【歩けば異界】⑥
七夕野(しちせきの)
柴田千晶
七夕野(しちせきの)
柴田千晶
初出:『俳壇』2017年8月号「地名を歩く」
掲載にあたり一部変更したところがあります。
子供の頃から、ときおり夢に現れる見知らぬ男がいる。
初めて夢に現れたのは、確か七歳のときだった。
私はバスに乗っていた。買ってもらったばかりのリカちゃん人形を握りしめて、父と母の間に立っていた。しだいに車内が混み合ってきて、強引に降りようとする乗客に揉みくちゃにされ、はっと気づいた時には私の手からリカちゃんが消えていた。母に叱られながら足もとを探したけれど落ちていない。だれかが、あっと声を上げた。窓の外に、リカちゃんを手にした若い男が見えた。その男はグレーの作業服を着ていた。男は痩せていて顔色が悪く、荒木一郎に少し似ていた。
その後も、一年に一度くらいの割合で、男は私の夢に現れた。
二十三歳の夏、私は青森でその男を見かけた。
青森県五所川原市金木町川倉七夕野(しちせきの)にある「川倉賽の河原地蔵尊」の霊場で。川倉地蔵尊では、旧暦の六月二十二日から二十四日に例大祭が開かれる。私が訪ねたのも例大祭の一日だった。
地獄の入口を思わせる山門の左右には、「賽乃河原」「地蔵尊堂」と書かれた板が掛かっていた。賽の河原には、化粧を施され艶やかな着物を着せられた二千体の地蔵が祀られているという。
境内には地蔵堂と人形堂がある。大きな雛壇に地蔵が祀られている地蔵堂も圧巻であったが、人形堂は更に凄かった。ぬいぐるみや人形が祀られているその奥に、硝子ケースに納められた花嫁人形がずらりと並んでいたのだ。花嫁人形には、亡くなった人の写真が添えられていた。
津軽地方には幽婚の慣わしがある。未婚のまま死んだ子供に、死後に花嫁を迎えてやり、成仏を願う。人形は死者の花嫁だ。
と、硝子ケースの中の一枚の写真に目が止まった。私の夢にたびたび現れるあの男が、飛行服姿で写っていた。写真には「平井幸男・享年二十一」と記されていた。写真に添えられた花嫁人形の顔は、あの日私が落としたリカちゃんに似ていた。
奇妙な気分で演芸場のある広場に向かうと、舞台では股旅姿の女が、津軽じょんがら節を唄っていた。その場の賑やかな雰囲気に疲れて、演芸場の裏に廻ってみると、景色が一変した。
掘建て小屋に莚を敷き、老いたイタコが並んで口寄せをしている。老女たちの津軽弁を聞いていると、夢の男が、いいえ平井さんが、なぜ私の夢に現れるのか聞いてみたい気もした。
だが、もう帰らなければ。
死者たちの七夕野に、じょんがら節が低く流れている。
サングラス掛くれば吾に霊界見ゆ 三好潤子
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