【空へゆく階段】№15
希望
田中裕明
希望
田中裕明
「青」1980年2月号・掲載
私も若いころは、たくさん夢を見たものである。後にはあらかた忘れてしまったが、自分では惜しいとは思わない。思い出というものは、人を楽しませるものではあるが、時には人を寂しがらせないでもない。精神の糸に、過ぎ去った寂寞の時をつながせておいたとて、何になろう。私としてはむしろ、それが完全に忘れられないのが苦しいのである。(魯迅『吶喊』自序・竹内好訳)
勿論、僕が百句拾って本の形にまとめたにしても同じような感想を持ったはずはないのだが、この一部を読むときのさびしい心持ちはどうしたことだろう。三年にも満たない俳句とのつきあいも、ふりかえれば自分に親しいことばかりではない。
詩人にとっては詩を創ることが希いであるそうだが、そういう希いが自分に欠けているような気がしてならない。一生俳句を作りつづけるかどうかは僕の知るところではないだろうと思う。
自分のことばかり言うつもりではなかったが。
思うに、希望とは、もともとあるものだともいえぬし、ないものだともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には、道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。(魯迅『故郷』・竹内好訳)
≫解題:対中いずみ
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