【週俳5月の俳句を読む】
相和丘陵にて〔二〕
瀬戸正洋
書棚の谷崎精二「葛西善藏と広津和郎」春秋社、西暦1972年刊を取り出す。続いて、「文学論」広津和郎(平野謙編集)筑摩書房、西暦1975年刊を読む。平野謙から広津和郎に入ったことを思い出した。「年月のあしおと」、「松川裁判」(中公文庫だったと思う)を買ったが、「松川裁判」は途中で投げ出してしまった。
「松川裁判」を読んでいないのに、こんなことを書くのも何だが、広津和郎といえば、
それはどんなことがあってもめげずに、忍耐強く、執念深く、みだりに悲観もせず、楽観もせず、生き抜く精神だと思います。〈「散文精神について」(講演メモ)〉「人民文庫」講演覚え書、昭和11年10月18日である。この個所には鉛筆で線が引いてあった。線を引かないと頭に入らないのは、むかしとかわらない。この「文学論」には、「散文精神について」の前に「『小説は文学ではない』について」が収められている。
突然、説明ぬきの結論だけを持って来て、ぱっと断言し、その意味がどういうものであるか読者をして迷わせる癖が彼(横光利一)にはあるから、 ―中略― それは左は詩と隣り合い、右は三面記事と隣り合っている散文芸術というものの領域或いは性質の究明としても、多くの示唆を含んでいる。〈「『小説は文学ではない』について」〉「文芸懇話会」昭和11年1月八十三年前の広津和郎の書いたものを読んでいることに対し不思議な気がする。「突然、説明抜きの結論だけを持って来て、ぱっと断言し、」が、横光の癖であったことは、多田裕計や八木義德も書いていた。この横光の態度はふたりにとってたいへん魅力的だったようだ。
●
きっと尊王攘夷これは天狗の花粉症 川嶋健佑
「絶対に」尊王攘夷は正しい思想だったのである。「きっと」尊王攘夷は正しい思想だったのである。「たぶん」伝説上の生きものである天狗も花粉症にはなる。「きっと」尊王攘夷とは天狗の気まぐれだったのである。空中を飛翔する天狗のこころはときおり乱れたりもする。ひとを魔道に導く天狗なのだから乱れることがなければ困るのである。
椅子のない部屋が灯って鳥雲に 川嶋健佑
帰ってしまうには理由があるのである。さびしいと思うまえに考えなくではならないのだ。かなしいと思うまえに考えなくてはならないのだ。あかりが灯っていれば十分だと思うべきなのだ。暗い部屋よりもましだと思うべきなのである。欲ばると碌なことにはならない。これは生きるうえでの鉄則なのである。
青嵐の椅子のまわりに椅子を置く 川嶋健佑
椅子のまわりに椅子を置いた。ただ、それだけのことなのである。青葉のころのややつよい風のことを「青嵐」という。青々とした山の気のことも「青嵐」という。つまり、「気」なのである。そのようなひとたちが、そのようなひとたちを囲んで、そのようなことを語りあっているということなのである。
椅子に名はなくて皐月という異名 川嶋健佑
異名について考えることは無意味なことなのである。本名について考えることも無意味なことなのである。他人がどう思っても、それはしかたがないことなのである。名があると思っていること自体が錯覚なのである。名のない椅子に座って、「皐月」という異名を持つ椅子に座って、ゆっくり考えること、それだけがたいせつなことなのである。
桜散る日野草城も蛾眉が好き 川嶋健佑
日野草城でなくとも美しいひとは好きである。ほそく弧を描いたような眉を持つご婦人のことは誰もが好きなのである。なにゆえ、さくらは散るのだろうと考えるひとも好きなのである。もちろん日野草城のことがいちばん好きなのである。
染井吉野の樹木は、ねんねん、汚くなっていくような気がする。ひとのこころも、ねんねん、汚くなっていくような気がする。
とりま立てとけ茶柱も蚊柱も 川嶋健佑
