2019-08-04

溜まりて 対中いずみ句集『水瓶』第7回星野立子賞受賞祝賀会レポート 中山奈々

溜まりて
対中いずみ句集『水瓶』第7回星野立子賞受賞祝賀会レポート

中山奈々


今日関西で何があるの? ととある若手俳人のつぶやきを見たのは、あと数分でANAクラウンプラザホテル京都に着くときだった。ふふふ、実は、と声に出しそうになってやめた。京都駅からホテルまでの送迎バスには運転手ともうひとりの乗客。たった三人の、クーラーの効きすぎた車内で声をだすのはあまりに怪しい。怪しまれない、いやいや場違いにならぬように、アイロンをきちんと掛けた白シャツと黒のパンツを着てきたのだ。

7月6日。外をみれば例年より遅れた梅雨入りが嘘のようなよい気候である。


雲の峰はじめの釦きつちりと   対中いずみ(『冬菫』)


対中いずみ句集『水瓶』第7回星野立子賞受賞祝賀会には80名ものひとたちが集った。受付開始までにほぼ全員揃っているのではないかと思われるほどの長蛇の列。少し長い名前の会に似合っている。受付スタッフに当たっていなければ、この列の一番後ろで遅くなってごめんなさい、と平謝りしながら入場していたに違いない。名前を聞かれる前にひとりひとりが「おめでとうございます」とゆっくりと声を出す。装いの華やかさに優しさが加えられていくようだった。


わたくしの龍が呼ぶなり春の暮   対中いずみ(『水瓶』)


会は二部構成で、第一部が〈対中いずみ句集『水瓶』を語る〉、第二部が祝宴である。この形式は山口昭男句集『木簡』が読売文学賞を受賞を祝した会に倣ったものらしく、「社交の場だけではなく、批評の場であるべき」という意図による。どこの祝宴もそうであろうが、飲食を始めるとひとはどうして話したくなる。壇上に誰かがいてでもある。だから先にスピーカーによる句集評を聞くのは、大事なのである。喉が渇くかと思ったが、句集が水瓶だけにその心配はなく、会場中がスピーカー三人の話に聞き入っていた。ときおりメモを忘れて句集を読みたくなってしまう。

(これに先立ち、発起人六名の紹介があったことを加えておく。)


書きだしのインク濃かりし青嵐   対中いずみ(『巣箱』)


スピーカーのトップバッターは、仮屋賢一さん。彼は京都出身、在住である。よくテレビでは京都が滋賀を下に見ているという構成を作っている。しかし彼は自分とって琵琶湖はとても親しい場所であるという話から始めた。京都では遠足で琵琶湖に行くそうである。

句集の一番最初の句〈対岸の比良と比叡や麦青む〉を紹介しつつ、琵琶湖の自然の豊かさ、それを句にする対中いずみさんの視点について展開する。

句集には二つの俳句があるというのだ。一つは見入る俳句。〈わからなくなり水仙のやうに立つ〉〈魚そよぐやうに竹の葉降りきたり〉は意識が外に向いている、という。つまり一瞬の(写生的、観察眼的)切り取りではなく、見ていたことさえも忘れてしまっている状態にあるのだ。そこに入り込んで、見ているようで見ていない。見ていないようで深いところに到達する。「静」かとは音がないことではなく、音があるから「静」けさがあるのだと彼はいう。

この状態のときに、はっ! と気づいたのが、〈水を見てゐて沢蟹を見失ふ〉〈鴨の水尾うしろの鴨に届きたる〉である。見入っていたものの次のものへ視点の移し方。この気づきにより見入っているときの長い時間を描き出すことができるのだ。この見入る俳句は前述のように意識が外にある、といえる。

そしてもうひとつの俳句が反対に意識する俳句というものである。〈みづうみに埃のごとく霙来る〉〈母と子としづかな食事金魚玉〉の「静」かさは意識的に描いている、感じとっている。先に挙げたものも「静」かを詠んでいるのだが、その描き方が違う。ただ言えることは対中さん自身が「静」かを意識、無意識に関わらず大事にしているということなのである。それは

鳥のほか川しづかなる裕明忌  対中いずみ

小鳥くる静かな場所がここにある  田中裕明

といったオマージュにも表れている。静かといいながら、しっかりと呼吸をしている。呼吸は時に、文節、イントネーション、の豊かさを生む。対中俳句の中七には抑揚ー息の長いリズムーがあると仮屋さんは指摘した。普通ならば中七は四・三とするところを、あえて三・四にしている句があり、句を読むときの抑揚によって立ち止まらせるのだという。

その話を聞きながら、ん? という疑問に近いひっかかりに近いのかな、と思った。あれ、今何かあったよな、という気づき。いつも見ているものも流さずに捉える。これはかつて田中裕明氏が、「海と違って、みづうみの波はやさしい。作者もその波によりそっているようです。生活に近い自然の一側面、一側面を大切にしている作者の姿が浮かびます」(※1)と述べたことに近い。常に同じではなく、いろんな姿を見せてくれる。そういった部分が仮屋さんにとって印象深かったのではなかろうか。


