり
竹の秀のはなやぎを見て春の海
東風舟にのりたき瑞枝もちて佇つ
しほがれの松をかたへに耕せり
沖見えぬ雨の燕の飛びちがふ
剪らずおく花をかぞへて朝寝かな
ときに鳴る藪の一天別れ霜
草芳し木星ばかり明るき夜
さくらちる髪をつつみて出でしとき
午後もまた山影あはし幟の日
早苗籠戸口ひらきて月のかげ
老鶯の存分に降り出でにけり
入梅の小夜啼鳥に海の闇
梅雨の月さらに黄花をくはへけり
早乙女とともにあるきて初心とは
人の顔見つめるくせの火取虫
絵は壁にこの世ならねど五月闇
梅雨寒に買ひしさかなの目の大き
柿の花散る冷えにして百姓家
田草取る僧侶の鼻のうかみ出で
向日葵に万年筆をくはへしまま
髪長く顔をかくして青芒
郭公に湯を捨てて湯のかがやきぬ
草いきれさめず童子は降りてこず
ひくく鳴る海のオルガン雲の峰
鯵刺に遠く泳ぎてゆきあはず
天の川貰ひ来し絵を掛けずして
日照るさに秋のはじめの桃畑
葡萄いろの空とおもひし貝割菜
葉生姜にそれきり琴のならずなり
宿の子の寝そべる秋の積木かな
物音も雨月の裏戸出でずして
夜更しの果ての小さきいぼむしり
西へゆく秋の祭の日傘かな
末枯に希ひてこころよき為事
小鳥来るときをさかひに水の音
薬掘る空憑きそめし草のいろ
神無月大きな石のなかに棲む
冬山に不機嫌の文たまはりし
柚子風呂のはじめのこゑを裏山に
歯朶刈のをる山裾の地図を買ふ
ひとりまた遠くくははる山始
待春のほとりに木々をあつめたる
まだ封を切らぬ手紙を探梅に
人けふの厄を落すに雪を掃けど
二月絵を見にゆく旅の鴎かな



田中裕明 夜の形式


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