「とりあえず」とか「まあ」とは人生訓のようなものである。ちからのないひとたちにとっては、生きるために必要なことばなのである。茶柱が立とうが蚊柱が立とうが、それがどうなろうが、どうでもいいことなのである。
これは、気を逸らせる、話題をかえるためのひとつの手段なのである。
晩春のなにかと燃える千葉雅也 川嶋健佑
千葉雅也については何も知らない。つまり、読んだことがないのである。とりあえず、読んでみようとも思わない。
晩春とは春の終わりのころ。なにかと燃えているのは作者自身なのだと思う。ただ、燃えることが必要であるのか否かはわからない。
椅子持って葉桜抜けて古都の家 川嶋健佑
古都には葉桜が似あうのかも知れない。関東に住むものにとって古都とは鎌倉のことである。八幡宮の源平池、太鼓橋、その境内に隣接する民家、「段葛」「R134」「江ノ電」「踏切」「潮風」等々。葉桜のした若者が椅子を両手で持って運んでいる。
八幡宮の境内に隣接する民家の若ものが椅子をはこんでいるのを見た記憶がある。ひるまから酒宴の準備かと思った。四十数年まえの記憶である。
逗子から鎌倉まで、国鉄に乗るより路線バスで行ったほうが十円安かった。これも、四十数年まえの記憶である。
水争い松山五十万飢餓させよ 川嶋健佑
五十万とは石高ではなく人口のようである。つまり、そこに住むすべてのひとということだ。これは尋常な怒りではないと思う。作者は何にたいして、そんなに怒っているのだろう。
田に水が入っていくさまを見ていると、飲むことができるのではないかと思うほど美しい。湧いた水がそのまま田に入っていくのである。
のんべんだらりと生きているものにとって「戦う」こととは、はるか昔の夢のようなはなしなのである。
苦瓜真っ二つ絶交して今夜 川嶋健佑
作者は自覚しているのかも知れない。怒りはのみこむ必要などないのである。こころのおもむくままでいいのである。生きていく。それはつらいことばかりなのである。絶交することでこころがおだやかになるのなら、気のすむまでやればいいのだ。こころの血がながれても、それがおたがいのためなのだと思う。
数十年ののち、笑って酒を酌み交す日が来るのかも知れない。絶交したあとに、そのようなことはかならずあるものだと思う。
白月のごとき日のあり蘆の角 藤本夕衣
足元の蘆の角に驚いたのである。ふり返り見た太陽は白月のようであった。そのことにも驚いたのである。
こころがさわぐことはたいせつなことなのである。蘆の角に、こころがざわめいたことはひつようなことだったのである。
まなかひに炎をみつめ春惜しむ 藤本夕衣
よい季節との別れを惜しむのである。よいひととの別れを惜しむのである。庭先で何かを燃やしている。思い出を燃やしているのである。シュレッダーでは絶対にだめなのである。破壊してはいけないのである。思い出は燃やさなくてはならないのである。すべてのものは炎につつまれ灰にならなくてはならないのである。炎は美しい。灰になったものは、なおさら美しい。思い出はそのことを気づかせてくれているのである。
火の中の椎の若葉もありにけり 藤本夕衣
不自然なことをしてしまった反省。不自然なことをしようとする罪悪感。椎の若葉が燃えている。椎の若葉を火の中に視たのである。こころのおくそこにある醜さが燃えている。そのことに気づいたのである。ひとの生活とは、もっともっと美しくなくてはならないのである。
白服に煙のにほひまとひ来し 藤本夕衣
麻や木綿などの白い服にけむりのにおいがまとわりついている。違和感を覚えたのである。不自然な気がしたのである。そのひとは、どこから来たのかと思ったのである。何をしてきたのかと思ったのである。それでも、涼しげな風は吹いているのである。
水とんで油虹なす立夏かな 藤本夕衣
洗いものをしているときに油膜がながれたのである。それは虹いろの油膜となってながれたのである。それは油膜の意志によるものなのである。それは粘着感のある汚れなのである。水とともに生まれ、いままさに目のまえをながれている虹いろの油膜なのである。ゴールデンウィークも終わりのころのできごとだったのである。