二番手は青木亮人さんであった。前の登壇者である仮屋さんの熱弁されたので、手短かに話します、といって会場の笑いを誘った。また、このスピーカーにより句集評は文字起こしされるらしく(思うにわたしのこの微妙なレポートと変えてほしいくらいだ)、録音機械が「ゆう」創刊号の上に載っていることまでバラしてさらに笑いを起こす。批評を交えた祝賀会のスタイルをほかの短詩と比べたり、俳句としても珍しいと感心したりしていた。

といった枕から話は対中さんの師である田中裕明氏にうつる。師亡き後の姿勢、流れを普段の句作でもそうだが、句集『水瓶』で具現化しているのではないか。波多野爽波氏が唱えた「自由闊達」が田中裕明ー対中いずみと連なる。ここには一つのものを貫く美意識よりも、驚きを持って表現するような姿勢があるのだ。〈はなびらをすりぬけてきし桜かな〉〈人を待つバスの震動ぼたん雪〉とにもその驚きが、闊達さが出ているというのだ。

句集には「龍」という章があるほど、龍が出てくる。龍ひとつにしても裕明氏であれば、自身が龍そのもののような俳句を作るが、いずみさんは龍を見るニンゲン(第三者の視点)で俳句を作る。だけれども、そのニンゲンは達観しているわけではなく、二ヶ月ぐらいの仔猫のように興味あるさまざまなものを見つめる目をしている。だから、〜と〜とといった二つのものが並んでいる句がある。どちらにも反応しているのである。それが騒がしい句にならないのは世界をまろやかに描いているからなのだ。副詞の使い方がそれを可能にしている。青木亮人さん曰くそれは「関東の雰囲気とは違う」ということなのである。


さて、ラストは津川絵理子さん。星野立子賞受賞者である。五、六年メール句会を共にしているが、会ったことがあるのは数回だそうだ。やわらかい対中さんの話し方が印象的で、電話をかけたときに受話器から聞こえてくる言葉が湖の波音のようだと述べた。対中いずみ第二句集『巣箱』で正木ゆう子さんが「たっぷりと水を湛えた湖の、静かな真水の気配」と書いていたことに触れた。

なるほど。単に琵琶湖を詠んでいるから水を感じられるのではなく、対中さん自身の潤いによって句集が生き生きとしているのだろう。ニンゲンは水分でできているが、使う言葉にまで水分を含ませることが出来るとは限らない。それができるからこの句集は魅力的なのだ。とペンを走らせつつ思った。

彼女は続けて、動物の俳句が多いのはあとがきの一文にあった「びわこ吟行」の賜物であると指摘した。動物の俳句が85句あり、三割超えらしい。俳句にすることにより、動物たちと命の交歓をしているのではないか。生きとし生けるものを描くことによって、自分の命も見つめる。〈近々と二百十日の鳶の腹〉といった琵琶湖の生活範囲内にいる生き物への親しみ、〈鴨の水尾うしろの鴨に届きたる〉といった生き物の細やかな部分、そして一緒に暮らしているであろう猫への愛情を句にしていく。それが龍という架空の生き物にさえも親しみを湧かせ、表紙の金の龍に愛着を抱かせる。この龍のように次はさらに天に、対中俳句は行くのだろうと締めくくった。


天上に涼しく酒を酌む日かな   対中いずみ(『冬菫』)


この句は亡き人への思うものであるが、俳句が天に昇るとき、いやその過程もきっと楽しいに違いない。


三名の〈語り〉が終わったところで花束贈呈。代表して、柳元佑太さん。


水滴を巻き込み薔薇の花赤し   対中いずみ(『巣箱』)


その後、対中いずみさんが2000年に俳句を始めたので句歴が数えやすいということから語り始めた。「ゆう」創刊の言葉には〈詩情〉と〈伝統詩を踏まえつつ〉と書かれていた。また「ゆうのことば」(※2)というコーナーで、俳句に対して真面目に、新しい俳句について考えたい。新しい自分と出会えるから。と綴られていたことに触れた。

これが今回の句集により影響したのかもしれない。吟行句というバイアスをかけた編集を恐れなかったという。「龍」についても賛否両論あったが、ご本人は良かった、と語った。

句集は俳句がないと出来ない。句集を作ることが凄いのではない。俳句を作り続けていたことが凄いのだ。しかもひとりではなく、よき仲間と。昨今、俳句仲間って言ったって、なあなあでしょ、みたいな意見を読むことがある。しかしそんなんばっかりだったらとっくに俳句は廃れている。今回、ここに出席して、人、俳句、いいな、と感じた。語彙力を疑われるような感想であるが、ご容赦のほどを。冒頭の若き俳人よ、関西でこんなことをしていたのだ。


滴りの音の音の溜まりてきたりけり   対中いずみ『冬菫』



※1、対中いずみ句集『冬菫』(ふらんす堂、2006)、「序 田中裕明」(「ゆう」二〇〇四年三月号「第四回 ゆう俳句賞 選後に」より転載)より引用



※2、(典拠にあたらず)メモを転記しただけなので、漢字・平仮名の違いがあるかもしれません。



対中いずみ句集
『冬菫』(ふらんす堂、2006)



『巣箱』(ふらんす堂、2012)



『水瓶』(ふらんす堂、2018)

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