【七七七五の話】
第3回 路の沙汰
小池純代
「どどいつ」と呼ばれることの多い七七七五の歌句で古典と目される句のほとんどは作者不明。産み落とされたことばがひとりほのぼのと光を放っている。
『詩経』にも似た発光がある。歌謡同士、通うものがあるのだろう。たとえば「遵大路」は心変わりした相手を深追いする歌。素材も形式もどどいつっぽい。
遵大路兮
摻執子之袪兮
無我惡兮
不寁故也
遵大路兮
摻執子之手兮
無我魗兮
不寁好也
七七七五で翻案してみた。
袖を引いたら
すげなくされた
花の末枯(すがり)の
おほどほり
すがりついたら
ふりはらはれた
恋の尽(すがり)の
おほどほり
未練がましい狂態なのか、手練れの嬌態なのか、未練がましい手練れの媚態なのか、巫山戯ているだけなのか、それは知らない。
前半の「遵大路兮 摻執子之袪兮」は叙事、後半の「無我惡兮 不寁故也」は叙情の直叙と言えるだろうか。町の往来で袖をつかんでの一言をちゃんとした訳で読んでいただこう。
悪く思わないでね。昔の女にすげないのだもの。吉川幸次郎訳
うとましく思わないでふるいなじみの仲なのに白川静訳
私を憎んで下さるな故(ふる)い仲ではないかいな目加田誠訳
長い年月なじんだものをなぜにあたしがさうにくい海音寺潮五郎訳
さらりと口語、やや五音七音、ほぼ七五調、完全に七七七五、という順番である。
0 comments:
コメントを投稿