雲はやき蓼科山や吹流し 藤本夕衣
吹流しが風にたなびいている。遠く蓼科山に目をやると雲がどんどん流れていく。風のある日なのである。風のつよい日なのである。吹流しは、こうでなくてはならいと思った。こいのぼりは風にたなびいていなくてはならないと思った。
角落ちし鹿の眼の澄んでをり 藤本夕衣
まいねん春さきに、鹿の角は落ち、あらたに生えはじめるのだそうだ。角のある鹿は雄なのだという。そのとしの穢れを落としているのかも知れない。穢れを落としたから眼が澄んでいたのかも知れない。眼が澄んでいるひとはこころがきれいであるなどといわれている。
角の落ちた鹿は眼がすんでいる。眼の澄んでいる鹿はこころがきれいである。眼の澄んでいる鹿はこころのきれいな害獣である。
鹿の糞つややかにあり杉落葉 藤本夕衣
害獣といえば猪と鹿である。管理捕獲のため山に入るようだが、猟友会会員の高齢化が問題となっているらしい。
共有林の下草刈をしていたとき、目のまえを猪が駆け抜けていったことがあった。はじめは何だかわからなかった。横切ったからよかったものの、こちらに向かってきたならどうなっただろうと思ったらぞっとした。
杉の落葉のうえのつややかな糞は、近くに鹿がいるということなのである。ひとのかげも形もない、鹿も猪もいない山のなかには怖さがある。
柴の束ほどき八十八夜かな 藤本夕衣
紫いろといえば、神秘、高貴から不安定、下品まで多種多様の意がある。中性色なので周辺のいろに左右されやすいのだそうだ。八十八夜とは農家にとっては忙しくなる季節である。ほどくとは「願」の期限が満ちて、それを解くことをいうのだそうだ。
文部省という省名が変わっても「茶つみ」は文部省唱歌だという。紫の束はほどくことが肝要なのである。ただ、ほどきさえすれば、それでいいのである。
神祀る祠や棕櫚の花ざかり 藤本夕衣
神を祀るのもひとである。祠を建てたのもひとである。そこには、そこに暮らしたひとびとの思いがあるのである。歴史があるのである。棕櫚は花ざかりを迎えたのである。それは、ながい時間のひとつのできごとなのである。その繰りかえしが集落を形成していくのである。
うにの子もころがる朝の陽射しかな うにがわえりも
うにがころがるところを見たことがない。だが、うにはころがるのだろう。当然、うにのこもころがるのだろう。ころがるとはまわりながら進むことをいう。「進む」ということが肝心なのである。朝の陽射しを待ちわびていたのだと思う。
二十歳のころ俳句仲間と伊豆の妻良海岸の民宿に泊まったことがある。俳句は作らず遊んだ。俳句を作っているひとたちと遊ぶことが、いちばん楽しいことだと思った。夜中に磯辺を散歩したとき、うにを見つけ民宿の下駄で割って食べたひとがいた。そのひとは数年ののち自殺してしまった。
逃げ水や夢のつづきをみるこころ うにがわえりも
夢のつづきをみるこころはたいせつにしなくてはならない。逃げ水もたいせつにしなくてはならない。そういってしまえば身もふたもないのかも知れない。
実際に見えているものが錯覚であるということは真実である。だからこそ、夢であっても、そのつづきをみようとする意志はたいせつにしなくてはならないのである。逃げ水を追うきもちもたいせつにしなくてはならないのである。
藤棚にひろがる食べられないぶどう うにがわえりも
藤棚とは藤の花を観賞するための棚である。作者は藤の花に圧倒されたのかも知れない。
藤棚にひろがっているものはぶどうなのである。このぶどうは食べてはいけないものなのである。食べられないものなのである。決断することは重要なことなのである。だから、決断しなくてはならないのである。藤棚に食べられないぶどうがひろがっている光景を視ている。
積分をおしえてくれる鯉幟 うにがわえりも
