【句集を読む】
あのふわっとした
中嶋憲武『祝日たちのために』の一句
西原天気
サンドウィッチの匂ひのなかの蜃気楼 中嶋憲武
サンドウィッチは、まずパンの香りがしてほしい。中身が、「実のある」カツであっても、たよりない卵であっても、オーソドックスにハムであっても、またバターやマスタードよりも、まずはパンの香り。ふわっとやわらかく(少なくとも私を)幸せにしてくれる香り。
さて、掲句。通常は遠く眺める蜃気楼を、「匂い」の内部に置いたところが、この句の眼目だろう。匂いは、感覚器にとって相当な近距離にあるから、なおさら、この位置関係やスケールの逆転・転倒が際立つ。
蜃気楼の扱いは、実景/現実から遠く、いわゆる心象めく。が、これは俳句においてめずらしいことではない。蜃気楼の現場に作者がいることよりも、蜃気楼が《作者の現場》に、どのように存在するのかに、(読者の)意識を集中させれば、この句の肌理、たよりないことこのうえない、でも、なんだかふんわりと幸せな(幸せとまで言っていいのか?=自問)感触に出会える。
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『祝日たちのために』は、俳句120句と散文と銅版画13点より成り、いずれも著者の手によるもの。
「散文」と記されているが(あとがき)、たぶんにポエティックで散文詩とでも呼んだほうがいい(散文と散文詩の違いがどうとかこうとかは置いておいて)。緊張・稠密などを属性とする点、著者・中嶋憲武がこれまで『週刊俳句』誌上に発表してきた散文〔*〕の筆致やムードとは、まったく違う。
収載の銅版画は具象・説明から遠く、その緊張感に引っ張られるように(というよりもトーンが調整されたのだろう)、俳句も、いわゆる「わかりやすさ」とは距離を置いたもの。粗雑な二分法・ラベリングでは「難解」とされる句群。私には「とっかかりのない」句が多いが、同時に、「底割れ」した句は見当たらない。「あとがき」によれば、ツイッターに一定期間投下した530句から120句に絞ったとのことで、選句の目が効いているということだろう。
この『祝日たちのために』は、全体として、カジュアルな物言いになるが、「しょってる」感じ。多くの句集が、喩えれば作者のスナップショットを集めた個人アルバムの様相なのに対して、スタジオのストロボのなかで作者がポージングした感じ。どちらがよくてどちらが悪いという話ではなく。
〔*〕中嶋憲武 「スズキさん」 「日曜のサンデー」
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