2019-08-25

【句集を読む】結像の確かさと描写の賞味期限 鈴木牛後『にれかめる』の一句 西原天気

【句集を読む】
結像と確かさと描写の賞味期限
鈴木牛後にれかめる』の一句

西原天気


牛が飲む水をクローバまはるまはる  鈴木牛後

桶だろうか。人が水を飲むときには起こり得ない景が/出来事があらわれる。クローバ一片から、周囲だか近くだかの自然(草原)まで見え、その動きから牛の口や喉の動きが見え、句全体に生命感がみなぎる。

作者は酪農を生業とし、同句集には、《天高し風のかたちに牛の尿》《牛の産むこゑ春暁を撓ませて》、長くこの作者の代表句となるであろう《牛死せり片眼は蒲公英に触れて》など、掲句のほかにも牛を読んだ句が多い。

残雪の消ゆる間際の透けゐたる》《蛇の尾を踏めば地を打つ蛇の腹》、季語の扱いについて一歩踏み込んだ感のある《蜘蛛の囲の蜘蛛ごと餌ごと窓凍つる》など、詠む場所はほぼ生活圏に限定され、例えば、街の風物はほとんど出てこない。読者にとって句群の背景が明瞭で、句ごとに像が結びやすい。

その特徴と無関係ではないと思うだが、句集を通して、オノマトペが頻出し、彩に副詞が多い。これは《描写》を作句の柱としているからだろう。嘱目(暮らしの中で目に触れるもの)を描こうとする熱意が伝わる。

俳句と描写の関係は、微妙な、かつおそらく根本的なテーマ。ある人にとって、俳句は描写以外の何物でもない(自明の目的)。一方、ある人にとって、描写に《とどまる》句は《景に過ぎない》。描写と非=描写・半=描写のあいだには深い溝が存在する。ただ、それは好悪の別ではあっても、評価の基準ではないだろう。

句集名になった「にれかむ」は反芻の意。句集『にれかめる』の描写の句を、数年後に反芻して、そのとき味わいがどうか、滋味が深いまま残るのかどうかは、まずは読者たる私に属する事柄。句集『にれかめる』は現時点で、舞台/対象のよく絞られたドキュメンタリーのような句集。


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