積分について何も知らない。学べばこころがゆたかになったのかも知れないが、それはわからない。もしかしたら、何も知らないことは幸福なことなのかも知れない。それもわからない。
鯉幟は男の子の出世と健康を願って立てるのだ。矢車、吹流し、真鯉、緋鯉、子鯉。もしかしたら、積分とは風のことなのかも知れない。
空中にみどりの海わかばの波 うにがわえりも
地上でなく空中としたことに何かがあるのだと思った。そもそも、地上としたならばあたりまえ過ぎるのだろう。
海とは地球の陸地でないところである。波とは水面が高くなったり低くなったりすることである。わかばとは生えたばかりの葉のことである。みどりとは自然をあらわす言葉である。
代掻きや足首にくる土の息 うにがわえりも
田に水を入れ土の塊をくだき平らにする作業を代掻きという。子どものころは、ふたりかがりで、そのための農具を牛にひかせていた。現在は耕運機を使うのだろう。この場合は、小型の耕運機のようだ。作業中に足首に何かを感じた。それを土の息だと思った。土も風も雨も息をしている。これは実感なのだと思う。
足洗う清水に溶けた国史あり うにがわえりも
草刈り、畦づくり、田おこし、代かき、田植え、そのたびに清水で手や顔や足を洗うのだろう。雑木林に続いている水田なのかも知れない。清水に溶けたのは汗や泥だけではない。そのひとの暮し、さらには、先祖のひとたちの暮しそのものが溶けてながれていったのである。米を作ることは生きることなのである。国史とはおおげさだが、そのひとにとっては、そういうことだったのだろうと思う。
五月雨を呼び寄せている猫のひげ うにがわえりも
猫のひげも罪なことをするものだと思う。何も、五月雨を呼び寄せることはないのにと思う。
それでも、呼び寄せたくなるきもちは誰にもあるのだ。猫のひげがあるのなら誰もが五月雨を呼び寄せているのかも知れない。猫のひげとは偉大なものなのである。
紫陽花の話すは雨の言葉かな うにがわえりも
雨の日の紫陽花は特別なものなのである。紫陽花が紫陽花のことばを話すことはないのだ。雨のことばを伝えているだけなのである。ひともじぶんのことばを話すことはできない。誰かのことばを伝えているだけなのである。そのことを、ひとはすっかり忘れてしまっている。雨の日の紫陽花をしっかり視ることはたいてせつなことを思い出させてくれる。
フローリングなめらかマイケルジャクソン忌 うにがわえりも
摩擦がすくないことはよいことなのだとは思う。よどみのないことは悪くはないとだとは思う。マイケルジャクソンを自分から聴いたことはない。
だが、あたまの中ではメロディーがながれている。興味はないのに、いつのまにか聴いていたのだ。記憶となっていたのだ。だから、フローリングはなめらかでなくてはならなかったのである。
●
それは「間違っている」とよくいわれることがある。反論はしたくないので黙ることにしている。私が書くのである。間違っていて当然なのかも知れない。書いてしまえば、それでおしまいなのである。いま書いているものだけでもと細心の注意を払っているつもりなのだが気力がつづかない。
書くとは考えるということだ。考えることに、間違いも正しいもないだろう。正しく考えていたときもあれば、間違って考えていたときもある。間違った考えかたで間違ったことを考えているとき、肉体はどうなっているのだろう。
何をするのでもなく一日が過ぎてゆく。からだを騙しながら、その日その日を終わらせることが生きることなのだ。
何かを「読む」と、その日、何かしたような錯覚におちいる。「読む」ことが生きていることだと、どこかで飼い馴らされてしまったようだ。
広津和郎の「松川裁判」<上、中、下(中公文庫)だったと思うが>書棚から引っ張り出して読んでみようと思う。これでしばらくの間は、生きているあかしを噛みしめることができるのかも知れない。
0 comments:
コメントを投稿