【週俳5月の俳句を読む】
手垢のきらいな俳句のきらいな
嵯峨根鈴子
きっと尊王攘夷これは天狗の花粉症 川嶋健佑
「きっと○○これは△△」をカンバスにして何を、どう置いてみるかの実験のよう。まず手始めに「きっと天狗の花粉症これは尊王攘夷」「きっと花粉症これは天狗の尊王攘夷」等々、少々据わりは悪いが、カンバスのオブジェは何一つ変わってはいない。配置を変えただけで、組み合わせは幾らでもある。いち早く尊王攘夷を発信し続けた水戸藩でありながら、その結末は処刑と言う無残なものだった。
これを天狗の花粉症と同じキャンバスに並べた作者の意図を充分に汲むことは難しい。筆者なりのこじつけ解釈すると水戸藩の天狗であれば花粉症もしつこく、毎年巡って来るだろうが、歴史を悩ますまでにはならなかったという事だろうか。書くほどに意味を読み取ることの、無意味さを思い知るだけだ。なぜ作者は「きっと尊王攘夷これは天狗の花粉症」と置いたのかは結局分からなかった。私にはお手上げであるが、何か隠れていそうで、それを探す道程はちょっとミステリアスでいつまでもしゃぶってたいような一句となった。
鍵垢でいいね!押したらどうなるかって、手垢が憑くにき
まってる。それにしても椅子は全部で幾つあるのでしょう。
白服に煙のにほひまとひ来し 藤本夕衣
白服の似合いそうな作者のイメージを勝手に作ってみました。一体どこからの煙なんだろう。その場所から白服はやって来た、もしくは帰って来たのだろう。10句全体をドローンで追って見ればストーリーが見えてくる。
「白月のごとき日のあり蘆の角・まなかひに炎をみつめ春惜しむ・火の中の椎の若葉もありにけり」続く・・・。
蘆芽の上空に白月のような日輪がある。近くで野焼きの煙が上がっている。その炎を眼前に見て春を惜しんでいる白服の人。炎の中には椎の若葉も見えている。続く・・・。
作者と共に琵琶湖辺りを吟行しているような心地良い風を感じることができた。
フローリングなめらかマイケルジャクソン忌 うにがわえりも
初見の画面上から「うにがわえりも食べられないぶどう」が網膜にインプットされ、その上妙に意味(そうか、えりちゃんも食べられない葡萄なんだ)がしっかり出来上がって、なかなか消えてくれないのだ。まあそれはそれとして2009年6月25日はマイケル・ジャクソンの亡くなった日。今年は十回忌にあたる。初めて観たあの不思議なムーンウォークは衝撃だった。フローリングが日本家屋の畳に取って代わったのは、いつ頃だったのか思い出せない。大きな窓に、なめらかで生活臭のない、企画化された洋間が普通になったのは、いつ頃だったろうか。ムーンウォークの全盛期と被るかも知れない。あの広々としたフローリングでマイケルにムーンウォークをさせてみたい・・・いやいや、成りきってこっそりやってみたりして。
我が家にはフローリングは無いが。
2019-06-09
【週俳5月の俳句を読む】手垢のきらいな俳句のきらいな 嵯峨根鈴子
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 comments:
コメントを投稿